なぜ人は世間体を気にするのか

私はいつから世間体を気にするようになったのか?
新卒で入った会社を辞める時は、
清水の舞台から飛び降りるような気分でした。
これまでは世間のレールから外れないで生きてきたと自負していたし、
会社をすぐに辞めるやつはチャランポランだと思っていました。

なのに、まさか自分が2年半という短さで転職することになるとは。

転職するかどうかで1年ぐらい悩んだし、
適応障害になってまでも、仕事にしがみついて給料を追い求めていました。

それは世間体を保つためだったのか、自分自身のプライド許さなかったのか、
よく分からないけど、
短期離職になってしまった自分が情けないという気持ちでいっぱいでした。

メンタル系のYouTube動画を見たり、自己啓発本を読んだり
どうして私は自分のことを情けないと卑屈になってしまうのか
自分なりに調べる日々を送りました。
その中で面白かったものを紹介します。

なぜ人は世間体を気にするのか?

それは、無意識のまま洗脳されて生きているから


これは名無き仙人というブログとYouTube動画を見て得た知識です。


  • 人間は前頭前野(意識)でモノを考えることができる生き物でありますが、
    その前頭前野をうまく使えないと環境に流されて生きることになる。

  • 生まれた時点で環境は選べないので、基本的には遺伝子や家庭環境などに流される。=無意識のままに生きていくことになる。

  • 競争社会とは本質的には「誰が猿回しの芸を上手にできるか」という事。


確かに〜!!!!!!!!!

安定した職につくことが正しいと思って疑いなく生きてきた。
でもでもでも、正しいレールを走ってきたのに、なんで私はこんなに辛いの?
私が辛いんだったら、私にとっては正しくないのでは?
と思うようになりました。

例えば、サービス残業をしてたくさん仕事している人がいるとしましょう。
たくさん仕事をして喜ぶ人は誰でしょうか?
その会社の社長さんとその会社の株主、あとはお客さんですよね。
必ずしも”たくさん仕事をこなした当本人”ではない。

小学校を振り返ってみると、
読書感想文やスポーツ大会などで競わされることが当たり前でしたよね。
大賞を取った人が体育館で表彰されているのを見て、
私も何か賞を取りたいと思った記憶があります。

日本人であれば90%以上は小学校の時からこんな環境で育っているのだから、
無意識のまま競争社会に洗脳されていてもおかしくないなと思いました。

というか、私って約30年間ほど、無意識のまま社会に流されて生きてきたんだな〜


この理論が本質的だなと思った理由があります。

よく自己啓発本などに書かれる内容で、
自分自身の絶対的な基準を持つことが大切。
みたいな教えがありますよね。

しかし、無意識で生きている人であれば、自分自身の絶対的な基準=社会の基準になってしまう。
そのため自分自身の絶対基準は社会でお金を稼ぐこと。
私は会社員で出世してお金をたくさん稼ぎたい!!
→会社の歯車になって競争社会へ戻る

という感じで(?)
あんまり心に刺さらなかった。

でもこの動画を見てからは、
そもそも
”安定した職に就いて沢山お金を稼ぐ”というのは多くの人が目指している。
この考え方は一種の洗脳なんだ。

↑こんなことに気づける人はほとんどいないのではないかと思います。
そもそも、競争社会で勝ち続けられる人は気づく必要もないですしね。
意識を使えるようにはまず、自分自身の考え方に疑いを持たなければならない。
これが本当に難しい。

私は、上司と揉めて、会社辞めて、お金に悩んで、適応障害になって。
数年間辛い日々を過ごして、
ようやく気づくことができました。笑

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