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探し物はなんですか~見つけにくいものですか~♪

"守りたいのは何ですか~見つけにくいものですか~♪"
井上陽水の「夢の中へ」の替え歌デス♡笑(テヘペロ)
名曲ですよね。
"夢の中へ夢の中へ行ってみたいと思いませんか~うふっふ~♪"
夢が現実になったら、こんなにいいことはないですよね。
「諦めたら試合終了です。」
安西先生の名言ですね。

所詮夢、ではなくて、その夢を現実にできたら・・・
"行ってみたいと思いませんか~うふっふ~♪"

"休むことも許されず 笑うことは止められて
はいつくばって、はいつくばって
いったい何を探しているのか♪"

今の私にこの歌、めっちゃ沁みました。

妖怪になってまでしがみついていたもの。

前回の記事では、「なんでもノート」で、
自分の内観をした妖怪ヒステリック嫌味ばばあ。
「心の余裕がない」時はどんな場面だったかっていうと、
きっと誰もが経験あるんじゃないかと思いますが、
「時間がなーい!」とか「周りの迷惑にならないようにしなきゃ💦」
とかそういうものでした。
そして、そういった場面、それらの場面に感じていた感情の背景を探っていったら、大体こんな感じだったんですね。↓

1)時間通りに会社に行ったりするのって当たり前でしょ?
2)子供が周りの人に迷惑をかけないようにしつけることが、
  親の務めとして当然でしょ?
  子供が社会で生きていくためにも大切でしょ?
3)眠いとか体調悪いとかあるけどさ、
  これは私自身でなんとかできるしさ、
  そもそも子供はまで一人で何かできないしさ、
  子供のこと優先するのは当然でしょ?
4)子供のことを本当に思う親であれば、
  めんどくさいなんて言うわけがないのよ。
  だからこんな感情はダメなのよ。
  私は子供を愛しているんだから!

みなさんも同じですよね。だから、間違ってないですよね。

本当にそうですかっ!?(Mr.都市伝説 関さん風)

親に教わったから当たり前。
専門家が言ってるから〇〇すべき。

世の中の常識は非常識、とか、
常識を疑え!とか。笑

時々そういう言葉を目にしてハッとさせられることがありましたが。
今回改めて、
「自分を常識の中に閉じ込めていたんだ」ということ、
そして「私の常識を娘に押し付けていたんだ」ということに気づきました。

でもでも。
常識とか当たり前を疑うって、超絶難しくないですか?
生きるために呼吸をするのが当たり前なのと同じくらいに、
それこそあることが当たり前すぎて、やることが当たり前すぎて、
全く疑う余地すらなく生きている。
そういうものだって思いこんでいる。

でもでもでも。
それが実は当たり前じゃなかったら。

この私が当たり前だと信じていたことが全部なくなったなら、
逆に「心の余裕」を得ることができるってこと・・・?!

「常識」にしがみついて守っていたものとは?

じゃあ、当たり前って、常識って、なんでこんなに大事って思うんでしょう?

よくよく考えてみると、「常識」って、
「みんなが同じように思っていること」
なだけなのであって、
言い換えるなら、
「一人ひとり違う価値観を持っている中で、
たまたまであれ、意図的にであれ、
一人ひとりの違う価値観のうちのたった一つが同じだっただけ」
のこと、なんですよね。

よく、子供の個性を伸ばそう、とか、多様性をみとめよう、とか言ってるのに、
なんで「ただみんなが同じと思った価値観」は偉くて、
それから外れたものには「非常識」と名をつけて排除しようとするのか。

それにしても。
改めて書くとびっくりしますね。。
私も常識を偉いって思ってたんですね。
そして、人の感情ってちゃんと自分の「価値観」に沿ってるんですね。笑

非常識を排除する理由はきっと、非常識の中に生きる人が「羨ましい」からなんじゃないのかなぁ。。なんても思ったりして。
「私はこんなに常識に沿った生き方をしようと苦しんで心の余裕をなくしているのに、抜け駆けずるい」って。笑

