Saki Saito/ Be forgiven 赦しを学ぶSakiというキャラクター

『奇跡講座』の学習による理解や、赦しの実践を通しての霊的な気づきを、今後の実践を深める…

Saki Saito/ Be forgiven 赦しを学ぶSakiというキャラクター

『奇跡講座』の学習による理解や、赦しの実践を通しての霊的な気づきを、今後の実践を深める為の個人的なメモとして記録します。それが『奇跡講座』学習者の方の学びの一助にもなれば、幸いです。【解脱】を最終ゴールに、生きていると思いながら眠っている間は【覚者】となる心の訓練をしています。

最近の記事

外の世界の状況は、私の内なる平安には、全く、関与していない

    • 中毒

      私たちは、みんな、「自我との同一化」をしている時、何かしらの、中毒に陥る。 これが無ければ、私の人生は無意味。 これが無ければ、私の人生は、無味無臭。 これがあれば、私は多幸感に充たされる。 これがあれば、私の人生は薔薇色。 そんな、何か、を持っている。 形態の大なり小なりはあれ、 この世界の中の住人だと思っている誰もが。 グッドデザイン or バッドデザイン グッドセンス or バッドセンス グッドアトモスフィア or バッドアトモスフィア 何一つ、

      • Can I be cured? healed?: 私は治るでしょうか? 癒されるでしょうか?・Only LOVE can cure and heal anything. : 愛だけが全ての万能薬です。

        「愛ってなんなんだろう」 そう問われ、杓子定規に、 「私たち人間にはわからない、人智を超えたものよ」と、答えてみた。 形而上学、形而上学視点を、言葉にしても、実践的な体験、経験がなければ、虚しい。所詮、形而上学に終わる、とは、こういうことだと、しっくりこない感覚とともに、感じた。 そして、ここ、最近の赦しの実践的な作用として、ただ、愛は、大いなる癒しのパワーだ、愛は、全ての心を包み込み、癒す、と実感した。 ________________________ 私たち日

        • 赦せない自分に優しく、正直になる

          『奇跡講座』(以後、コース)に書いてあることが、その内容の真髄が、わかるようになればなるほど、その内容を生きることの難しさ、その内容を生きることへの無意識のうちの抵抗、反発に気づく。 そして、まだ、氷山の一角すら、わかっていない(実践的な理解は伴っていない)のだ、、、と、気づく。 『奇跡講座』を独学で読んで、自己流の解釈をして、実はその内容はわかっていなかった時の方が、わかったつもりだった時の方が、自我的には、満足で、もちろん、本来の目的である悟りではなく、自我が望んだ通

        外の世界の状況は、私の内なる平安には、全く、関与していない

          個々人の肉体は自我or聖霊の指示に忠実に作動している操り人形「想念はその源を離れない」個人のものではない「真の目覚め」「真の悟り」を理解する

          『奇跡講座』は、純粋一元論、純粋非二元論というジャンルの霊性の道、霊性の教えのうちのひとつ、つまり、「目覚め」や「悟り」を目的とした教えのひとつなのだが、そうではないものとして理解されて、そうではないものとして、実践されることがよくある。 ただ、それは、ある意味では、自我で作った(ように信じているこの夢の中の)この混沌の世界において、分離の象徴として起こるべくして起こっていることで、しようがないことであり、 私(Sakie)自身、通ってきた過程であるから、とてもよくわかる

          個々人の肉体は自我or聖霊の指示に忠実に作動している操り人形「想念はその源を離れない」個人のものではない「真の目覚め」「真の悟り」を理解する

          「自分は間違っていない!こと」と「真に幸せであること」は、究極的に、どちらか一方しか選べない

          心理学的に、私たちは、基本的に、無意識のうちに、デフォルトで、「自我」として生きることには、大いに意味がある、と思っています。 この世界は、目的を持った幻想であると、『奇跡講座』は言いますが、それ自体は、そういうものなのだということであり、個別性(個性)特別性、それは、なんの問題でもないのです。ただ、それを深刻に捉えている時、微笑みを浮かべて見れない時、問題意識が生まれ、内的な葛藤が生じます。 自分の常識は正しい、間違っていない、と主張することは、悪いことではないのですが

          「自分は間違っていない!こと」と「真に幸せであること」は、究極的に、どちらか一方しか選べない

          統合失調症の私たち〜私たちは全員が「心の病気」なのです〜『奇跡講座』のいうところの心とは、、、

          心が病気ならば、心の癒し、真の根本的、根源的ヒーリングとしての原因レベルでのアプローチのゴール設定は、夢から目覚めていくこと、解脱の方向にしかない 心とは 心の病気とは 正気を取り戻すには 解脱の準備をする 1 心とは 私たちが、通常、心について語る時、私の心や、あなたの心、といったように、個々に分離した心が、それぞれに、何かを感じていることや、何かに反応して嬉しいとか、悲しいとか、知覚していることについて言及しているということに気づきます。 ですが、ここで通常

          統合失調症の私たち〜私たちは全員が「心の病気」なのです〜『奇跡講座』のいうところの心とは、、、

          「私はあなたの言動から何の影響も受けることはなかった」という愛の表現をしよう。

          他者を真に愛したい人への 他者を苦しめたくない人への 『奇跡講座』的な 処方箋、、、 そう、私への処方箋。 「私の気分や感情は、私が決めている」という事実がある。 私がどの視点から見ているのか?が 私が何を知覚しているのか?の根源であり 唯一の真の原因だ。 「、、、?」ですよね。ここは、難しいところで、一言では言えませんが、 『奇跡講座』的には、 この幻想の世界において(『奇跡講座』は一元論の真理であり、この世界は幻想であり、実在していない、とはっきりと

