人は所詮人間、それ以下でも以上でもない

皆様ごきげんよう、瑪瑙です。
忙しくもぼちぼち過ごしております。
皆様も忙しい時ほどぼちぼちを大切にしてくださいね。
なかなか難しいことですけどね。

さてそろそろ本題に入ります。
これは前回の手記、【タブラ・ラサの白】の掘り下げ的なお話です。
長くなりすぎるかつ話が脱線しそうだったので分けることにしました。
また今回は前回よりフラットに書こうと思っています。

「人は所詮人間、それ以下でも以上でもない」
これは特に誰に影響されたという訳でもなく、幼少期から自分の中に根付いていた考えです。
一見ネガティブなようにも聞こえるかもしれませんが、これは人間を一種の生物とみなした上で、誰もがある程度の均衡を保ちつつ人間を謳歌する権利がある、といった主張です。
これはあらゆる人間をみつめる上で重要なことだと思っています。

私は人と向き合う際に、人をカテゴライズすることがあまり好きではないんですが、国籍、言語、育った環境、得意不得意、障害、肌の色に目の色、本当に様々な特徴によってそれぞれの人が成り立っています。
その特色それぞれをアイデンティティとして尊重しつつも、ただそれだと本当の意味でのその人が見えなくなってしまう気がしてしまうのです。
沢山の要素によって成り立っているからこそ、沢山の要素に脚色されてしまって、その人本来の素肌が見えない…といったイメージです。

とはいえそうやって何かの肩書に分類されることに誇りを見出す人もいるわけであって、単に私はカテゴライズされることに疲れただけです。
わたしはただの人間なのに、って感じです。
だからその人のアイデンティティに敬意を払いつつ、そこにその人を見出しすぎずあくまでも人間であると認識しています。

『人間は所詮ただの人間、それ以上でも以下でもない』
だから何かを見失ってしまったとき、私たちは何かに固執しなくてもいいのです。何かに縛られずともあなたはただの人間であるのだから。


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