レモンサワーは、切ない恋の味がする

始まりはわからないのに、終わりは必ずやってくる。曖昧な始まりとは対に、終わりだけはいつも、はっきりしている。ピリオドを打つ音は、どんなに耳鳴りのなる夜でもわたしの鼓膜を揺らす。もう終わりなんだって、終わりはすぐそこにあるって、認めたくないのに、認めさせようとしてくる。

かつて、報われない恋に泣いた時代がわたしにもあった。部屋の隅でひとりうずくまって、同じ時間を生きているのに違う世界にいるあの人を思って湿っぽくなる、そんな青い春があったのだ。部屋が4つ角のある空間でよかったと、何度も安心した。丸い部屋だったら、隅っこだからこその安心感は得られなかったのだろう。

ー…恋は。
優しくない。易しくもない。
移ろいゆく季節より輪郭がぼやけていて、手で掴めない。温かくて心地いいと思えば思うほど、なくなった時の苦しさに胸がはちきれそうになる。
あいつ、なんて厄介なんだろう。形があるのなら、こんな風に肩透かしを食らって、手持ち無沙汰な右手に虚しくなることなんてなかっただろう。
右利きなはずなのに、スマホを打つ手はおぼつかなくて、いつまでも慣れない。右手が本能で動いてくれたならば、君にうまく触れるんだろうか。

好きになってくれる人だけを、好きになりたい。至ってありきたりだけれど、いつだってそう考えてしまう。何も知らずに、何も失わずに、ただまっさらなままで甘酸っぱさを無意識に楽しめるような。
24歳のわたしは、そんな「初々しい」恋は、もう二度とできない。知るべきことを知って、知らなくていい感情を知ってしまったから、もう知る前には戻れない。誰にも責められることもなく、失うものも何もなく、体当たりのように恋ができたあの夏は、もう二度と、ここに戻ってくることはない。
一緒にお酒を飲んだあの居酒屋は、潰れてしまった。あのまずいレモンサワー、あの安くてどこか安心する味、もうどこにもない。
どんな高いお酒も、あの味には勝てない。わたしの心を満たすのは、数百円のあのレモンサワー。

無垢なままでいられたら、うまくいったのかもしれない。変に疑わず、変に構えず、くるものすべてを新鮮に受け止め、ピンク色の恋を楽しめたのならば。こじれるなんてこと、なかったのかもしれない。

そんな風に後悔だらけでも、大人になってよかったと、心から思うのだ。好きな人と一緒に飲むレモンサワーがこんなにおいしいんだってことも、仕事帰りに見たその笑顔で明日も頑張ろうと思えることも、もっと成長して釣り合う人間になりたいと思うことも。もうひとりで生きていけるけれど、ふたりになるならこの人がいい、だなんて。
大人で良かったと、この時代にここで会えてよかったと思える恋が、わたしにも確かにある。

まだ大人になれず、知るべきことを知らなかったあの頃のわたし。無垢でいたからこそ壊してしまったものがある。恋の「常識」を知っていたのならば、犯さなかった過ち。わたしは今でも罪人だ。たまにふと苦しくなって、泣きたくなる。戻りたくて、やり直したくて、ああ、やり直したらきっと、あの思い出もなくなるけれど、それでも。

誰もがきっと、誰かにとっての神様。
でも、誰もがきっと、誰かにとっては恨まれるべき罪人なのかもしれない。みんなが幸せになれる恋なんて、あるんだろうか。

身を焦がすほどの恋に溺れて我を忘れる、そんなことはできなくなった。大人になればなるほど纏う鎧は重たくなって、捨て身で愛を伝えることが間違いのように思えてしまって、無駄に守るべきものが増えてしまったせいだ。
いまここで、すべてを捨ててしまえば一瞬で楽になれるのに。わたしの体重はいつまでたっても重いまま。裸になれば、宙にでも浮けるのだろうか。浮いたら、会いに行けるんだろうか。

