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「忘れる読書」を読んで。

背景

本屋の新刊コーナーで見つけて読みたかった本です。図書館で予約待ちをしてやっと読めました。

感想

タイトルの意味的には、何かにメモしておいて読んだ内容は忘れるという意味で「忘れる読書」だと思ったんですが、違いました。本当に忘れるみたいです。忘れる以前に何かにメモなり、話すなりしなければ大抵のことは覚えていません。右から左に抜けていきます。ですが、頭の中を検索すれば分かるようにフックをかけておくということを言っています。これは、『メモの魔力』(前田裕二著)でも似たようなことが書いてあったと思います。確か、何かを生み出すために脳内は空けてメモなり、頭以外で貯蔵する場所を作っておく。こんなかんじだったかと。ですが、この本の著者の落合陽一さんはあくまでもメモは例えであって、メモは取らずに頭に残しておくみたいです。

ここからは、ちょこちょこ印象に残ったことを残しておきます。

「動画という本」を読む人が現れた

この表現がまず、面白いなと思いました。意外と、動画で学ぶというのが普通ではないのかな?と。動画教材と言われても特に違和感を感じないので、ある意味時代なのかな~って思いました。

本質を捉えて読む癖を作る

ドラゴンボールを例に書かれてました。ドラゴンボールは戦闘漫画ではなく、相手を観察して良し悪しを見抜く漫画だと。なので、落合さんは学生に「ヤムチャになるな」と言うそうです。この表現もまた面白い。ヤムチャは友達の間でもサイバイマンに殺されたネタでよく笑います。ヤムチャを落合さんが考えるドラゴンボールの物差しで見ると、相手との力量の差が分からずに突っ込むという評価をします。深読みでも何でもいいので、この考えで見てもこの物語を捉えることができるということを考えることが大切なのだと思いました。

学術文庫と新書の違い

学術文庫と新書の違いについての落合さんなりの定義も書かれていました。

学術文庫=思想的なアーカイブ(文脈ごとの「つなぎ読み」が効く)
新書=より一般的な教養を身につける手がかりになる本

p169より

私は学術文庫はあまり読みませんが、新書はよく読みます。なぜ新書を読むのだろう?と考えてみると、専門書になりすぎず、問題・話題になっていることを広く浅く学ぶ入門書といった所だと思います。落合さんは一般的な教養を身につける手がかりと、あくまでも手がかりなので位置付けとしては近いのかなと感じました。


最後に

上手くラベル付け出来ませんでしたが、どこか職人気質を感じたセリフを書いておきます。

一年に一個面白いものを作っているだけ。そうやって、一年に一個とか何年に何個とか、面白いものを淡々と創り続けていくことが大事。

p219より

この文章を読んで、『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎著)を思い出しました。私が思うに落合さんは、退屈だから何か目標を作ってやるという人ではなく、やりたいからやる人です。上手く書けませんが、淡々と創り続けるという部分にやることが分かっていながら自分をそのサイクルに埋め込むという部分が退屈しのぎのように感じてしまったのかもしれません。


全体としては情報量が多い本だと感じました。色々な本の話が所々に出てきていたからかもしれません。タイトルの『忘れる読書』という意味で、書かれていることはごく一部の印象でした。けれども、落合さんも色々な所で本に影響を受けているんだな~と感じる一冊でした。


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