見出し画像

ズレた時にチューニングできる自分でいること


昨日、4ヶ月半の箱根リゾバを終えました〜。ちゃんと数えてないけど何箇所目なんだろう。まあいっか。

23歳の時に三年間勤めた会社を辞めて以降、1年以上働いた場所はありません。国内でも国外でも。4年間くらい数ヶ月おきに移動しながら暮らしてる。インターバル1週間くらいで。今は、11月からオーストラリア行くのでそれまで日本満喫します。準備って何かあったっけ。何しよっかな。



「何しよっかな」って思うの好き。
次のリゾバ探すときに何かとタイミング悪かったり物事がうまく進まない時も、よく1ヶ月くらいニートしてた in実家。金銭的にめちゃくちゃ危機なわけでもないのにインターバル無しですぐ次のとこいく理由もないし、しっくりきてないのにそのまま押し進めるのなんか違う気がするので。まあ期間を1ヶ月って決めてるわけでもなく、たまたま1ヶ月ほどで自分が自然と「さ、次のとこ行くか〜」となれるのを知っているので勝手にそうなってるだけです。



その期間に、普段やりたいと思ってたけどやれてなかったことやってみたりする。運動とか勉強もそうだし、作ってみたかった料理とか読みたかった本とか。観光客目線で地元巡るのも好き。実家も未だに新しい発見あるもんな。「この空間ええやん(今まで思ったことなかったけど)」とか「親こんな本持ってたん」とか、父のヨーロッパ一人旅の日記を見つけて、自分すぎて爆笑したりとか。ビリビリに破かれた親の結婚式の写真出てきたのも最高だったな。なんで取っといてんだよ。自分の子供の時の創作物を押し入れから発見した時も面白かった。

数ヶ月前に実家を探検してた時に、私の小学生の時の通知表出てきたので載せますね。

それが〜いちばん大事〜♩


親にテストとか通知表のこと言われたこと一度もない。興味ないって言ってた。何でもいいからコメント欲しくて自分から見せてたもん。


「何してもいい」って最高。予定無いの最高。暇最高。そういう期間がシンプルに必要で、好きなんだろう。「好きなこと・やりたいことをする時間」とはちょっと違うんです。何やってもいい時間。お金とか時間とか考えず何やってもいい時間。さあ!どうぞ!!(チャイム)の時間。ちょっと制限あるのとかも好きで、たまにやります。「ただし車は使わない」とか「ただし携帯は置いて」とか笑。(例の彼も「わざと車乗らなかった時期ある」って言ってて共鳴w)

てか気づいたけど、どこ住んでも「やることない」って思ったことないな。ド田舎住んでも「何もない場所」とか思わない。って他人と話してて気付いた。てかいろんな場所に住んだけど、究極的には、都会にいても田舎にいても自分は一緒な気がしてます。(こちらも彼と共鳴)
その中でも好き!とかはあるけど、その好きも変化するし。私自然好きだけど「今は都会がワクワクする」とかも全然ある。その時その時の自分がピンときたことやってるのが心地いいんですよね〜


私のニート期間は、ストレス解消・リフレッシュ期間って感じじゃない。ぎゅっとなってるのを発散!というよりは、なんか、チューニング合わせてる感。日々の生活でもそれは意識してるし、休日や、リゾバのインターバル期間にもそれやってる。区切りのあるライフスタイルが合うのかもしれない。



会社員やってた頃は「2連休以上すると自分が動けなくなりそうで怖い」と思ってて、実際三年間、2連休以上できなかったような人間だったのでだいぶ人間らしく自分らしく生きられるようになっていると20代を総括。(まだ3年あるけど)


今でも、チューニングが必要ということはどこかでチューニングがズレているということなんだろうけど、それも少しずつ合ってきてる。合わせ方は元々感覚的にわかるが、意識的にできることもあると知ってからさらに楽。自分も変わってるけどやっぱり日々の内省は必要不可欠。それが私は書くことでもあるし。
チューニングがズレない人間になる!と言うよりは、ズレても合わせられる自分でいたいという感じ。


てか、私は元々チューニングがズレやすい。子どもの頃の学級通信で「もしも生まれ変わったら」というテーマで「サンタクロースになって世界中の人を喜ばせたい」と書いていた人間だし(これも実家で発見w)

これ、他の友達のやつ読んでも思ったけどめっちゃ性格出ますね。純粋な欲求、個性でる。「イルカになって競争したい」「時計になってみんなに時間教えたい」「木になって動物たちの人気者になりたい」「アイスになって涼しい冷凍庫に入りたい」「カバンになっていろんなものを入れて欲しい」とかもあった、子ども最高。


自分の性格としてそういう「人々の幸せが自分の幸せ」があるのは大人になっても自覚してて、それが悪いわけではないけど、それが行き過ぎてしまって失敗したことも子どもの頃から沢山ある。山ほどある。原因はソレでも、失敗の現れ方は本当に様々だった。その中で「まずは自分で自分を幸せにできないと何もうまくいかないんだな」「むしろそうじゃないと本当の意味で人々を幸せにすることなんてできないんだ」と気付いていったから、今の自分があるんだろう。


海外に行ったのも大きかったけど、中でもモラハラはそれに気付かされる集大成の経験だったと思う。もう今まで通りには生きられねえぞ!と言われた気持ちだった。「もう誰か生きてるだけで許してくれ」ってイジけた時もあったけど笑、それをするのも自分です。その覚悟をしたのがコロナ禍の海外だったのも大きかった。


まあその、チューニングの合わせ方とか、合ってない時の気付き方も色々あって面白い。例えば、美術館とか行って積極的にアートに触れたりする。まあわざわざ美術館行かなくても何でもアートっちゃアートな気もするけど、美術館は「アートを集めました、ここはそんな場所です」っていう感じがあるので、こちらも「よ〜し、アートに触れに行くぞ」という気持ちで行けるのでたまに行きたくなる。

で、自然と「どう受け取るのが正解なんだろう」みたいな思考になってる時は要チューニングな感じします。むしろそういう時に美術館に行きたくなるみたいなのもあるかもしれないけど、まあ普通に健康な時も美術館は好きです。帰り道はいつも言葉にできないような満たされ具合になります。私を人間でいさせてくれてありがとう!友人と過ごした時なんかも、チューニングできてる感じします。友人大事すぎる。

てな感じで今日から1週間は東京の姉の家に居候。渡航前に会いたい人たちに会います。楽しみ!!

ではでは〜!