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彼女が自殺をしてしまったかもしれない。

さっそくnote日記が2日に1回になってる。ぼくは日記もつづけることができないのかと思うとずーんと落ち込んでしまう。

落ち込んでしまっているのにはいくつか理由があるんだけど、一番大きな理由は彼女との連絡がつかないことだ。一昨日の朝に「いってきます」とメッセージが送られてきたきり、彼女と一切連絡が取れてないんだよ。

それだけなら、まだ、忙しいのかしら……とか、いろんな可能性が考えられるけど、彼女は音信不通になってから、自分のブログも、Twitterも、noteも、アカウントを削除したようなんだ。

彼女にはぼくと同じように「うつ」がある。うつ病かは知らないけど、ぼくと同じ「うつ」を、彼女もその体に飼っていた。それなのに毎日がんばって働いていた。

うつ病にかまけて甘えているぼくとは大違いだ。

そんな彼女だったんだけど、最近はえらく落ち込んでたんだよ。仕事の量は多いし、人間関係も上手くいってない、と彼女は言った。休養をとるためにも会社を休職するか、退職するか……ということも洩らしていた。

そのことを母親に相談したところ、真向から否定されてしまったんだってさ。こんな歳にもなって仕事を辞めたら、もう二度とどこも雇ってなんかくれない。私達だってそのうち年金暮らしになるし、あんたの面倒なんて見てられないよ。そんなことを言われたらしい。

お母さんの言っていることはもっともだ。

でも人間は理性だけで生きているのではない。とぼくは思う。少なくとも、ぼくや、彼女のように、体のなかに「うつ」を飼っている人にとっては。

ぼくは、本当はだれでも体のなかに「うつ」が住んでいるんだと思うんだ。でも大半の人は自分のなかのうつに気がついてない。ぼくの目に映っている世界を一言で表すなら、それは「鈍感」だ。この世は鈍感そのものなんだよ。

多くの鈍感な人たちは、鈍感であるがゆえに自分のなかの「うつ」を見ないで済む。ふつうの人に対し、ぼくらはまるで「霊能者」か何かのよう。ぼくらにはそれが見え、彼らにはそれが見えないんだ。

彼女は理性では「会社を辞めないほうがいいこと」を分かってただろう。おそらくぼくや、お母さんよりずっと分かっていて、それでもなお、限界が来ていたに違いない。

それなのにお母さんは彼女の感性ではなく、理性だけを見て、彼女の考えを否定した。そのことについても、お母さんは、彼女の感性を考えてあげられるほど、繊細さを持ち合わせていなかった……ということなのかもしれない。

ぼくは、彼女の人生の責任を取ることはできないけど、それでもあんまり辛いなら、先のことなんて考えずに逃げればいいと思う。辞めるという選択は尚早かもしれない。でも休職したり、残っている有給をどんと使ってお休みをとればいいと思ったし、彼女にも電話でそう伝えた。

だが、連絡は突然として途絶えてしまったんだ。

最初は疲れているだけかと思った。だからぼくは「おかえり」と「大丈夫?」というメッセージを送り、心配しながらも、その気持ちを騙しながら眠った。

メッセージは翌朝になっても読まれていなかった。いよいよ心配を隠せなくなったぼくは、彼女のブログやTwitterに何か書かれていないだろうかと確認した。するとブログは表示されず、Twitterには「アカウントが削除されています」という文字が。

その瞬間、どっくん――と心臓が胸の内側からぼくのことを強く叩いた。

すぐに思いついたのは、彼女が自殺をしてしまったのではないかということだった。自殺なんて大げさな、と思うかもしれないけど、ぼくらにとって自殺をすることはけして対岸の火事ではないんだよ。

ふつうに生きている人たちがどうかは分からないけど、少なくともぼくは……いや、ぼくのなかの「うつ」は、ほとんどいつも自殺をすることについて考えている。その考えがチラとでも見えてしまうと、ぼくは「うつ」の考えていることが、さも自分が実際に考えていることかのように勘違いをしてしまい、自分は死ななければならないのだと、歪んだ使命感に駆られる。

彼女の体のなかにも「うつ」が居たんだ。確かに居たんだよ。だから彼女もきっと「うつ」の考えと自分の考えが混同して、わけが分からなくなってしまうこともあったろう。

そのことが分かりきっていたから、ぼくは、気分が落ち込むことがあったらどうかぼくに連絡してくれと、再三再四、伝えていたんだ。

それなのに、パタと連絡をよこさなくなったかと思えば、ブログも、Twitterも、noteも、アカウントを削除していた。

その事実が、ぼくの頭のなかから、ありとあらゆる可能性を根こそぎ奪い去った。ぽつんと残されたのは、やはり「自殺」という、もっとも悲しい可能性だけだった。

昨日は一睡もできなかった。ひとりでいることが、あまりに重く、辛かった。呼吸をすることが困難になり、ふと気を抜くと、息が続かなくなってしまいそうだった。お腹に穴が空いているかのように心細くて、気づけばTwitterに暗澹とした言葉をつぶやいていた。

ふしぎなことに、眠ってもいないのに、今日が昨日となり、明日は今日になった。

メッセージは読まれていない。電話をかけても応答しない。今日は月曜日だ。いつもどおりなら仕事へ出かけるはず。そのときにスマホを見るだろう。しかし出社する時間が来ても、メッセージは読まれなかった。

そうして現在、まだメッセージは読まれていない。

昨日より少しだけ落ち着きを取り戻したぼくの頭の中には、自殺の他に、会社を休んでスマホも電源を切っているのではないか、とか、暴れたりなんかして現在は入院しているのではないか、という可能性も見えている。

自殺なんてことをしていてほしくはない。しかしかといって他のふたつも最悪だ。ぼくは1日中ぼくや彼女のような人間は、どこかで自殺してしまうしかないのだろうかと、考えていた。

たしかにそういうものなのかもしれない。

死ぬしかない人間も、いるのかもしれない。

でも、どんな状態でも構わないから、どうか生きていてほしいと、ぼくは思わずにはいられないんだよ。


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