読まれるタイトルの作り方

本はタイトルが命で、どんなに内容が良くても、タイトルが魅力的でなければ、まず売れることはない。だから、本の編集者は「どんなタイトルが本書の内容を端的に、かつ魅力的に伝えられるか?」を考えることに心血を注ぐ。

これはブログなどでも同じで、タイトルがクソだとまず読まれない。とくにネットは「3秒ルール」があるとまことしやかにささやかれているから、書籍よりシビアだ。
「3秒ルール」は床に落ちた食べ物の話ではなく、「あるページにアクセスした人は、3秒(もしくは1~2秒)でそのページの続きを読むか否かを判断する」というものである。つまり、ほとんどのページはタイトルと、せいぜい最初の数行だけでバッサリ判断される。


で、問題は「どうすれば魅力的なタイトルが考えられるか?」だ。私も若輩者なので明確な結論は出ていないが、ここ最近、その方法のひとつがわかったので、まとめておく。やり方は簡単だ。

「とにかく案をいっぱい出す」

これに尽きる。
先日参加したイベントで、「ダイヤモンド社の敏腕編集者は、1冊の本につき、1000個のタイトルを考える」という話を聴いた。まさに「タイトル千本ノック」である。
1000個のタイトル案を出したら、その後、周りの意見も聞きながら10個くらいに絞っていく。そして、最終的には自分の経験と勘によって決めるのだ。「けっきょく勘じゃねーか!」というツッコミは無粋だ。1000個という案を考え抜いた挙句の“勘”は、ゼロベースからの直感とはわけが違う。

また、「1000個も出す必要ないでしょ。100個くらい案が出れば十分じゃないの?」と考える人もいるかもしれない。だが、100個くらいじゃだめなのだ。
ぶっちゃけ、100個くらいなら、ちょっとがんばれば誰でも思いつく。大切なのは、「もう、どうがんばってもアイディアが出てこない!!!」という極限状態から、乾いた雑巾を絞るようにアイディアをひねり出すことなのである。タイトル案が数百個を超えてくると、もう、これまでの視点ではどうがんばっても新しいタイトル案は出てこなくなる。必然的に、それまでとは違う視点や読者を想定して考えざるを得なくなるのだ。天啓というのは、得てしてそういうときにやってくる。

※ちなみに、コピーライターも最初は上司から「とりあえず案を数百個出して」といわれるらしい


話はちょい変わるが、最近、筋トレをするようになって、その方面でも、「限界のちょっと先に、答えがある」ということを感じるようになった。

筋肉をつけるためには、肉体をイジメ抜く必要がある。「もうこれ以上は腕立て伏せできない!」という限界を感じたところから、さらに2~3回、体にムチを売って腕立て伏せをやるのだ。そうすると、その最後の2~3回が筋肉を大きくしてくれる。ハッキリいって、最後の2~3回に比べれば、それまでの10回は余興に過ぎない。本当に力になるのは限界を超えてからやった運動なのだ。自分の限界を超えないと、成長はない。


さらにいえば、この「限界を超えるくらいに全力を出し切る」方法は文章を書くときも大切だ。とあるビジネス書作家さんはこういっていた。

「200ページの本を書くとき、自分は600ページ分の原稿を書く。そして、それを3分の1に削っていく。すると、最終的に濃度が濃くて、洗練された文章になる」

文章を書くとき、最初からきれいにまとまったものを書こうとするとうまくいかない。まず書けることのすべてを出し切り、そのあと、勢いだけで書いてしまった部分や冗長な箇所などを削っていくことで、初めて良い文章は生まれる。ダイヤモンドの原石が、きれいにカットされるころには質量がごっそり減るのと似ている。
これだけは断言できるが、「書き終わってから増えた文章」は、絶っっ対におもしろくはならない。おもしろい文章は、「書き終わってから減る」ものだ。「カネを払ってでも読みたい文章」とは、このように生み出されるものであるべきだと私は考えている。


まとめよう。
読者にカネを払わせる文章を書きたいなら、本文もタイトルも、実際に公表するものの最低数倍~数百倍は書いておく必要がある。この世に出回っている「金を払って読む文章」の大半(すべてではない)は、そうした文章の死骸の上に成り立っている(はずだ)。

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