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「オールタイムサービスという真実」


 「オールタイムサービス価格!!」と、でかでかと掲げられた居酒屋の看板が見える。近づいて詳細を見ると、開店から閉店までの時間はずっとレモンサワーなどのアルコールが半額で飲めるようだった。これは凄いサービスだし店の雰囲気もいいので、皆んなで来たら楽しいだろうなぁと思ったのだけれど、オールタイム…サービス価格…ということは、結局のところ通常価格なだけではないのだろうかという疑問が浮かび、どういう感情になっていいのか分からなくなってしまった。看板だけ見れば600円のドリンクが300円で飲めるお得なサービスだが、冷静になって考えると、いつでもずっと300円のドリンクをただ300円で飲んでいるだけである。
 そう考えると少し騙されている気もするが、それは店の前をたまたま通り掛かった、この居酒屋の歴史を知らぬ者の浅はかな考えであって、このオールタイムサービス価格に至るまでには、きっと深い愛情と厚い人情の物語が隠されているに違いない。

 始まりは開店から19時までの空いている時間帯に少しでも席が埋まればと、2時間限定のサービスタイムだったのかもしれない。
 いつもサラリーマンや中年男性のグループで繁盛している店内を見て、敬遠していた女性グループや若いお客さんが来てくれるようになりサービスは功を奏した。若い常連客も増えてゆき、その中で拓実という大学生が毎日のように顔を出してくれるようになる。居酒屋の店主は信代という年配の女将で、もうとっくに成人して家を出た息子と拓実を重ね合わせている。
 しかしある日を境に拓実が店に来なくなり、不思議に思った女将がよく一緒に来ていた友人に拓実のことを尋ねると、なんと拓実が交通事故に遭い左足を骨折したという事実を告げられる。しかもその原因は、19時までのサービスタイムに間に合わそうとした拓実が、横断歩道で焦って信号無視をした結果だと判明する。
 女将はショックを受け、もし自分がサービズタイムを19時以降も継続していたらこんな悲劇は起こらなかったのではないかと自問する。女将は二日寝込んだ後、サービスタイムを21時まで延長することを決断する。

 今まで指を咥えて眺めることしか出来なかった19時以降の客達は、このサービスタイム延長に歓喜の声をあげ、信代の店には今まで以上のお客さんが訪れる。21時までのサービスタイム延長の噂は広まってゆき、ギプスと松葉杖が外れるまで飲みに行く気になれないと思っていた拓実の耳にまで入る。
 友人との電話中にサービスタイム延長の理由を聞いた拓実は、自分の為にそこまでしてくれる女将の優しさに胸を打たれ泣き崩れる。足の怪我が治ってからなどと考えていた自分が恥ずかしくなり、電話越しの友人に「今から飲みに行くぞ!」と涙を拭いて宣言する。時計に目をやると20時15分、アパートから店まで歩いて15分ほどなので急いで行けば30分は飲めることになる。拓実は歯を磨き、適当に選んだ服を服を来ると部屋を飛び出した。

 店に着いたらまず謝ろうと拓実は思う。それからサービスタイムが終わるまでひたすら飲み続けてやろうとも。
 気持ちはぐんぐんと前に進むが、実際は松葉杖を使っての歩行の為に思っていたより早く進まない。あまり無理に進もうとすると、ギプスの底が地面に当たり左足に痛みが走る。そんなに進んでいないのに、もう7分も経っている。焦りは汗となって体を流れ落ち、松葉杖を握る手を滑らせる。やばい、このままではサービスタイムに間に合わない。松葉杖を挟む両脇も痛くなって来た。そんな時に限って、店までの間で一番長く待たされる信号に捕まった。
 焦る拓実、もう12分が過ぎている。このままでは確実に間に合わない。拓実は辺りを見渡した。どちら側の道路からも車は来ていない。これなら行ける!拓実は松葉杖をめいいっぱい前方に伸ばし右足で強く地面を蹴った!

 先に到着していた友人の電話が鳴る。拓実が今から来ると聞いて喜んでいた信代に、信号無視をした拓実とカーブを曲がってきたバイクが接触したいう悲惨な報が届く。それは21時までのサービスタイムに間に合わそうとした、拓実の過失に他ならなかった。
 信代は愕然とその場に崩れ落ちる。また自分のせいで、また自分の設けたサービスタイムのせいで拓実を危険な目に合わせてしまった。こんなことなら、こんなことならいっそこの店と共にサービスタイムなんて無くなってしまえばいい!
 他の客達の前で泣き崩れる信代に、拓実の友人が優しく声をかける。信代さん、あなたのせいじゃない。だから拓実の帰る場所をずっと残しておいてやって下さい。
 その言葉を聞いて信代は、オールタイムサービスタイムの発動を決意する…。

 こう考えるとオールタイムサービスという名は、母親の無償の愛と訳すことが出来るのではないだろうか。
 

 


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