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ねこじた

 私は猫舌です。

 と、ずっとそうおもって生きてきたんだけれど、友人たちとの会話から猫舌というのはウソというか存在しなくて、ものを口に入れるときにどんなふうに入れているか、その違いだというのを聞き心の奥底から驚いた。猫舌とか言ってる人は、単に飲み方や食べ方が下手なために口腔内に火傷を負っているだけなんだと言われてしまった。

 そんなこと突然言われても、なんだか納得できない。納得はできないけれど、それを聞いてしまった以上実験せずにはいられない。このことを聞いて以来、私は機会があるごとに訓練を重ねている(つまりけっこう失敗している)。

 猫舌同士で”タコ焼きというものは危険な食べ物だよね”と、お互いに(先に食べろと)無言で圧力をかけ合っていた日などを懐かしく思い出す。長い年月を共にした猫舌とは、なんだったのだろう。

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猫って猫舌なのかな?

 先日の旅路の中で、尾道に立ち寄った。尾道というとラーメンだ。ふだんは積極的に食べないけれど、なにごとも経験だからみんなと一緒に尾道ラーメンの店に入った。私は食べるのに(も)時間がかかるほうなのだけれど、ラーメンってもたもた食べるものじゃないし、店先に人が並んでいるしというのでどうしたって焦る。どんぶりが運ばれてくる前から緊張した。
 尾道のラーメンは醤油味だ。さっぱりしているんだかこってりしているんだかわからないけれど、濃い色のてらてらしたスープのなかのラーメンを、とにかく食べた。おいしい。と、おもう。たぶん。ラーメンって、こんなに熱かったっけ? 熱いと味覚がちょっと麻痺する。レンゲを駆使しながら食べたけれど、食べ終えて店を出た私の舌は、しっかり全面火傷を負ってひりひりしていた。やっぱり食べ方が下手なのだろうか(くすん)。

 ラーメンを食べたあとは、ひりひりの舌を引き連れたまま千光寺へ行った。すごく天気が良くて、尾道市内や瀬戸内海が目の前に広がる景色を眺めながら参拝をするのは気もちがよかった。順路に沿ってお参りしていると、本堂の裏手にくさり山(石鎚山)と書かれた岩場があった。岩場には太い鎖が下がっていて、かつての修行場だとかなんとか書かれていた。私ともうひとりだけが興味を示し(また)、登頂までのぼることにした。岩に彫られた烏天狗にあいさつをして、鎖をつかみ、よっこらせと慎重にのぼっていく。登頂からの眺めはまた格別だった。空気もよく、まさに絶景と言えた。

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 くさり山の修行を無事に達成したし、猫舌も克服できるだろうか。

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 猫舌まわりのことでひとつ思い出した。妹尾河童さんのインド滞在記で読んで印象に残っていたことに、文化の違いがある。インドなどでは食事は手を使うもので、現地の人と同じように食べてみたかった河童さんは、食事をとるときにずっと彼らのまねをしていたと書いてある。どうして手を使って食べるのかというのは、彼らの文化における浄・不浄の考え方の他に温度が関係するみたいだ。インドの人たちというのは概して猫舌で、だけどそのかわり指先の方は平気らしく、熱い食べ物をひとくちの大きさにこねまわし、ちょうどいい量と温度になってから口に入れる。それで、河童さんは口は熱くても平気だけど指先の方がだめだったらしく、何度も水で手を冷やしたこと、それから彼らのやり方(熱いものを口に入れない)のほうが健康のためには理にかなっていると感じたことなどを書いていた。
 内臓にやさしい食べ方というのはいい。手を使っての食事というのはここ日本ではむずかしいけれど(寿司とかは別にして)、熱いものに対して平気になるよりも、なるべく冷まして口に入れるようにしていきたい気もちにもなってくる。克服か、現状維持かというところで心が揺れる。

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くさり山の烏天狗

 ところで冷たすぎるのも身体にはあまりよくないというので、季節にかかわらず氷を入れた飲み物というのもなるべく避けるようになってからはこちらも苦手になってしまった(コンビニに常温の水を置いてほしい)。


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