「神のところに還りたい」

「神のところへ還りたい」

という想い。

この2元の世界において

たった一つの“真に正気に戻るための選択”

をしたい

(前提として、私たちは、常に自動的に自我と同一化しているし、いつも統合失調症であり、狂気の沙汰である。

小さな狂った考え(tiny mad idea)で

神(父)と分離をしたら?どうなるんだろう?

と神の子が、妄想した太古の昔のその瞬間の夢の内容を

無限ループで形態だけは変えながら

見続けているのですが、

そのことが解離とともに完全に忘れられているとはいえ、記憶から完全に消すことは不可能なので

なんか、自分、おかしいな?という自覚症状が出てきている、自分を客観視出来る理性が働いている状態=自我との完全なる同一化から離れ出しているからこそ、正気に戻ろうとする少しの意欲のある心の状態[その願望を持っているのも、自我の一部です])

または

“真の幸せを体験したい”

という

究極の衝動、究極の欲望

を言葉にするとこうなる、、、

ともいえるのかも、しれません。

神の愛の代替品では、我慢ができなくなっている、、、。

額縁だけでは、意味がないことに気づき始めている。

心の死に値するもの

死にたくなるくらいの

消えてなくなりたくなるくらいの

失望を体験した時から

真の探求が始まるのかもしれません。

大丈夫!答えがここにちゃんとあるよ!

別の道があるよ!

そして、これは、もともとあなたのものだよ!

仮に、自殺しても終われないから、

わたしも同じだよ!と、

一緒にこの道を歩いていき

時が来たら

一緒に 神のところに還りましょう!

と、

そんなメッセージを届ける

世の母で在るのだ、と

個人のわたしは思って生きています。

日常生活において、めっちゃポンコツなところも

抜けているところも多々ある個人の私ですが(笑)

そのうちに

Elder的な、世のばぁば

長老くらいになれるといいなと思いますが、、、

決めたその時、そうなるのでしょう。

シナリオに、あれば。

Go back Home toghether.


[付録:『奇跡講座』は直接的な神への帰還の霊性の道(direct path)ではないって知っていますか?]

これは、ケン(ワプニック博士)も

強調するところですが、

神のところに還りたい!

神のところに還る!と、

言い切るまでには

『奇跡講座』の実践レベルにおいては

日常生活密着型の

人間関係の中や

物やコトとの関係の中で

個人的な赦しの実践を通して行う

間接的な霊性の道(indirect path)なので

一歩一歩のプロセスがあるのだなぁと

ここ最近は

一つ一つの体験にとても納得し、確信を得ながら

毎回毎回、聖霊のシナリオのワンパターンで

「わたしは間違っていたな!何もわかってなかったんだな!」と

喜びと感謝で訂正を受け入れながら、

進んでいます。

愛を教えることは出来ない。

愛は証明出来ない。

ただ、愛を阻んでいる障壁を取り除くことだけが

出来るということ。

幸せな学習者に、やっと少しだけですが

近づいていけているのだと実感する時には

その温かさを胸に

自分自身に感謝するようにしています。

(気づきが深まった時、理解が深まった時

赦しの実践ができ、聖霊の見方をできた時

「自分自身に感謝してください」と、

ローズマリーロッソ先生からのアドバイスです)



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