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『成長する』とは何が出来る人なのか、布団の中での葛藤とガジュマルから考えてみた

朝、布団の中で私の中の天使と悪魔が葛藤します。

「👿会社休んじゃえよ」
「👼いやいや、仕事があるんだから行かなきゃだめだよ」
「👿今日くらい休んだってどうってことないよ」
「👼でも他の人に迷惑かけるかもしれないし、どう思われるか」

私は会社員。仕事をしている。会社に行かなければならない。仕事をしなければならない。わかっている。

私は会社員。ある会社の従業員。やらなければいけない仕事がある。仕事をする義務がある。責任がある。だから会社に行かなければいけない。

すごくシンプルなこと。
だけど、会社に行きたくない。会社が嫌いなわけではない。仕事が嫌いなわけでもない。いじめられてもいない。ハラスメントされているわけでもない。人間関係もそこそこ良い。きっと会社に行きさえすれば、全く問題なくその日一日を終えるでしょう。

理由なんてない。ただ、会社に行きたくない。気持ちが拒否している。全く論理的ではないけれど。

こころの中で葛藤を繰り広げるなか、じっと布団の中で身を縮めながら、ただ時間だけが過ぎていく。

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結局、私は会社を休むことにしました。
上司に「体調が悪いので休みます」とメールすると、「承知しました。お大事に。」と返信が一言。
その文面からは何の感情も感じられない。あたたかさも冷たさも感じない。抑揚もない。

「大丈夫?」とか「ゆっくり休んで」と優しい気づかいを送ってくれる方もいるけれど、実はちょっと困ります。
その文字通り心配してくれているかなんてわからないし、もしかしたら言葉とは裏腹に思われているかも分からないから。
本当に心配して言ってくれているとしても、ただ休みたいから休んだこっちからしたら、なんかすみませんと心苦しくなるのです。

言葉には人の心を揺さぶる力があると思うけれど、「承知しました。お大事に。」という上司のメールは無味無臭無力でした。
でもそれくらいでちょうどいい。気をつかわなくてすむから。
そんな、言葉というよりただの「文字」だけをスッと差し出してくれた上司にちょっと感謝。
仕事を休むことなんて、自分が思っているより案外あっさりしているものなのです。

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外は雲一つない秋の青空。
数日前に室内に入れたガジュマルの鉢植えを、再びベランダに出しました。
葉水をし、水滴が太陽の光で反射してきらきら宝石のように見えます。
晴れている日に外で見るガジュマルは、室内で見るそれよりずっと輝いていて。
大げさに例えて言うなら、学校ではあまり目立たなくて大人しい男の子が、ステージ上ではスポットライトを浴びパフォーマンスをしているイケメンアイドルのよう。(さすがに良く言いすぎ。)

ガジュマルの成長期は春~夏のあたたかい季節。夏は毎日ベランダで日光浴をさせ、ぐんぐん枝を伸ばして葉をモリモリ緑色に繁らせ、日に日に成長していきます。
その様子を見ているだけで心がポカポカ、穏やかになります。
ガジュマルは最も成長する時期に最もたくましく輝き、人の心にもあたたかな影響を与えてくれるのです。

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前置きが長くなりましたが、「会社に行きたくない」ことと「ガジュマルの成長」から気づくことは、成長するために必要なのは、常に無理して頑張り続けることではなく、その時でない時はおとなしく休み、その時の状態が来た時にしっかり根を張って頑張ればいいということ。

その時というのは「成長するにふさわしい最適なとき」です。
ガジュマルは、一年を通して常にぐんぐん成長するわけではありません。
秋~冬の寒い時期は、成長がほぼストップするので水やりをしすぎてはダメ。成長させようと、夏と同じようにガシガシ水をやり過ぎると枯れてしまいます。
成長しやすい状態にあるその時に、適切な量の水をあげたり日光に当てたり、栄養をあたえてあげるからこそたくましく成長するのです。
ガジュマルにとって、一番調子がアガる夏の時期だからこそ、ベランダで太陽に反射して光る葉が、宝石のように輝いて見えたのです。

人間も同じ。心や体がつかれている時に、無理して頑張ろうと奮い立たせようとするのは危険。本当に心がポキっと折れてしまいます。ちゃんと自分の心の声を聴いて、癒してあげること。

スポーツで怪我をしたら、練習を休みますよね。もしくは練習量を減らしたり、負荷を下げたりできる範囲で調整するはずです。
でも、心のことになるとなぜか自分に厳しくしてしまう人の多いこと。
しかも、それを「根性がある」と美徳に捉える時代遅れの人が周りにいるともっと厄介。
きっと、身体のケガや病気と違って目に見えなかったり判断が難しいからだと思うけど、自分のことはちゃんと自分で守らないとダメだと思います。

交通事故に遭わないように周りをよく見て行動したり、
海外旅行でスリに遭わないように気をつけたり、
ケガしないように運動の前に準備運動をしっかりしたり、

人はいろいろな場面で自分自身を守るために行動して生きています。
それなのに、なぜメンタルを守ることに対しては罪的意識を抱いてしまうのでしょうか。不思議ですね。

自分の心に厳しくしても、這い上がって生きられる人は逞しいし、それはその人が持つ強さだとは思います。ただし、他人のこころに優しく寛容になれていれば。

健康なこころを守るためにちゃんと休むことは、サボりやずる休みとは違います。また元気で気持ちよく仕事するために必要な休み。休んで、また明日から頑張ろうって思えるなら、休む勇気は大切です。

どうしても頑張れない時は、無理に頑張ろうとしない。無理して結局人に迷惑をかけることになったら本末転倒。そのかわり、頑張れる時にしっかり頑張ること。

自分のことを客観的に判断できて、それにふさわしい行動がとれる人。
そうやって自分自身を大切にできる人は他人にも優しくできるし、それが大人として本当に成長し、自立していくということなのかもしれません。

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