見出し画像

ささやかなファム・ファタール論~由伊と富江

 綾辻行人の『眼球綺譚』では、収録されている短編のすべてに「由伊」という名前の女性が登場する。作者も言っているように、それぞれの由伊は、名前は同じであるものの、基本的には別人であり、したがってその年齢や立場、性格も各々異なっている。
 読者として気になるのは、由伊という名前の由来だろう。作者が昔好きだった人の名前、恋人の名前、行きつけの店のママの名前、ペットの名前――等、いろいろと邪推はできそうである。角川文庫版の『眼球綺譚』に収められているあとがきで、綾辻は、由伊という同名の人物が収録作すべてに登場することについて、「ここで明確な答えを示すつもりはない。読み手の自由な想像に委ねられるべき問題だろう、と思うので」と書いている。では、この名前の由来や、その意図については不明のままなのかといえば、そうでもない。2017年に行われた対談における、綾辻本人の言によると、由伊という名前の由来にまつわるエピソードなどは、ないようである。以下にその記述を引用してみる。

 初恋の人の名前だった、というようなエピソードは残念ながら、ないんです。『眼球綺譚』に収録されている短編を書いたとき、何となく浮かんで決めた名前で。(中略)知り合いにも「ゆいちゃん」はひとりもいなかったし。だから、ほんとに音の響きと字面だけで決めた感じ。で、ホラー系の小説には必ずこの名前を出そうか、と思いついたんです。この女性が登場したらホラー系ですよ、というサインみたいなつもりで使っています。名前は同じでも同一人物ではないから、同一人物だと思って読むと混乱しますが。ただ、「崩壊の前日」に出てくる由伊と『眼球綺譚』の「バースデー・プレゼント」に出てくる由伊、このふたりだけは例外的に同一人物です。
(読書のいずみ「座・対談」より)

 何かドラマティックなエピソードを期待していた読者としては肩透かしかもしれないが、作者本人が言っている以上、これが答えなのだろう。まとめれば、名前の由来に関しては「エピソードは残念ながら、ない」し、同名の人物がいくつかの作品に登場する意図としては、「この女性が登場したらホラー系ですよ、というサイン」とのことだ。こうして、由伊の名前にまつわる謎は、作者本人の種明かし(?)によって氷解した。
 では、由伊について論じることがもうないかといえば、そんなことは、もちろんない。むしろ本題はここからなのである。
 ――由伊は誰かに似ていないだろうか? 試しに『眼球綺譚』収録作から分かる由伊(とりわけ「再生」に登場する由伊)の特徴を記してみよう。

 1)美女
 2)男を惑わす
 3)殺される
 4)再生する
 5)ホラー系の話に登場する
 6)同じ名前で様々な作品に登場するが、基本的に別の人物

 以上の(いささか雑な)由伊の特徴をみてもらえば、とある名前が我々の頭に浮かび上がってくる。――そう、「富江」である。
 富江は、ホラー漫画家である、伊藤潤二のあまたの作品に登場する女性の名前だ。その富江が登場するシリーズは、実写映画化もされて(なんと8作もの映画が公開されている!)おり、富江は貞子に並ぶホラー界のアイコンと言っても過言ではない。
 そんな富江であるが、先述した由伊と同じ特徴を持っており、まさしく瓜二つに思える。異なるのは容姿くらい(「再生」の由伊は「茶色がかった髪をショートにし」ているが、富江は黒髪のロング姿で描かれている)だが、美女という点では共通している。
 より分かりやすく由伊の特徴と比較するために、伊藤潤二『コレクション』の公式サイトに掲載された、富江の紹介文をみてみよう。

 この世で一番美しい女性。その魅力に取り憑かれた男たちを破滅に導くが、彼女を我が物にしたい男たちにしばしば惨殺される。ミンチにされても燃やされても蘇る不死身の女。
(伊藤潤二『コレクション』公式サイト「登場人物」より)

 中でも、冒頭に置かれた「この世で一番美しい女性」との記述には、とにかく目を引かれる。実際、富江は、伊藤の作品に登場する女性キャラクターの中でも、群を抜いて美しく、その存在感は圧倒的である。伊藤の作品の中で、富江に比肩しうる美貌を持つ女性キャラクターを強いて挙げるとすれば、それは『人間失格 3』に登場する、鈴村節子かもしれないが、彼女の容姿は富江そっくり――そして富江のように男を破滅させる――である。
 引用した富江の紹介文の中で、個人的に注目したいのは、「その魅力に取り憑かれた男たちを破滅に導くが、彼女を我が物にしたい男たちにしばしば惨殺される」という箇所である。この記述を確認するために(そして綾辻の「再生」と比較するために)、例として一つ、富江が登場する伊藤の作品を紹介しよう。タイトルは「画家」である。

 画家である森は、堀江ナナというモデルを描いた「ナナ」シリーズで人気を博していた。3度目の個展も大成功をおさめ、森は会場に詰めかけた女性ファンに取り囲まれていた。だが、その輪には加わらず、森が描いたナナの絵をじっと見つめる美しい女性がいた。森は彼女に感想を訊ねる。するとその女は、「確かにきれいな人だけど よく見るとなんだかまぬけな顔ね」と言い放った。
 森は「ナナ」シリーズの新作に取りかかるが、女に言われた感想が頭から離れない。するとその感想を言った当の本人が現れ、ナナを怒らせてしまう。出て行ったナナを尻目に、彼女は自分をモデルにした絵を描けばいいと、森に提案する。絵を描き始めた森は、彼女に名前を訊ねる。すると女は「私? トミエっていうのよ」と返したのだった。

