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「生活」の延長線上に「仕事」が位置付けられているということ

私は、英語と小論文を教えることを生業としている。

世の中に仕事は無数にあるが、私は今の仕事を自分にとって天職だと考えている。


仕事と生活の一体性

私の趣味は、本を読むこと、新聞を読むこと、英語の勉強をすることであり、他に特にこれといった趣味はない。

考えれてみればだが、その全てが、仕事に活きてくるものとなっている。


本や新聞を読むことは、小論文の理解に役立ってくるし、英語の勉強は当然、英語を教える上で有益である。


私にとってもは、この生活と仕事が密接に結びついている状態が、この上なく居心地が良いのである。


生活と乖離した仕事

逆に考えてみると、私からすると、仕事が生活から分離している状態は、恐ろしいことのように思える。

私にとっては、生きるように働き、働くように生きることが理想である。


もし、仮に仕事が仕事のためだけの時間として存在するのなら、私にとってはそれは苦痛以外の何物でもない。

全ての仕事が全ての生活に役立ち全ての生活が全ての仕事に役立っている状態が私にとっては理想的なのである。


それだけが一般論ではない

しかし、それが万人に対して、ふさわしい状態かというと、私はそうは考えてはいない。

もちろん生活のため、と割り切って仕事に打ち込んでいる人も数多くいる。
それはその人の生き方のスタンスの問題であり、私がそこに容喙するつもりは毛頭ない。



要は、皆が皆にとって、ふさわしい生活と仕事のバランスがあり、それを実現できるのかというところに、人生の要諦があるのである。