「じゃあアナタもそこから抜ければいいじゃん」
って思うけど、これがなかなかできない。
きっと子供のころ、学校で大きなグループの中にいたのと同じ。
みんなと一緒なら安心。ってやつですね。
だからそんなのお構いなしに、我が道を行く人はやっぱり羨ましかったな。

じゃあどうして自分にはできないって思って、
逆にやってのけた人を「羨ましい」って思うのか。

これがきっと「自分軸で生きる」か「他人軸で生きる」かの違いになるんだろうなぁ。。

自分がない、自分のスキがない、って、
自分の中に自信につながるものが何もない、
っていう風にも言えるのかなとも思うんですが、
今の私、まさにそれ。(トホホ。。。😿)
「他人軸」で生きてきたから、
自分を見失ってしまったらしいんですよね。

そう、みんなと同じ「常識」の中なら安心、
誰も変な目で見ることもないし、何科攻撃されることもない。
自分に何も自信を持てるものはないけれど、
みんなと一緒でいることはできる。

でも、それが私のイライラの元なら、妖怪になる原因なら、
私はもっと向き合わないといけない。

私が感じていた常識、つまり「当然でしょ?!」「当たり前でしょ!?」
とかっていうものは・・・

本当にやらないといけないもの・・・?
本当にできないといけないもの・・・?
本当にやりたいもの・・・?
本当に大切なもの・・・?

娘を傷つけてまで守りたいもの・・・?

本当に守りたいものは、何・・・?

ここまで行きついたとき、
私がしがみついていた「常識」は、
私のちっぽけな「自尊心」を守りたいだけのものだということが分かったのです。
そして、逆に常識や当たり前にしがみついていたところで、
自分が本当に大切なものを傷つけることによって、私の「自尊心」は守られるどころか、ますます傷ついているということが分かったのです。

アンビリーバボー😱
いいことなーんもないなんて。。。
今までは一体なんだったのでしょうか・・・?!

え~い!!
そんなことならもう、しがみつく必要なんてミジンコほどもないわ~!!!

常識を手放す決意。妖怪から人間に戻るために。

と、いうことで、私は以下のこと決意しました。
1)時間に追われるからイライラする。時間に追われる原因は会社に勤めているからだ。
→ならば時間に追われない生活をすればいい。

2)娘をのびのび育てたい。
それなのに人目が気になるから「コントロールできない」ことにイライラする。
→「周りが求めていると感じる娘にしたい」
 「周りが求めていると感じる親にならなければ」
と、思うから苦しいんだ。そんなことをしなくてもいい、子育ての価値観が似たようなところを探してみよう。

こんなにシンプルなことだったんだ。。。

目から鱗でした。。

とはいえ、とても簡単なことのはずなのに、
正直、ものすごい不安との闘いだったことも事実です。
なんせ、空気と同じくらい「当たり前」に存在していたものの外側へ行こうというのですから。

でも。その闘いはただただ私の心の中でだけ起こっていることで、
現実ですることはやっぱりとってもシンプル。
会社を辞めて、価値観のあいそうなところを探して、引っ越すだけ。

怖いけど、でも今にしがみついてたっていいことはやっぱりひとっつもない。もう妖怪にはなりたくない。。TT

娘のために、家族のために、そして何より自分のために。
一歩踏み出す勇気を持とう。

そう決めてからは本当に心もフットワークも軽くなりました。
心ってすごいね。
精神が体に影響を与えるって、頭でわかっちゃいたけどって感じで、
改めて実感するとその変化に驚きの連続。
でもその変化が本当に心地いい。
心の声に従って行動するって、こんなに気持ちいいのか、って。
こうして吹っ切れた後は突っ走るだけ。


ということで、次回は、ひたすら色々調べまくっていた中で「新しい価値観」に出会ったお話。
「信州やまほいく」でそれを見つけることができたのです。✨

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