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ただいまおかえりが聞こえない部屋で

一緒に暮らしていた犬の夢をみて目が覚めた。

暴力すぎるほど眩しい朝の白い光に晒されて見開いた世界は、絶望的な気持ちを助長するかのような平和さで、それだけが唯一の救いにも思えた。
わたしがいてもいなくても変わらない世界はなんだか安心感すらある。

寝る前にわたしが大阪で一人暮らししていた時の写真を見てしまったことが、その夢をみさせた原因だということに理解が追いつくにはすこし時間がかかった。

かつて実家で一緒に暮らしていた愛犬は、住み慣れた大阪を出て一人暮らししようが、再び大阪に帰って同棲したり、同棲を解消して再び一人暮らししようとも、どんなときもわたしと一緒だった。

うちの犬はいわゆる「里親募集」で、わたしが小学校6年生のときにやってきた。
シーズーにしては少し鼻が高くて、体重も6キロ近くある元気な男の子。おそらく雑種、3歳くらいだろうと獣医さんは言っていた。
子供で言う「ネグレクト」の状態で放置され、救出された時には左目は失明していたし、ひどいアレルギーを引き起こして皮膚がボロボロになってしまったというのに、非常に人懐っこく、聞き分けが出来る聡明ないい子だった。

・・・

「大阪キタ」と呼ばれるエリアに住んでいたわたしの家に、ある日、仲のいい女友達が泊まりにくることになっていた。

来てくれるのは嬉しいが、広いとは言い切れないワンルームに、犬用のケージと家具が詰めこまれたこの部屋を居心地の良く感じてくれるのか、わたしは気がかりに思っていた。
そしてなによりも心配だったのは、愛犬の皮膚のことだった。

当時愛犬は皮膚炎を患っていて、見える皮膚は常に赤く、炎症を起こしていた。痒さから後ろ足でかきむしる箇所は毛が抜け落ち、さらには、露わになった皮膚を固い爪が傷つけ、ただれてしまう様は見るからに酷かった。

思えば、仕事の都合もあったが、散歩に行く時間はいっつも決まって深夜に行くようにしていた。日中にいくと皮膚炎が目立ってしまうからだ。深夜であれば日中ほど同じように散歩させる人はいないので、気が楽だった。
愛犬とすれ違う際に「大変ねえ」と同情しながらもやさしく接してくれる人も居れば、あからさまに怪訝な顔で立ち去る人も居て、「この子は悪いことなどなにもしていないのに」と、そのたびに傷ついたり、ちゃんと世話が出来ていないのだと言われているようでどこかうしろめたかったりなどした。
加えて、駆け寄るものの怪訝な表情の飼い主によって引き離される「友達」の背中を、じっと見つめる愛犬のまなざしがかわいそうでならなかった。
次第にわたしは、自分の進む道の導線上に犬を散歩する人を見かけるとルートを変更したり引き返すようになっていた。

なにより辛かったのは、なんのアレルギーかが分からなかったことだった。

病院に相談してはアレルゲンの少ないご飯を試してみたり、赤ちゃんの沐浴にも使えそうなペット用のバスタブを買って、5分目くらいに溜めたぬるま湯に病院でもらった皮膚を清潔にしてくれる薬用シャンプーを投入し、1週間に1回は必ず仕事の合間にお風呂に入れるなど試行錯誤をしていた。
まさにワンオペ育児状態だったのだ。まわりに犬を飼っている友人も少なかったし、ましてや愛犬の皮膚炎に悩んでいる友人などいなくて、今思えば完全にノイローゼに近かった。

そして、それはそれらの不安を払拭するような出来事だった。
泊まりに来た友達が、皮膚炎など気にせず、一切躊躇うことなく大事そうに愛犬を抱きかかえては「かわいいね」と嬉しそうに笑ってくれたのだ。

そのとき、わたしは「そうでしょ」と、ほころびながら、愛犬を抱き抱える友人を写真に収めたのだった。
そのときの1枚を就寝間際に見たことが、夢にまで尾を引いた。我ながら単純な筋道に気付くには、あまりに夢の残像が強すぎて時間がかかってしまったのだった。

古い携帯で撮ったものだと一目で分かるような、画質の荒い1枚の写真と言えども、思い出というのは侮れない。

・・・

「老いていく」過程をひとり目の当たりにしながら、犬一匹を最後まで看取ることは本当に大変で、途方もなく切ないことだと身を持って知った。しかし、それは間違いなくかけがえのない経験だった。

だから、夢でも愛犬に久しぶりに会えたことはとてつもなく嬉しかった。その喜びも束の間、まるで覆いかぶさるように、もう二度と会えない切なさ、やり遂げられなかった後ろめたさがごちゃ混ぜになって渦のように感情の波が押し寄せる。
気がつけばすっかり迷子のようになってしまって、叶うことなら、誰かの膝元にすがりついてわんわん泣いてしまいたい気持ちに駆られてしまう。孤独を突き付けられる代わりに、ほんの少しだけ泣いた。

恋人に打ち明けて存分に慰めて欲しかったけど、そういうときに限ってLINEの返事はまだなく、わたしは布団に入ったまま、大阪に居る親友に連絡をしてから朝の準備を始めるために布団を出た。
「ママがしょんぼりしているから会いに来てくれたんでしょ。夢でも会えてよかったやん。」と返事が帰ってきたのは布団から出てすぐのことだった。

まるで魔法みたいだった。
たった一瞬、たった一言でわたしを取り巻く世界を変えてしまう人。

つくづくこの人には敵わないと思う。なんなら溺れていたい。一生敵わないままでいいから、どうかあなたはわたしの人生からどこにも行かないでね。そう祈りながら、今日もわたしは愛犬の写真に向かって「ただいま」と言うために帰ってくる。

誰もわたしを待たない部屋から飛び出した足は意気揚々と人生を歩もうとするのだった。

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