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移住した北海道で「本気のポッドキャスト制作」を続ける理由

ここ9ヶ月ほど。

「僕たち」は限りあるお金・時間・精神・体力といったリソースの半分以上をポッドキャスト制作に注ぎこんでいる。これがいろいろと普通じゃない。

まず受託案件ではない。いわゆる個人勢というか独立系と言おうか、オリジナルのポッドキャストを企画・制作・配信している。インディーズのポッドキャストであり、つまりは制作事業としてお金を稼いでいない。

ついでに書き添えるとマネタイズも未発達なポッドキャスト業界のこと、僕たちのポッドキャストもまだマネタイズは導入していない。広告の類も一切入れていない。お金は現状、1円も入ってきていない。

次に場所がおかしい…こういう表現をしたら失礼かもしれないけども。北海道の白老町と漢字で書いたら、読めないんじゃないだろうか。読み方は「シラオイチョウ」という北海道の海沿いにある田舎町。人口が減り続け16000人を割り込んだ北国で活動している。

しかも「僕たち」は全員、このシラオイ町に移住してきた人々である。一人は佐賀出身、一人は熊本出身、準レギュラーは沖縄出身。見事に全員、南の出身である。ついでに全員20代でもある。


あさ起きたら子鹿がいる

まとめると「北海道の田舎町に移住した20代の南国出身者たちが、受託案件でもない、マネタイズもしていないオリジナルポッドキャストに、持てるリソースの半分以上を注ぎ込んでいる」という状況である。これは明らかに常軌を逸している。

ポッドキャスト業界よりも成熟していて、マネタイズが発達しているYoutube業界に置き換えて考えてみよう。あるいは音楽業界として、インディーズバンドに置き換えて考えてみよう。20代の人たちが北海道の田舎町に移住した先で、案件でもないオリジナル番組にリソースを注ぎまくることのクレイジー具合がご理解いただけるかと思う。しかも今つづけている番組が初めての番組でもある。

けれども僕らは、これが正しい道だと確信を持ちながら活動している。あらゆる意味で。

そしこれが正しい道であると、そう示してくれる現象も起こり続けている。さてそこで「田舎に移住した先で、なぜ本気のポッドキャスト制作を続けている」のか。これを構成しているロジックを書き残したい。まだ全部は書ききれないけど。

これは「田舎でのポッドキャスト制作には、大きな可能性が眠っている」という事実の指摘であり、ささやかなエールでもある。
一緒にやっていきましょう、ポッドキャストを。


粘菌が夜の森に輝く

まずは「田舎でポッドキャストを始めるまで」を整理しておこう。

僕たちは自然の面白さを探索しながら、それを何とか伝えたいと試行錯誤した末にポッドキャストへと辿りついた。さらに言うと、スタート地点は「ポッドキャストをやろう」ではなく、ただただ自然の面白さを探索することだった。

移住したくて移住した北海道の田舎町。そこで「なにをしようかなぁ」と、物価の安さに安住しながら呑気に自然の面白さを探索して、実験をしていた3年前。この森に近い田舎暮らしが、ここでしか生まれないモノの見方を耕して、それが土壌となってコンテンツのタネを育ててくれたことは間違いない。

つまり、自然をテーマにした僕たちのポッドキャストは、東京では始まりようがなかったものだ。結果論だが、森の近くで暮らさなければならなかった。

僕たちは知識・視点を話す番組を制作していて、このポッドキャストは「知識や視点×トーク×制作技術」で成り立っている。このうち「知識や視点」というコンテンツの源は「特定の場所との相性」から生まれる場合があると、今では確信している。国立大学の農学部が、各地の特色を反映しているのと同じである。ポッドキャストを制作してからと言うものの、田舎はそうした特異なコンテンツの土壌に見えるようになった。

例えば農系ポッドキャストは、田舎でこそ育ちやすいコンテンツだ。そして他にもニッチな専門性を深められる場所は無限にある。一種の「地の利」から生まれるコンテンツはまだまだ多いんじゃないだろうか。

その場所でその暮らしをしているから、深められているものがあるはずなのだ。そこで養われる、一見地味だが地に足のついた知識・価値観は「ポッドキャスト」とこそ相性が良い可能性がある。僕らの場合は、まさに相性が良かったのだ。


