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【歴史】日本史好きになるための要素。

皆様こんにちは、多趣味娘。です☻

先日、日本史への愛を思う存分に叫ぶコラムを書いたのですが、 『THE NEW COOL NOTER賞歴史部門 』に応募するため、前回のコラムの文章を短く簡潔にまとめたコラムを書かせていただきます。

▼日本史好きになるための要素
 ①日本史オタクの父親。
 ②親しんできた国分寺跡。
 ③その他にもたくさん。

日本史オタクの父親。

歴史と言えば日本史!この精神で生きてきました。笑

今は世界史も好きなので、枠組みなんて関係ないと思ってるのですが、今でもやはり歴史の中では日本史が大好きです。

私が日本史と出会ったのは、おそらく小学校6年生のとき。世間一般で初めて歴史というものを習うのはこのタイミングじゃないでしょうか。当時はどの教科よりも歴史の授業が大好きでした。たぶん教科書の文章丸暗記レベル。笑 

ありがたいことに、学校で歴史を勉強する前から、私が歴史好きになる環境は整っておりました。

それはなんと言おうと、父親の日本史狂

父がとにかく日本史ヲタクで。日曜の夜は絶対に大河ドラマでした。他のチャンネルにうつることはありません。必ず大河ドラマ。

さらに、家族旅行で行くところは、必ず歴史にまつわる所でした。遺跡とか史跡とか。そういったものがあるところにしか行かないのです。
例えば、福島であれば近藤勇の墓や白虎隊記念館。鹿児島は島津家上屋敷跡、知覧。長崎は浦上天主堂、原爆資料館。佐賀は吉野ヶ里遺跡。

とにかく家族旅行=父親の史跡巡りの旅って感じでした。


この趣味旅行が幸いして。

小学校の歴史の教科書を眺めていると、「あ!ここ行ったことある!」「ここも!!」っていう現象が頻繁に起こるんですねぇ...
授業中に、担任の先生がたまに「ここ行ったことある人ー?」って生徒に手を挙げさせてたんですが、(今思うと幸せなことなのですが)たいていの場所は行ったことがあってほぼ手を挙げてました。

きっとこの手を挙げる優越感と、教科書や資料集に掲載されている写真の場所に行ったことのある優越感とが、私の歴史好きスイッチを押したのだと思います。

こんな感じで、父親の趣味が私の日本史好きを生み出しました。チビすけだった私をいろんなところに連れてってくれたおかげです。たとえ、自分の趣味で行っていたとしても。

本当に、お父さんありがとう

親しんできた国分寺跡。

もうひとつ、私の歴史好きを後押しした場所があります。
それは、地元にあった国分寺跡

私の地元の国分寺跡には、当時の建物の礎石が残っていて、それを中心とした広めの公園、さらには立派な資料館まで併設されていました。初めて訪れたのは幼稚園の遠足。毎年そこまで歩いていって、公園でお弁当を食べて、みんなで遊ぶのです。

割と広い芝生の公園なので、おにごっことか、はないちもんめとか、まぁ鉄板の遊びをするわけですが、その公園ならではの遊び方がありました。

それは、礎石を使った島鬼です。

鬼は礎石の上には上がってこれず、鬼以外の人が礎石をどんどん渡っていきます。当然、礎石は平面上建物の形をしていましたから、ぐるりと1周できるようになっています。たしか、鬼に捕まらずに1~3周渡れたらクリア!みたいなルールだったと思います。
通常であれば、島鬼は、地面に島を書くか、縄跳びとかフラフープを島に見立ててするものだと思いますが、ここでは歴史の上に立って素敵な遊びができるのです。今思うとめちゃくちゃ幸せじゃないですか。。

幼稚園の遠足以外にも母親がよくそこに連れていってくれましたが、当時は礎石が何だったのか理解はしていなかったと思います。
後々、高校で日本史の授業であの場所が国分寺跡であることをはっきり認識しました。高校の努力遠足でも同じ場所に行くことになり、それまでとは違う目線で礎石を見ることになりました。

...もう感動ですよね。こんなに身近に歴史があって、しかもそこで何度も過ごしていたなんて。幸せすぎます。

その他にもたくさん!

他にも、日本史が好きになる要素はたくさんありました。

大河ドラマ『北条時宗』を観ていた年は鎌倉時代にはまって、親にせがんでわざわざ福岡まで行って元寇の防塁を観て回りました。

吉野ケ里遺跡に行った後は、縄文・弥生・古墳時代にはまって、貝塚とか古墳とか、地元にある遺跡を観て回りました(これももちろん親にせがんで)。火起こし体験したい!となってそれも体験しに行きました。土器に感化されたのか、陶芸やりたい!となって、当時母親が通っていた陶芸教室にも連れて行ってもらいました。ちなみに、後々、小学校で土器づくりの体験をすることになり、土器を作ってみたいという私の夢は果たされたのでした。

今思うと、私の幼少期は日本史好きになるための要素だらけで、日本史好きになることは必然だったのかもしれません。とっても幸せな環境で過ごせて、親には感謝しかありません。これもある意味、歴史の一部。私の中の素敵な歴史の一部です。

これからもたくさんの素敵な歴史に出会えますように!

元のコラムはこちら↓