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念仏すると生きるのが楽になる 2023年6月【5】

人生何もしなくていい

前回「人生何もしなくていい」という記事を書きました。その根拠として老荘思想を挙げました。

来世から本気出す

これは仏教の浄土教でも言えることです。浄土教において、私たちがすべきことは念仏だけです。念仏すれば、それを聞いた阿弥陀仏が極楽浄土(以下、浄土)に連れていってくれます。そして来世を浄土で送ります。

浄土では、みんな仏です。今度は衆生(生き物みんな)を救う側になります。

来世での暮らしが本番なのです。この世ですべきことは浄土行きのチケットを手に入れることだけです。入手方法は「南無阿弥陀仏」と称えること(=念仏すること)。これだけです。

この世が極楽浄土

浄土は「この世の後に行くところ」と考えるのが一般的ですが「この世=浄土」とする解釈もあります。

浄土を実在の土地ではなく、心の持ちようとして考えるのです。常に念仏を称えて仏の慈悲と一体化している人を「浄土にいる人」と見るのです。

念仏が済んでいて、浄土行きが決定していることから「もはや浄土の住人である」と見る解釈もあります。入試の合格者のようなものです。東大に受かった高校生を、私たちは東大生と同等の存在と捉えますよね。

浄土行きが決定している。またはもう浄土にいる。こうなると、この世ですべきことは何もありません。だから好きに暮らせばいいということになります。一生懸命働いてもいいし、ダラダラ生きてもいい。阿弥陀仏はそのどちらも救います。

来世が浄土だから気楽に生きられる

来世の行き先が決定していると、今世を安心して生きることができます。ここに浄土教の現代的価値があります。

念仏を称えると、その都度、来世(浄土)に思いを馳せることになります。それによって今世の価値が相対化されて軽くなり、生きやすくなるのです。今世を生きるための人類の知恵です。

聖徳太子も室町時代の大衆も

聖徳太子は「世間虚仮、唯仏是真」という言葉を残しています。世間は虚しい仮のものであり、ただ仏法だけが真実であるという意味です。

また室町時代の小歌(大衆歌謡)の中に

何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え

『閑吟集』

というフレーズがあります。「何をしているのか。まじめくさって。一生は夢だ。ただ狂え」という意味です。

昔の人は、この世とは別の何かに価値を置くことによって、この世を生き抜いてきました。

ブックガイド

今世の相対化の話は、宗教評論家のひろさちやさんがおっしゃっていることです。おそらく下記の本に書いてあると思います(手元にないので確認できません)。15~20年ぐらい前(高校~大学時代)に愛読していました。

仏教によって気楽に生きるというのが彼の思想です。「阿弥陀さんは許してくれる」「世間虚仮、唯仏是真」「ただ狂え」といった話は、他の著書でもしばしば出てきます。

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