サンゴのようなニカワホウキタケ
カエンタケではありません

問題は伝え方である。
なぜYoutubeではなく、ポッドキャストにしているのか。この点を聞かれることは中々に多い。しかしもしYoutube番組を制作していたとしたら、今よりもYoutubeの環境に合わせていく動きになっていたんじゃないかなと、何度考えても思ってしまう。

より再生されやすいサムネイル画像、より長く引き止めるための番組構成とインパクト、そしてビジュアルインパクトの強いコンテンツの企画。

自然の面白さを伝えるために、Youtubeに対応したインパクトのあるコンテンツをあえて追加で企画するということ。

Youtubeナイズドされなければ、伝わるものも伝わらない。あの空間に適応した形でなければ、生き残っていくこともままならない。そこは植物の姿と重なって見える。Youtubeという、一種の自然環境のようなものに適応しなければならない。

そのような創作活動を続けている動画制作者の方々は本当に偉大だ。もう何人も見ているけれど、やっぱり面白い。そう感じる一方、僕たちの伝えたい面白さはYoutube的な企画要素から離れたものであった。面白さの宿る場所がビジュアルじゃないことも多くって、一見すると地味だったりする上に、複雑にいろんな要素が絡み合っていて長い。しかもそんな冗長な要素の絡み合いにこそ、面白さが宿っていたりする。

つまるところ、僕たちの伝えたい面白さとYoutubeは相性が悪い。土壌とタネがマッチしていないように。

観察・勉強した自然の面白さが、田舎暮らしと自然探索の延長上に、副産物として自然に生まれていたと言う経緯が、まず僕たちの側にある。ここへ更にYoutube的な企画を乗っけることは、生活をYoutubeに合わせていくことでもあって、余りにも大きな転換が迫られる。仮に成功したとしても、その先に無理がくる。生活を外部環境へと無理矢理に合わせた先、そこに待つ破綻は意外と破滅に近い。

ムラサキホウキタケ
もののけ姫の祟り神のよう
まさかの食用になるキノコ

僕たちはそのような生活の修正を全く望んでいなかった。ポッドキャストを始める遥か前から、合言葉のように「ゼロコストでやれることを続けよう」と話していた。特に「精神的なコスト」を支払わずに続けられる活動を、ひたすら続けること。それさえやっていれば、長期的には自然にライバルもいなくなっていく。

「何を呑気なことを」
そう思われるかもしれないけども。
ゼロコストは僕たちにとって、一番大事なことだったのだ。

その点ポッドキャストは、無理がなかった。
限りなくゼロコストに運営できるメディアであった。
この土壌ならば、僕たちも生き残り伸ばしていけると考えられた。

一見地味だけど奥深い面白さを、丁寧に伝えることのできるメディア特性。バズリはしないが、じわじわ伸びていくインプレッションの増え方。そして動画と違って20分聴き続けても疲れにくい適度な情報密度の低さ。これがもたらす「伝えたいことを時間をかけて伝える」ことが許容される無理のなさ。

北海道の田舎で育った「自然を丁寧に見て楽しむ視点」は、ポッドキャストならば、その丁寧さを毀損することなく伝えることができる。このことはダッシュボードの分析画面を観たり、リスナーとして様々なポッドキャストを聴く中で浮かび上がったものだ。もちろん自分のポッドキャストも聴き込んでいる。

「歴史を面白く学ぶコテンラジオ」様しかり「伝えたいことをきちんと伝えたい」という滋味深いコンテンツはポッドキャストとの相性がとても良い。だからこそ今もポッドキャストを、負担感も少なく続けられている。

ここまで「田舎で育つコンテンツ原石があるよ」そして「そんなコンテンツはポッドキャストと相性が良い可能性があるよ」ということを書いてきた。ここまでは「ポッドキャストを始められるし続けられるよ」という話であった。

ここからは「ポッドキャストを続ける理由」
続けた先に、何を見ているのか?
そんな話を書いていこうと思う。


ここで一応、番組のリンクをさしはさんでおく。

僕たちは自然界から一つのテーマをピックアップしてリサーチし、その面白く語るトーク番組「ミモリラジオ」を運営している。「それで君はどんな番組をやってるの?」と思った時に聴いてくださったら、とても嬉しい。

🌿 Spotify 🌿

🍎 Apple Podcasts 🍎


花びらみたいなカベンタケ
レモンイエローのキノコ

ポッドキャストを続けた先に、何があるのだろうか

人によっては…そして半分は自分たちにとっても、この問いは一種の愚問ではある。自然の面白さを学びたくて学んでいて、その面白さが溜まるだけでいることの勿体なさや「他の人にも、この面白さを伝えたい」という動機からポッドキャストを始めているためであって。

