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【宣言】親の葬式には出ない

虐待家庭で育ちました。
父親が暴力を振るう環境でした。

家族でいる時、何かの拍子に突然キレ散らかして殴る、蹴る、ものを壊すなどの暴力を振るい家庭を恐怖で支配していた父親。いつ何時殴られるか、暴言を吐かれるか、食事を取り上げられるか、その他理不尽な目にあうかわからず家では常にびくびくして暮らしていました。

やすらげるはずの家庭も家族も私には無かった。
家庭とは家とは地獄の代名詞だった。
愛に溢れた家族なんて夢物語の様な想像上の概念だった。


母親も暴力の犠牲になっていた

見るのも本当に辛かった。深夜、台所で両親の口論のあとガラガラガッシャーンとものが壊れる音がして眠れない日があった。行きたくないけどお手洗いに行かざるをえない状況になり、足を踏み入れた先には衝撃的な光景。
今でも忘れない。父親が暴れて台所にあったものを投げ散らかしたので、電気もつけず母がたった一人で深夜に無言で片付けをしていた姿だった。母親には哀憫の情を抱いたが、本当にやるせなかった。暴力と恐怖で家庭を支配する父親が憎くて憎くて仕方なかった。
そしてそんな人間がいまだに暴力をふるった認識なくのうのうと生きていることにも色んな感情が湧く。自覚すらしていないのだ。

誰も助けてくれなかった

幸か不幸か両親共に健在だ。それでもいつかその時が来る。年齢的におそらくは私より先にどちらかが死ぬだろう。
父か母か、どちらが先に死ぬのかわからない。
その時もしも私がまだ生きていたら、どちらの葬式にも欠席する。決めた。
通夜にしろ葬儀にしろ参列にくるのは、死んだ人物に何かしら縁がある人物だ。

幾度となく周囲に家庭内暴力の助けを求めた。
誰も助けてくれなかった。

助けの声を決死で何度もあげたのに、哀しいことに助けの手を差し伸べてくれる人はいなかった。そして、助けの声をあげるたび暴力はエスカレートしていった。

家庭内暴力の傍観者

参列にくる人物はある意味家庭内暴力の傍観者だ。家庭内暴力を振るう者は外面だけは良かったりする。
参列者は普通の葬式と同じように死を悼み、個人を偲び、そして家族内であった家庭内暴力はなかったことになってうやむやになるのだろう。暴力によって起きた痛みも、傷も、まだ深く残っているというのに。

そんな状況で自分が正気でいられると思えない。
だったらそんな場はこちらから遠慮する。

我ながらロクな人間の態度ではないと思うけれど、心の奥深くに刻まれた無数の傷はまだ日々痛み、悲鳴をあげている。家庭内暴力がなかったことになるのは耐えきれない。いっそスピーチでどんな暴力を振るわれたのか、どんなに酷い家庭環境だったのか、うけた仕打ちを全てぶちまけたい。偲びにやってきた参列者に、こいつは暴力を振るった酷い人間であり地獄に堕ちるべきだと説得したい気持ちもあるが、そんなレジスタンスを起こしたら好奇心の餌食になり田舎で噂話の種になるだけなので、やっていられない。

だったら何で当時助けてくれなかったんだよ。

全ては家族に手をあげた父親が悪い。暴力を振るった父親が悪い。家庭内暴力が壊したものはとてつもなく大きい。

家族って一体何なんだ

自分はいまだに救われていない。
永遠に呪われるのだと思う。早く楽になりたい。

ねえ家族って一体何なんだよ。

自分にとっては永遠に苦しみ続ける楔でしかないよ。

こんな家庭に生まれたく無かった。

暴力なんて受けたくなかった。


誰か助けて。


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