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恋ではなく、愛なのだ。

年末朝から「逃げ恥」や「恋つづ」の再放送があったり、深夜に「わたナギ」の再放送があったりして、色々思い出した。ちなみにこの冬クールのドラマ(「恋あた」「リモラブ」「恋はは」)も恋愛三昧だったな。

【省略語解説】
1) 逃げ恥…逃げるは恥だが役に立つ
2) 恋つづ…恋はつづくよどこまでも
3) わたナギ…私の家政夫ナギサさん
4) 恋あた…この恋あたためますか
どれも火曜日10時台の連続ドラマでした。
5) 恋はは…恋する母たち
これは金曜日10時台ドラマです。

恋つづは別として。
逃げ恥とわたナギを見ていて、側に誰かがいてくれることの幸せというのを切に思い出した。
コロナ禍だからそうなったのか、その辺りは正直もうよくわからない。

普段よく使っているSNSではなく、ランナーのSNSの投稿にぽろりとぶちまけてしまった心の叫びがこれ。

この叫びは素直なその時の思いであって、恋愛からは程遠い。でも現実はコレだ。

若かりし頃は、なんだかいろんな妄想もあって恋愛はとてもキラキラしたものに見えていた。特別な日は特別なことをしたい、とても自己中でチヤホヤされたい等々。そういうのを相手に求める傾向もあった。

だけど今はただありのままの自分をそのまま受け入れてくれてる人がいい、何かする時に共有できる人がいい、それくらい単純なことになっている。でも、年齢を重ねてしまうとその「ありのままの自分」というのがかなり厄介なものになっていることも理解できてきた。だから単純なことなのに、相手が見つからないのだ。

ただそんな単純な幸せがいい、と思い始めていた頃に、ドラマの逃げ恥やわたナギのような普通のトレンディドラマではない恋愛ものを見ると、「そうそう、これくらいでいいんだけどな…」と共感すると同時に現実にいないことに首を傾げ、先の雄叫びのような投稿になったのだ。

ちなみにこの雄叫びの約一か月後に、彼ができたのは不思議でしかならない。ラン仲間でもなんでもないのだけど。

確かに出会ったときは「恋に落ちた」と思ったのだけど、関係性が一番自分の望んでいる関係性なことを思うと、これは「恋」ではなく「愛」のほうなんじゃないかと思うことがある。

若いころのようなキャッキャウフフ・キラキラしたものはむしろどうでもよく、ただ仕事終わりに一緒にご飯を食べ、お酒を飲み、他愛ないことを話し、眠くなったら眠る。ただそれだけの時間なのにとても幸せですべてが充足されるそんな感覚。たぶん、この感じでお互いが満たされているならずっと続けられる自信がある。何が起きたとしても。ありのままの自分、飾らない自分で同じ価値観を共有できる相手と、普通な時間を過ごせる幸せは、おそらく何事にも代えられない。

相手に何かを期待するとかそういうんではないんだな。ただ、自分も幸せで相手も幸せになることを一緒にやっていきたい。一緒に生きていきたい。

いろいろ分析すれば、おそらく相手のことをずっと尊敬できるからとか、なんかいろいろあるんだろうけど、もうめんどくさいことは横に置いといて。2020年、こんな時に見つけられたこの愛をこれからも大事に過ごしていきたい。2021年も幸せでいっぱいになる1年にしたい。

世の中は大変かもしれないけど、とにかく普段は自分のことで精一杯です(笑) もちろん世の中に貢献できることはちゃんと貢献していくけどね。

細々とつぶやいているだけですが、読んでウンウンうなづいたりしてくれる人がひとりでもいればいいなと思って綴っています。もし何度もうなづくことがあったらサポートいただけると感動します!サポート代金はプレミアム代及び他のクリエイターの方のサポートに回します!