きっと、恋にどっぷり浸かれるほど、暇ではなくなってしまったのだろう。お酒には溺れられるのに、むしろ溺れたいというのに、恋となると鋼の理性がわたしをセーブする。
暇じゃないと、恋のひとつもできない大人になってしまったのだから、そもそもわたしには余裕なんてないのだ。
ちょっと先の未来にも、いつも不安が付きまとう。お金がなくなったらできなくなる生活と、仕事終わりだからこそおいしいお酒と、手にしなければ価値がない女とみられる結婚指輪。子供は欲しいけれど、自分が子育てをできるほど出来た人間である自信がない。
ニュースを騒がす男と女は、これからを生きるはずだった小さな宝物の未来をいとも簡単に壊す。
他人事じゃない。他人事なんかじゃない。女である限り、子供を産む可能性がある限り。誰もが凶器を持っている。
子育てなんて、並大抵の覚悟がないとできないはずなんだ。

考えることが増えて、そのくせ自分のことを一番蔑ろにして、一体わたしは誰の人生を歩んでいるんだろうか。たまにわからなくなる。これでいいんだろうか。

気を抜けばきっと、あっという間に恋なんて、できなくなってしまいそうで、怖い。怖いのだ。
人を好きになるなんて、奇跡でしかない。違う世界を生きてきて、違うものを見て、吸って、触って、味わって。
他人を理解してそこに愛が生まれるなんて、魔法でしかないのだ。どうかしちゃってるのだ。
器用でないと、恋なんてできない。暇じゃないと、恋を操ることなんてできない。どうしてみんな、器用に恋愛ができるのか。 どうやったら人が好きになれるのか、どこにも答えがない。

失恋で死ぬことなんて、できなかった。傷はカサブタになって、確かに癒えていく。
でもそのカサブタはいつまでたっても消えてくれない。ふとした時に、疼くのだ。揺さぶるように、ここにあるよと言わんばかりに。酒に溺れれば溺れるほど、ふやけた心に傷が浮き上がる。
ああもういっそ、消えなくていい、とさえ思う。せっかくあの人がつけてくれた傷なんだから、このままここにいていいよって、傷跡をなぞり続けたい。
消えてしまったら、あの頃のわたしまで消えてしまうような気がする。

ああ、レモンサワーが飲みたい。あの、レモンサワー。
一杯目はビール、そのあとはずっとレモンサワー。同じのくださいで出てくるわたしのお気に入り。
口は酸っぱいけど、その笑顔が甘いから、いい具合に酔ってしまうんだ。普段は言えないことも、きっと、言えるのに。
いつのまにか。
お酒に逃げてしまうずるいおとなになってしまったんだろうな。お酒の力を頼らないと、恋ができなくなってしまったのならば。
レモンサワーを飲みに行きたいなんて、告白みたいなものじゃないか。

そうこうしてる間に、また世界のどこかで恋が生まれているのだろう。過去を引きずる男にも、未来に夢見る女にも、今しか見えていないバカなわたしにも。明日は確かにやってきて、いつかまた、知らぬ間に恋に落ちて、知らぬ間に恋を終えるのかもしれない。
こんなことを綴っているわたしの傍ら、今この時も、顔の知らない誰かと誰かが愛を囁き、胸を高鳴らせているのかもしれない。
かつてわたしがときめいたように、今日もどこかで。
恋が、音を立てているんだろう。

今のわたしは、見えない傷がちょっとだけ痒くて、進むべき道に迷っている、24歳独身、令和初の台風を迎えようとしている梅雨。6月。
老いてからが長いはずの人生で、わたしは若さを余らせている。恋をしたいんだろうか、恋をしていたんだろうか、それとも、恋をしているんだろうか。

答えはいまだにわからないけれど。

この梅雨があけたら、会いたい人がいるってことは、嘘じゃない。
雨が上がったら、夏が来る。あの頃のわたしはもういないけど。
今のわたしが飲むレモンサワーも、格段においしいはずなのだ。その笑顔があれば、おいしいはずなのだ。

新しい季節に、胸が高鳴るのは。きっと。

#エッセイ #恋愛 #片思い #結婚 #お酒 #フィクション #ノンフィクション

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saku

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