仕事が出来るという事

 はい!やってまいりました。孝太の雑録。
 今日のお題は仕事が出来る事の意味について僕の考えをお話ししようと思います。

1 出来るとは何か

 まず、この出来るという意味合いですが、色々な解釈がありますよね。成績が良い、一通り理解できている、頭の回転が速い等等。挙げればキリがありません。
 まあ、この中で仕事が出来るという意味であれば「何事も内容を正確に理解し、かつ迅速に処理出来、良い結果を出す。」という事だと思います。でも全員が全員、こんな事が出来るでしょうか?僕は無理だと思います。人間は万能ではありません。必ずどこかで限界が来ます。

2 社会においての出来る人

 では、どうすれば良いのか?
 あくまで僕の考えですが、要所を押さえて、そこから発展させる力を身につければ良いと思います。仕事には何事も絶対にやらなければいけない重要な点があります。これを処理しなければ一向に進まないし、終わらない。でも、逆に考えればその点さえ、処理してしまえば後は楽とも言えます。重要な点を早期に見つけて解決すれば、処理速度は上がります。こういった事を積み重ねれば、仕事が出来る人間に近づけるのではないでしょうか。
 更に管理職においては、適材適所の把握も必要になっていきます。部下の能力、適性を理解して、どの仕事を任せるか、そして結果を出させる(出せる) か、いわゆるマネジメントが出来るか否かですね。
 まとめると、個人レベルでは、重要な点を理解し、早期に処理する事が出来るか。そして管理職ならば個人レベルでの処理能力は勿論、部下のマネジメントをしっかり出来るか。で仕事が出来る人間か否かが決まってくると思います。

3 成果主義の弊害

 ここで少し話題を変えます。
 昔の日本は、人事効果にあたって、仕事について結果は勿論大事ですが、過程も重要視されてました。例えば1つのプロジェクトが失敗しても、そこに至る過程において間違いがなければ、その点は汲んでもらえたのです。簡単に言えば、努力すれば報われたわけです。だからこそ仕事に関する協力体制はしっかりしていたし、次の世代への伝承も問題なく行われていました。
 ところが成果主義の導入により、状況が変わりました。読んで字の如く結果が全てであり、過程など関係ありません。白か黒かの世界です。
 結果、どうなったか。「我先よ」と高い評価をもらうため、手段を選ばない人間が増えました。例えば大変な部分を部下に押し付けて手柄を横取りする上司、自分の評価を上げるため、他者を蹴落とす輩等等。如何に要領良く仕事をする事に腐心し、その重要性を理解しないままに、仕事をする人が増えました。
 また、この成果主義は企業にとっても非常に都合の良いものでした。成果が上がらないという理由で昇給しないことは愚か降給の理由にまで用いられます。バブル崩壊の折、経費の節減をするには、良い口実となったわけですね。ブラック企業が増えた背景にはこのような点も関係しています。
 こうなると人間関係が崩壊し、仕事も回らなくなります。本当に優秀な人材はそれまで勤めていた職場に見切りをつけ、もっと良い条件の職場か海外に出ていきます。
 更に要領だけでやってきた人が、管理職になると部下のマネジメントもままなりません。理由は簡単で仕事の内容も意味も理解してないから説明できない。でも、こういう人に限って上層部にゴマする事や他人に仕事を押し付ける事には長けているので益々出世する。こんなのを目の当たりにすれば真面目な人は仕事をするのが馬鹿らしくなって辞めていくから次世代も育成できない。
 この結果、会社にとって不要な人材ばかりが残り、業績は悪化して倒産に至るわけです。
 勿論、モチベーションを上げる意味では成果主義は大事なのですが、こうなってしまっては元も子もないですね。

4 終わりに

 以上、仕事が出来るという事について書いてみましたが、皆さんはどうお考えでしょうか?結論として、要領良くやるのではなく、仕事をするにおいて重要な事は何かを押さえ、伝承できる人が、「仕事が出来る人」だと僕は思います。
 僕自身も上記の事が出来るよう、これからも頑張りたいと思います。

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