ポッドキャスト活動も、自然の面白さを探索・探求することも「その活動自体が目的である」という側面を無視することはできない。一方で、その先に何も見ないわけにはいかないし、続けるためには手段として活動を捉えなければならないという側面もある。この2つの側面の間で船のように揺れながら、バランスをとりつつ前に進む感覚を日々持っている。

今は何が見えているのか。
まず一昨日のことになるけれども、初めてのランクインを果たした。インディーズの比較的後発なポッドキャストとしては、珍しいことじゃないだろうか。9ヶ月間のジワ伸びが、リスナーさんのTwitterなどでの拡散によって更に少し、伸ばしていただけたということだと思っている。本当にありがたいことだと感じている。

そしてスポンサードされる話も少しずつ。マネタイズが難しいポッドキャストではあるものの、ミモリラジオを運営する僕たちMIMORIは「自然の面白さの探求にリソースを注ぎまくること」に価値の源泉を据えている。

そのため「これくらいのリソースを探求に注いだら、これくらい自然と社会を近づけるフィードバックが得られそうだ」という構造化が進んでいる。そしてこれに対する社会的な意義・個人的な意義を感じてくださった個人や法人から、サポーター制度として「社会文化的な投資」をいただくことによって、活動を事業としても成り立たせようと考えている。

すでに僕らの拠点であるシラオイ町の会社や、東京の大企業など「普段顔を合わせることはないが、自然に関心があって、一緒に森を歩いたりしたら最高だろう」と思う方々から連絡をいただいている。

金銭的な投資のリターンとして、金銭を受け取ることとは違った関係。金銭的な投資のリターンとして、社会全体に「自然の面白さ」が還元される状況。そしてたまに余剰から配当のように、自然の面白さが投資者たちへフィードバックされるような「探求の機構」。

ミモリラジオは「手弁当で月に50万円弱のコストをかける」というヤバい行いを続けながら、とりあえずこれをミニマルに実装する試みを続けている。そしてそこから生まれる価値のことが、少しずつ「いいよね」と認めていただけていると感じている。

探求に投入できるリソースが更に増えたら、自然や都市や社会の見え方が更に一段と変わる。その確信を広めていきながら「探求チームの組織」など自律的に自然の面白さを深ぼる機構としていくこと。

「自然の面白さを探求すること」と「探求の副産物として得られた"価値"を社会に還元していくこと」の実装をして、更に拡張性も備えていくこと。自然の見え方が面白く変わって行ったり、自然と社会の接点が増えていくことや、受け売り的なSDGsにとどまらない個々人や法人ごとの「自然観」を養いうる機構を育てていく可能性もある。その第1歩、最もミニマルな還元を続ける形式としてポッドキャストは位置付けられる。

要するにインディーズが発展的に面白い活動を仕掛けられる可能性は、まだまだ無限にあるのだ。


5000字の文章にお付き合いくださって、本当にありがとうございます。まだまだ書きたいことはあるけれど、全く異なる側面からの文章になるのでまた別の投稿にまとめます。「まちづくりとポッドキャスト」とか「探求のための探求ってなんだ」とか「影響を受けた音声コンテンツ」とか「自然ガイド業界の構造的課題とポッドキャスト」など色々と書きたいですね。

最後になりますが、ポッドキャストは純粋に「運営すること」が楽しいメディアです。まぁ人によるのでしょうが、やはりハマっていたということでしょう。初期投資も少なく身軽に始められるので、もしあなたにしか話せないような「じわっ」とくるモノの見方があったなら。そしてそれが、無理して作っているわけでもなく自然に湧き続けているものだったなら。

ぜひポッドキャストを始めてみてほしいです。
その話を、僕はぜひ聞きたいのです。


「書いた人」

MIMORIのandy
Twitter:@andy_mimori
Instagram:@andy_mimori

一橋大学でのまちづくりの勉強と実践、ベンチャー企業での経験を背景に、大学時代に気に入ってしまった北海道白老町へ2021年に移住。自然ガイドで後に自然観察家となる代表ノダカズキと共にMIMORIを立ち上げ。自然の美しさや面白さを探求し、そこから生まれた視点をもとにオリジナルプロダクトの企画開発やミモリラジオの運営を行う。自然の面白さをライトに深ぼるポッドキャスト「ミモリラジオ」パーソナリティ。

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