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森美術館20周年記念展 ワールド・クラスルーム:③ [社会]01

「森美術館開館20周年記念展 ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会」


【社会】はヨーゼフ・ボイスの板書から

 ヨーゼフ・ボイス 「黒板 」(1984年 チョーク、黒板 186 . 5×193 . 3 cm 所蔵:東京藝術大学)は撮影不可作品。

ヨーゼフ・ボイスJoseph Beuys1921年5月12日 - 1986年1月23日)は、ドイツ現代美術家・彫刻家教育者音楽家社会活動家
初期のフルクサスに関わり、パフォーマンスアートハプニングの数々を演じ名を馳せたほか、彫刻インスタレーションドローイングなどの作品も数多く残している。脂肪蜜蝋フェルト玄武岩など独特な素材を使った立体作品を制作したが、同時代のミニマルアートとは背景となる思想が異なり、その形態と素材の選択は、彼の『彫刻理論』と素材に対する優れた感覚によっていた。
また『社会彫刻』という概念を編み出し、彫刻芸術の概念を「教育」や「社会変革」にまで拡張した。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

森村泰昌

 パロディであることがわかりやすく示され、その上で謎かけを仕掛けてくる森村泰昌の作品。意図が読み取りきれないときは悔しい思いをするし、その意図がわかればわかったで、複雑な心境になる。いろいろな意味で劇薬が仕込まれているなあと感じる。

 そもそもマネの作品も、現代人として観ても作品の中に引きずり込まれるものだし、その上にさらに重さを上乗せている。そして美しいものだから、目が離せない。

肖像(双子) 1989年
Cプリント、透明メディウム 210×300 cm
モデルヌ・オランピア2018
2017–2018年 Cプリント、透明メディウム 210×300 cm

アイ・ウェイウェイ(艾未未)

 森村泰昌の「オランピア」の次は、漢時代(紀元前206年~西暦220年)の壺を落として割り、唐時代(618年 ~907年)の壺にコカ・コーラのロゴを描くという、攻めの作品が続く。

漢時代の壷を落とす 1995/2009 年
ラムダプリント 180×162 cm(各、3 点組)
コカ・コーラの壷 1997年
唐時代の壺、塗料 24×18 cm

 上の説明からすると、作家はそもそも漢時代の壺にコカ・コーラのロゴを描き、今回展示されているのは唐時代のもの(複数ある)ということか。どのくらい古いかは問題でなく、歴史の象徴として、壺という身近でしかも破壊しやすいものを選んだのだろうか(それが、ただ見かけたといった思い付きであったとしても)。

 ものを破壊したり、文化財に手を加えるといった行為は、観ている者の心を傷つける。それを咎めるために我々は、必ず「何でいけないんだっけ?」という理由探しの作業をする。そこに現れる常識だとか、国によっては権力というものと、我々は向き合うことになる。

 それに気づかせるのがアートなわけだけど、では作家はどれほどの傷を負うのか。余計なことではあるのだが、いつも気になってしまう。

シルパ・グプタ

 展示室の隅で、女性の声によるサウンド・インスタレーションが展示されていた。マイクの前は無人。

運命と密会の約束―1947年8月14日、ジャ ワハルラール・ネルー(1889–1964年)によ る憲法議会演説 2007-2008年
マイク、マイクスタンド、内蔵スピーカー、ア ンプ 音声:9分、マイク:145×30×30 cm

ハラーイル・サルキシアン

 今までの流れから、この14枚のアンダー目の街の紙焼き写真が、ただの風景写真でないことは想像できるのだけど、タイトルを見るとやはり衝撃を受ける。そして説明を読めば、人が1人も入っていないこと、早朝にあわせて撮影されていることも合点がいく。

処刑広場
2008年
アーカイバル・インクジェット・プリント、ア ルミニウムにマウント 60.5×77 . 4 cm

痛みを感じる作品だからこそ

 今、「歩く」ことに嵌っているので、特に作家たちについて考えながら、六本木界隈、青山霊園を歩く時間が好きだ。しばらく、こうしてここで振り返りつつ、美術館にも足を運ぶ、を続けてみようと思う。



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