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【長編小説】 異端児ヴィンス 2

 その日私は、テオとどうしても折り合えない状況に陥って、いつものようにアパートを出奔しゅっぽんし、ひとりでこのビア・パブに避難してきていた。Dieu du Ciel !《デュー・デュ・シエル》――天の神様!――という魅惑的な名を冠したこのパブは、ミクロ・ブルワリー、つまり地域の小規模な醸造所がそこで作ったオリジナルビールを出す店として有名だった。中でも人気なのは大麻を原料として作られたヘンプ・ビール。勿論違法なものではなく、このビールを飲んだからといって別段マリファナを吸ったと同じような作用があるわけでもないのだが、それでもこの刺激的な名前がモントリオールッ子の心をつかんで、店はけっこう繁盛していた。
 テオと暮らし始めて五ヶ月になる。普段はとても上手くいっているのに、時折訪れるどうしようもない閉塞感と、互いの意志不疎通性アンコミュニカビリティに耐えられなくなると、私はここへ逃避するようになっていた。そして気楽な酔っ払いたちと夜遅くまで飲んで、最後にはその酔っ払いたちの群れに完全に溶け込んだ自分を見出し、死ぬほど後悔するのだった。
 けれど、パブに集まる面々は意外と皆行儀がよく、たいてい自分の好きな飲み物を味わいながら、粛々とその体内でアルコール代謝酵素を発動させているといった具合だった。友人同士で和気あいあいと話が弾んでいても、ケベコワと呼ばれるこのモントリオールを含むケベック州に生まれ育ったフランス語話者たちは、なぜかあまり羽目を外してやかましく乱れるということがなかった。日本人に比して日頃のストレスが少ないのだろうか、乱痴気騒ぎは大学時代いっぱいで卒業したよといったような風情が漂っている。
 そんな彼らだが、数回パブに通うようになって顔見知りも増えてくると、彼らの輪に加わり言葉を交わすことがどんどん楽しくなっていった。彼らは例外なく皆いい大人で、仕事も家庭も持っているしそれに付随する数々の苦労や不幸をも背負っているだろうはずなのに、アルコールの手助けのお陰とは思えない底抜けの明るさを持っているのだった。彼らは私が置かれている悲惨な状況(だと私が思っている)を、そんなものはただ人生のコミカルな一側面に過ぎないと笑い飛ばしてくれた。それはいっときでも邪気払いの効果を奏して、お陰で私は心をゆるめ、くつろぐことができるような気がしたものだ。
 
