民主主義の原理原則からしても、山本太郎は何一つ悪い事をしていない、というお話

れいわの支持者の方たちは絶対に「山本太郎の行動は多数決を拒否し、民主主義に反している」などという世迷言に耳を貸さないで欲しい。
山本太郎の行動は民主主義の原則の点から見ても全く正しく、少なくとも議会制民主主義の原理原則に対しては何の抵触もしていない。
立憲の小西議員も彼のことを弁護なさっていたが、小西氏の「懲罰制度の濫用への批判」とは別の形で、「そもそも山本太郎は何一つ悪い事をしていない」ということをここでは論証する。

まず民主主義は意思決定の方法として便宜上、多数決を採用してはいるが、それ以前の問題として、まずそれが「議会」というシステムの上で行われているという大前提を忘れるべきではない。
議会とは「議論で物事の合理性・妥当性を確かめる場」だ。
だから本来、妥当性があるか無いかは多数決に先立って「議論」によって決定される。つまりその法律のつじつまが合っているかどうかは議論によって確認されるということだ。
無論「そこで同意が確定しないから多数決になるんだろうが!」という反論があるとは思うが、実は今回の入管法のケースはそれに該当しない。
「強制送還を容易にする」などの内容を持つ入管法改訂について指摘された問題点は、そもそも実際の難民認定がほとんどなされてきていない(認定されるのは何と申請されたうちの1%だけ!)という今までの実態があり、認定手続きに不備があるのではないかということだ。
つまり「本当に助けが必要な難民」を見逃してしまっており、門前払いにしている可能性が高いわけで、その状態のまま強制送還だけを簡単にできるようにしてしまうと本当に深刻な危機と直面している難民を見殺しにする可能性が高くなってしまう。
そのため、複数回の認定の申請を容認し、強制送還に歯止めをかけている現状の入管法の枠組みを、少なくとも認定手続きの不備を解消するまでは維持する必要があるのではないか、ということだ。

これに対して与党側は、難民認定を行っている審査員(柳瀬房子氏)が丁寧に審査をしても本当の難民と言える人は「ほとんどみつけることができない」と述べているとし、これが入管法改訂を行っても懸念されるような事態には陥らないという根拠になっていた。
ところがその柳瀬氏が、たった一人で2年で2千件もの審査(全体の25%!)を担当していることが明らかになり、審査が全く丁寧でも何でもないことがバレてしまったのだ。
そしてこの件については、そのペースでまともに難民認定の審査をすることが可能なのか?と問われた法務大臣が結局は「不可能」だと認めていることから、与野党問わずに同意が成立しているということになる。

である以上は、この入管法改訂によって本当に深刻な危機と直面している難民に危害や不利益が及ぶのだということについても、事実上全会一致で同意が存在するということでもある。
日本は難民条約を批准しているので難民に対して適切に扱う国際法上の義務がある。そのため今回の入管法改訂によって、その義務を果たせない状況になってしまうわけで、つまり国際条約とこの法改訂の間ではつじつまが合っていないことが議論によって判明しているということだ。つまり、新しい入管法を立法することの正当性が全く存在しない。
そしてこのことに対しては与党・自民党側は具体的な異論も反論も述べていないのだから、単に不整合な立法を指摘を受けても放置して強制的に採決してしまった、ということになる。

これはスタッフによって既に書き上げられた答弁書をただ読んで、何を言われても
「検討中です」
「しっかり対応していく」
「そのような意図はない」
「引き続き努力していく」
しか言わずに議論すること自体を拒否する与党の態度の行きついた先であり、「議論で物事の合理性・妥当性を確かめる」という議会の大前提が満たされていない状態のまま、単に多数決だけで物事が決定されているということを意味する。
これは議会のシステム・ルールをそもそも与党側が無視してただの実力行使を行ったということであり、そうした実力行使に対しては当然実力行使で対抗するしか方法が無いわけで、そうである以上は少なくとも今回の令和新選組・山本太郎代表の行動を民主主義や議会制への冒涜や挑戦のように言われる筋合いはない。

以上で議会制民主主義の原理原則に照らし合わせても、今回の山本太郎氏の行動は完全に正当だったということが論証されたものと信じる。

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