見出し画像

肌の露出をどこまで許すか 2023年7月【5】


露出は控えるべきか

私は男性。その立場から、肌の露出をどこまで許すかということを考えたい。海外に目を向けると、肩や胸元を露出している女性が多い。私の性的指向は女性に向いているため、そうした服装の女性に惹かれる。

街を歩く女性がそのような格好をしていても一向に構わない。ただその人の話を聞きたい時、露出が邪魔になる。気が散ってしまうのだ。

では肌の露出は控えるべきなのか。そうは思わない。服装は自由であるべきだ。すると「目のやり場に困るからやめてくれ」という願いは引っ込めるべきということになる。

そもそも、こうした制限は線引きが難しい。ブラック校則としてよく「女子生徒のポニーテール禁止」というのが挙げられる。理由は「うなじが性的だから」とのことで、失笑を買っている。

「胸元のあいた服はやめてほしい」というのはこれと大差ない。だから禁止だの自粛だのと言い募るべきではない。

自分から露出の多い服を着よう

他者の肌の露出を制限するのではなく、自らの肌の露出を増やすほうがいい。肌の露出への反発は、自制している人による嫉妬もあると思っている。

自分自身がノースリーブと短パンで過ごしていれば、同じ格好の人に腹を立てない。品位だの何だのと言って、真夏に襟付きシャツと長ズボンで我慢しているから、露出の多い人を見るとイライラする。

また「男の肌など見たくない」などと言う人が現れるが、ただの差別発言なので、取り合う必要はない。

ブラからの解放

西洋ではブラジャーを付けない女性が多いようだ。服の上から乳首が浮き出ていることも普通にある。日本人にはショッキングだが、あちらでは普通の光景ということで、滞在しているうちに慣れてしまうらしい。

もちろんブラをしたらダメということではない。単純につけたい人はつければいい。どちらでも自由ということだ。

日本もこの方面に進んでいってほしい。どんな事情があろうがつけなければならないという社会は息苦しい。

男性が女性のノーブラを願うなんて、ただのエロ目的と言われるかもしれない。しかしその「ノーブラがエロい」という感覚こそが、改善すべき感覚なのだ。ノーブラが当たり前になった時、それはエロくなくなる。

ブラをしていないために叱られたり(おそらく年上の女性から)、ヒソヒソ話をされたり(おそらく同世代の女性から)、好奇の目を向けられたり(おそらく男性から)する社会と、そうでない社会。どちらがいいか。

別に二者択一ではないだろう。同じ社会の中で、厳格で保守的な場と、そうでない自由な場がある。どちらに身を置くかは自分の意志で決められる。このような社会が、自由で多様性のある社会だろう。

私はファッションに疎い男性だ。特に女性のファッションなど門外漢と言える。しかし「生きやすい社会」ということを考えると、ファッションが自由であることは重要な要素だ。

私はレディースファッションに憧れを持っていて、ブラも例外ではない。形もデザインも素敵だから、つけると喜びを感じる。

でもそれは精神的な喜びで、感覚的には邪魔で不快だ。しばらくつけた後に外すと、大きな解放感がある。だから普段つけることはない。つけたくない。

こうした実体験もあって、女性だけがブラをしなければいけないということに不満を持っている。そして西洋ではブラから解放されつつあると知り、世界中そうなればいいと思った次第。

くりかえしになるが、ブラを外せということではない。つけるという選択肢しかない社会より、どちらでも選べる社会のほうがいいと言っている。

男性は上半身裸になってもいいのに、女性は常にブラをしなければならない。それどころかブラが透けないようにキャミソールを着るべきという規範もある。ブラウスの上にベストを着るのも同じ。

女性はどこまで重ね着しなければならないのか。どこまで気を使わねばならないのか。男性だけが楽をして、女性だけが苦しむ不公平をできる限り正したいのだ。

関連記事

購読者限定パート

ここから先は

172字
月に4記事以上投稿しています。1記事の文字数は1000~1500字ぐらい。社会に適応できない人間のチャレンジです。マガジンの購読は、そのチャレンジを応援する意味を持ちます。応援していただけたら嬉しいです。

著者は1985年生まれの男性。 不登校、社会不適応、人付き合いが苦手。 内向型人間。HSP。エニアグラムタイプ4。 宗教・哲学(生き方)…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?