 この冒頭部で分かるのは、富江は他人から思われる以上に、自分の美しさをよく理解しているということだ。ゆえに彼女は、ナナを貶すことができるし、森に自分をモデルにするよう提案することもできる。

 この後、森が描いた富江の絵は、彼女から「この絵 私の美しさの 10パーセントも 描き出して ないじゃないの!!」と嘲笑われ、富江は森を「無能な絵描き」呼ばわりして去っていく。森は以降も狂気に駆られたように、富江を描きたいと望むが、思うような絵は描けない。富江を捜す森は、美大時代の同期であった岩田が、彫刻で「トミエ」という連作をものにし、評判になっていることを聞きつける。岩田のもとを訪れ、「トミエ」の彫刻を見せてほしいと言う森だったが、拒まれたために、手近にあった彫刻で岩田を殴り殺してしまう。部屋に入った森の目に留まったのは、富江と、バラバラになった富江の彫像だった。彼女が言うには、岩田は自分で彫像をバラバラにし、その次は富江をバラバラにして殺そうとしたという。森は今度こそ富江の美しさをキャンバスに再現すると約束し、再び富江を描くことになる。
「これは僕の 最高傑作だ」と森は叫び、描いた絵を富江に見せる。しかし、その絵にはなんとも醜悪な女性が描かれていた。またしても富江は怒り、森を侮辱する。すると森は、彼女の首を絞めて殺し、さらにはその死体をバラバラにしてしまう。バラバラになった富江を数日の間、呆然と見つめ続ける森。それから4日ほど経った頃、バラバラになった部位が各々、成長を始めた。これらはやがて、あの富江そっくりに成長するに違いない――。

 以上が「画家」という短編である。富江は紹介文の通り、男たち(この話の中では、森と岩田)を破滅に導き、そして森に惨殺されてしまうという最期を迎える。
 この伊藤潤二の作品を頭に入れた上で、綾辻行人の「再生」を読み返すと、きっとあらゆる相似に気づくことと思う。「再生」における由伊は、富江が森を「先生」と呼ぶように、語り手の宇城を「先生」と――森が「画家」なのに対し、宇城は大学の「助教授」であるという違いはあるが――呼ぶ。由伊は、富江と同じく、常軌を逸した「先生」によって――バラバラではないが――首を切断されてしまう。そして由伊は、(富江のように、バラバラになった部位それぞれが成長することはないにせよ)切られた部分が再生する。さらに言えば、「再生」における宇城「先生」は、「画家」に登場する森「先生」と同じく、時間も忘れて(「あの夜からどれだけの時間が過ぎたのか、私にはよく分からない。数日、それとも数週間。あるいはもう何ヶ月も経っているのかもしれない」)、自ら殺した女性の死体を見つめ続けるのである。
 これらの符号は偶然なのか。綾辻は伊藤の作品を読んでいるし、伊藤潤二『コレクション』が放映されていた時期には、熱心にその感想をツイッターで呟いている。そこには「富江はまだか」という、富江を待ちわびる言葉も見られる。

 ここで「再生」と「画家」両作品の初出の年を確認してみると、面白いことが分かる。綾辻の「再生」の初出は、『野性時代』の1993年5月号であり、伊藤の「画家」の初出は、1995年7月の『ハロウィン』誌なのである(ちなみに「富江」の初出は1987年2月)。つまり、「再生」が先で「画家」が後なのだ。だからもし、影響を受けて作品が描かれたたとすれば、伊藤が「再生」を読んでから「画家」を描いたことになる。もっと想像をたくましくするならば、「富江」を読んだ綾辻が「再生」を書き、その「再生」を読んだ伊藤が「画家」を描いた、ということになる。
 しかし、これらの事情は本人たちに訊ねない限りは分からないし、(言ってしまえば)「再生」と「画家」という作品の素晴らしさを前にすれば、「影響を受けた/受けていない」などという問題は――どうでもいいとまでは言わないが――あまりにも瑣末なことだ。そういったシンクロニシティにも興味がないわけではないが、それよりも、本格ミステリ・ホラー小説の巨匠と、ホラー漫画の巨匠が、似たような題材を用いながらも、各々の傑作を作り出した点にこそ注目すべきだ。伊藤は「画家」の最後、バラバラになった富江がこの先、それぞれ成長し拡散していく恐怖を見事に描き切っているし、綾辻は身体の「再生」する箇所を問題にし、鮮やかな驚きを演出しえている。そこには、素材は似ていても、調理の仕方により、異なった味わいの料理が生まれたような喜びがある。
 だが、この料理の花とも言える女は、あまりにも――あまりにも危険すぎる。綾辻と伊藤は、それぞれ由伊と富江を、あまりにも魅力的な女性に造形してしまった。彼女らと関わりを持った男は、狂わないわけにはいかないし、破滅しないわけにはいかない。こういった女には、とっておきの名称がある。――「ファム・ファタール」という呼称は、この由伊と富江にこそ、授けられるべきなのだ。

参考
・綾辻行人『眼球綺譚』(角川文庫)
・伊藤潤二『伊藤潤二自選傑作集』(朝日コミックス)
・伊藤潤二『人間失格 3』(ビッグコミックス)
・伊藤潤二『コレクション』公式サイト:http://itojunji-anime.com/
・夜更けの百物語「伊藤潤二作品リスト-since1987」:http://blog.livedoor.jp/yamadi99/archives/38981743.html
・読書のいずみ「座・対談」:https://www.univcoop.or.jp/fresh/book/izumi/bn/info1707_02.html

#小説 #綾辻行人 #眼球綺譚 #ホラー #ミステリ #ミステリー #新本格ミステリ #評論 #感想 #読書 #伊藤潤二 #富江 #人間失格 #ファムファタール #画家 #美女 #読書のいずみ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?