 私のテオに対する愚痴をひとしきり聞き終わったあと、サンドラは言った。
「うちの旦那もね、すごく自分勝手で傲慢なの。例えば、毎年冬になると、外階段の雪掻きをお願いするんだけど、ちょうど彼が寝坊か何かしてできなかった朝、代わりに私が搔いておいたりすると、仕事から帰ってきて『こんなやり方じゃダメだ』なんて言ってそりゃあもうすごい剣幕で怒鳴り散らすの。私はけっこう神経使ってさ、隅々まできちんとやったつもりよ。てか、私はけっこう几帳面なタチだからさ、自分としてはカンペキだと思っていたわけよ。それがさあ……。とにかく、たった1ミリだって、自分の思う通りに雪掻きされてないとしゃくさわるらしいのよね。だったら寝坊すんなって話よね。でもそのくせさ……、洗濯物を干させたら、もうメチャクチャよ。皺は伸ばさないで干すし、ハンガー同士の間隔を空けておかないから乾くもんも乾かないし……。靴下なんて重ねて引っかけてるのよ。信じられる? でもさ、そのことで私が少しでも文句言うと、速攻逆ギレよ。まったくもう、やってらんないよね」
 辟易へきえきしたといった顔で、彼女は言う。テオの場合とはちょっと違うが、彼らがパートナーに精神的ストレスを与えているといった点で、私たちの意見は一致した。まったく、どこも同じだよね、と言って、私たちは笑い合う。そうして、帰るころになるといつも、「一度きりの人生だもの、楽しまなきゃ。またここで会おうね」と言って別れるのだった。
 サンドラはチリ出身。黒髪を肩まで垂らした小柄な女性だった。私たちはフランス語の学校で同じクラスになって、仲良くなった。住んでいるところが近いこともあって、よくこのパブで互いを見かけた。彼女は、チリかどうかはわからないが同じ南アメリカ大陸出身らしい大柄なガテン系の夫と一緒のときもあったが、たいていは私と同じようにひとりでカウンターで飲んでいた。
 当然彼女もヴィンスのことはよく知っていて、日本人によく似た色白の丸い顔に彼女一流の色気をたっぷり含んだ流し目を添えながら、思いっきり彼のことをこき下ろすのを常としていた。
「本当にもう、ヴィンスときたら、酒の飲み過ぎで頭が狂ってるに違いないわ。それでいつもあんなおかしな大与太話を繰り広げているのね。きっとあの男の頭の中の神経は、コムラガエリ・・・・・・を起こしているのよ」
 その一言は、私は勿論、周囲の常連客たちに爆笑の渦を巻き起こした。いつもバーカウンターの隅に陣取って奇想天外な大演説を繰り広げている酔いどれたヴィンスの姿が鮮明に思い起こされて、皆大声で笑った。
 その日もヴィンスはいつものようにカウンターの指定席に腰を下ろしていたが、生憎あいにくそのときは隣に座ったラテン系のスラリとした美女にロックオンして口説いている最中だったので、この騒ぎが彼の耳に届いて彼を激昂げっこうさせ、一同の笑いの輪がさらに広がるという展開にはならなかった。
 ヴィンスがどこから来たのかは誰も知らない。パブの主、マルテンによると五年ぐらい前から姿を見せるようになり、ここ数ヶ月は毎日のように開店から閉店まで入り浸っているということだった。彼がどこに住んでいるのか、どんな仕事をしているのか、知る者はいなかった。本名はヴァンサン・ラクロワといういかにもケベコワらしい名前だということだったが、どういうわけか彼は自らの名前をヴィンセントと英語風に発音し、人々にも決してフランス語風の呼び方では呼ばせなかった。それでヴィンセントを略したヴィンスという名前が一応彼の通り名ということになっていたが、人々はなぜ彼がそこまで呼び方にこだわるのかという謎についても、話のネタにした。
 彼らは推測した。ビールの酔いが回ってくると、自由気ままに思ったことを言いたくなるものだ。ヴィンス自身がその筆頭であったから、なおさらのことだった。
 人々は口々に色んなことを言った。「彼はこの土地で生まれ育ったが、生来イギリスに対するコンプレックスか何かがあり、または単純にイギリスやアメリカへの憧れからただ英語風に呼ばれたがっているだけだろう」と言う者があった。なるほど確かに、ケベコワの中にも一般的に共通意識として英語に対する憧れのようなものはあるようだった。私はそれを、マダム・クリスティンのフランス語のクラスで目にしたことがある。クリスティン先生は授業中、何かの拍子に英語を使ったあと、両方の親指を立て、自分で「Anglais, Superアングレー、スーペール!」と叫んだのだった。
 かと思えば、「彼は大昔イギリスの入植に伴いたくさんのフランス系住民が強制移住させられたアメリカはルイジアナ州の出身で、それゆえフランス語の姓名を持つが、先祖の受けた屈辱を惨めに思うあまり、結果、反動として英国に憧れ、英語風の名前を名のりたいのだ」という穿うがった見解を述べる者もいた。だが、その見解に同意する人は、意外に少なくなかった。
 というのも、ヴィンスが州の公用語であるフランス語よりもむしろ実際に英語のほうが達者であることと、その無骨で粗野な言葉遣い、そして都市部よりは自然に囲まれた地域で育ったことを物語るような放埒ほうらつで野卑な動作には、人々に彼がアメリカ南部の田舎の地域で生まれ育ったという説を信じさせるに足るものがあったからだ。
 つまり、そんな風に物議をかもすほどに、ヴィンスの存在は謎に包まれていたということだ。人々がパブで寄り合うたびに、ヴィンスの話題の出ない日はなかった。誰もが違いに親しみ合い、互いの過去や現在を大っぴらに明かして打ち解け合うこのパブにおいて、酔狂な長広舌をぶちまけ続けるこの奇妙なアル中の常連は、そういった謎のせいで客たちのあいだで不思議な求心力を持ち、遠巻きながらも強烈な興味と好奇心の対象となっていたのだった。

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