          「私はあなたの言動から何の影響も受けることはなかった」という愛の表現をしよう。

          『奇跡講座』の内容を理解していく際に起こると云われる「退化に見える進化」とは?その物足りない感覚を癒やす

          私の赦しの実践の為の備忘録 『奇跡講座』の言うところの「赦し」の実践者ならば、この世界を「教室」として使います。 今、目の前のこの世界の現状を見て、今、目の前に見えているものに対して、大なり小なり、怒りや、不快感、憤りや、冷淡な思考、イラっとした感覚など、好ましくない、いわゆる、ネガティヴな感覚を覚えるならば、それは、赦しの実践の貴重な機会だ、赦しのレッスン、トレーニングの為の教材だ、と捉えます。 執着している人、物、考えなどに対して、ネガティヴは、もちろん、無理矢理の

          『奇跡講座』の内容を理解していく際に起こると云われる「退化に見える進化」とは?その物足りない感覚を癒やす

          「糸島リトリート」2023 を終えて

          『奇跡講座』学習者の私が今年2月3日に立ち上げた一般社団法人Holy Spirit Academy主催で開催させていただいた『奇跡講座』学習者のための「糸島リトリート」が6/24(土)25(日)に、無事に終了致しました。 「糸島リトリート」開催において、質疑応答をメインにした講義を、2日間精力的に講義し続けて、皆さんとの交流も、入浴時と就寝時以外、本当にずっと!続けてくださって、個別での参加者の方のバックグラウンドに添った解説や実践アドバイスまで、出し惜しみ無く差し出してく

          相手にも感情(feelings)があるのだから

          全ての状況、全ての人間関係(のように思っていること)に対して「起こってほしいことをあらかじめ決めておく」という「決断のためのルール」を、普遍的に当てはめて使っていく、適用していくことが出来るようになることを、今、赦しの実践の為に、集中レッスンしている。 そうしていくと、「起こってほしい感情」とは対極にあるように見える「起こってほしい感情」じゃないもの=「ネガティヴな感情」に気づくことが多々あり、赦しの実践のチャンスは、毎日のように与えられていたことに気づく。今まで、「否認」

          相手にも感情(feelings)があるのだから

          「決断のためのルール」[『奇跡講座』テキスト編31章より]に照らし合わせて 今日一日を 〇〇を体験する1日になることを望む とするならば 「罪悪感が消えることによって、動揺や葛藤が消えて、ネガティヴな感情までもが消えていく体験をする1日となることを望みます」

          「決断のためのルール」[『奇跡講座』テキスト編31章より]に照らし合わせて 今日一日を 〇〇を体験する1日になることを望む とするならば 「罪悪感が消えることによって、動揺や葛藤が消えて、ネガティヴな感情までもが消えていく体験をする1日となることを望みます」

          『奇跡講座』リトリート@糸島・福岡

          皆さん⭐️こんばんは! 今日は、『奇跡講座』リトリート開催のお知らせです。 今月、6/24(土)&25(日)に、2日間のリトリートを 福岡県糸島市にある GLOCAL Hotel ITOSHIMA https://glocal-hotel.com/ にて開催します。 *:..。o○☆○o。..:*゚*:..。o○☆○o。..:* セミナー名 『奇跡講座』リトリート@糸島・福岡 講師 もりGさん(ACIM symphony 代表)  Sakie Saito(

          「決断の主体」を空席にした

          『奇跡講座』学習者であれば その理論体系として「決断の主体」というコンセプトと 「聖霊の思考体系」or「自我の思考体系」 のみが、唯一無二の真に可能な選択だ、という コンセプトに出会う。 しかも、それは、無意識のうちに今もどちらかを毎瞬間選択しているのだと説明される。 そして、私たちは、まだ意識的に「聖霊の思考体系」を選び直すことが出来ない心の決断の力を使えない状態で、 今時点では どちらの思考体系を選ぶのか、を 自由自在には選択する力を使えない状態になって

          「今日1日を【どんな1日にすること】を望む」か?自問する。

          『奇跡講座』学習者のSakieです。 決断のためのルールの中にある焦点の当て方では 動機づけをしていく上で、タイトルにあるように 【どんな1日にすること】を望むか?について 考えていく。 『奇跡講座』学習者ならば、 この世界の出来事の中で、起きて欲しい出来事や状況の変化や、もしくは、今の時点で最善の状況だと思っているのならば、状況の安定化や不変を望むこと等の、「外的映像」=「結果のレベル」を、あからさまにどんな1日にしようか?とイメージして望むことをいっているので

          「今日1日を【どんな1日にすること】を望む」か?自問する。

          真理に到達する為の【核心】を(ぼちぼち、と)突く

          皆さん、こんにちは。 『奇跡講座』の学びと実践を通して「真理」に到達しようと決めている人のひとり、Sakieです。 「真理」に到達する、、、の 「真理」 この言葉は、「the truth」という英語表現ではなく、日本語にすると、「真実」では、そのニュアンスとはやはり違うので「真理」がいいのですが、このワード、少なくとも私の年代の私のような一般人にとっては、 オウム真理教の事件は、 語弊を恐れずに書くならば、「真理」というと、とても禍々しいもののように扱われているワ

          真理に到達する為の【核心】を(ぼちぼち、と)突く