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「ブス」は可能性

自分の顔が、大嫌いだった。
自分の顔を見るのが、死ぬほど辛かった。
どうしてこんなに醜いんだろう、どうしてこんなにブスなんだろう。鏡越しに自分の顔を見る度に、シクシクと泣いていた時期があった。
思春期真っ只中、周りが初恋に色めくあの頃、わたしは誰にも顔を見られたくなくて、目立ちたくなくて、下を向いて歩いていた。

小学校五年生の時、大好きで大好きで仕方がなかった男の子がいた。まだ恋の仕方も知らなかった青い時期。目が会うだけでドキドキしていた甘酸っぱい思い出。もう今でははっきりとは思い出せないあの淡い気持ち。
頭が良い彼に憧れて、対等に話ができる女の子になりたくて、毎週土曜日塾に行くようになった。面白い彼に釣り合う話がしたくて、テレビでお笑い番組を見て必死に研究をした。今思えばかなり必死で重たかった。それくらい夢中で、大好きだった。
勇気を出して告白をして、わたしのことを好きだと言ってくれたあの日から、毎日楽しくて学校が大好きになった。
仲が良かったはずなのに、確かに好きだと言ってくれたのに。
中学生になって一年ほど経ったある寒い冬の日、それは突然やってきた。
「あんなブス好きになるわけねえだろ」
彼が言う声に、手足が冷たくなった。何が起こったのだろうか。身体中がドキドキしているのに、頭が冷静な自分が惨めだった。泣けばいいのに泣けもしない。
ケタケタ笑う彼の取り巻きの顔は一人も思い出せないのに、その笑い声だけはしっかり耳に残っている。

中学生の頃、隣のクラスに超絶美人な「櫻子さん」がいた。背も高くて、スタイルも良くて、笑った顔が可愛らしくて、きっとあの頃誰もが憧れていたと思う。
同じクラスの悪ガキが「まじであいつ可愛いよな。こっちの桜子とは大違い」と言って大笑いをしていた。
確かあの時、わたしは聞こえなかったふりをして日誌を書いていた。その声ははっきり聞こえていたけれど、顔を上げるのが怖かった。自分の存在が無くなってしまえばいいと願いながら、震える手で書いた下手くそな自分の字を見つめていた。

顔が全てだ。顔だけが大事なんだ。
その時のわたしには、それ以上自信を持って言えることはなかった。
可愛い女の子はそれだけで価値が高くて、ブスには真っ当な権利もない。人は綺麗なものには優しいけれど、崩れた欠陥品には見向きもしない。醜いものはいつのまにか端に追いやられて、静かに始末される。
わたしの恋心も、授かったこの名前でさえも「ブス」という理由で粉々に砕けていくようだった。何か悪いことをしていたなら教えてほしかった。この顔を持って生まれたのは、前世で何か大きな罪を犯した十字架なのかとさえ思った。
恋をするのは怖くて、好きの先に踏み出す勇気はとっくに無くなっていた。「どうせわたしはブスだから」が決まり文句になって、なにをするのにも怯えていた。毎日死にたかった。

整形をしようと覚悟を決めて、前金まで払ったことがある。
自分の顔が嫌いで、鏡を見るたびに逃げ出したくて、このまま下を向いて生きていくくらいなら、いっそ思い切って作り変えてしまおうと思った。
無料のカウンセラーを何度か受けて、具体的にどのパーツを治したいのかを相談した。「実はわたしも整形したんですよ」と、整った顔で笑うカウンセラーのお姉さんが人形みたいに見えた。綺麗すぎる笑顔に、しわのない顔に、今まで感じたことのない恐怖を感じた。
整形をする時には、施術の前にいくらか前金を振り込む必要がある。
その時のわたしにとってはかなり高額な金額だったけれど、お金で「自信」が買えるなら安いものだと思った。
この苦しい人生とおさらばできる、そう信じていた。

なのに。

施術の前日。明日にはついに可愛い顔が手に入る。待ちわびた瞬間を迎えるその日、確かに私はウキウキな気分だったはずなのに。かわいくなって見返してやろうと躍起になっていたはずなのに。


お母さんの顔を見て、涙が止まらなくなった。


もう訳がわからなかった、辛くて辛くて、訳がわからないけれどただ涙が流れた。「ごめんなさい」の気持ちが溢れた。何に謝ろうとしているのかもわからなかったけれど、とにかく「ごめんなさい」でいっぱいだった。
このままブスで生きていくのも辛い、でもこの顔を変えてしまうのも怖い、動けなくてわからなくて、ただ全身で泣いた。

ブスはブスなりに自分の顔に愛着がある。生まれ持ったこの自分だけの顔に、愛おしさは少なからずある。
わたしも多分、そうだった。誰がわたしの顔をバカにしようとも、これまでの人生はすべてこの顔で歩んできたものだ。笑うのも泣くのも、この顔がなければできなかった。
手放そうとした瞬間に気づいた。お金を払って可愛くなれたとして、この顔がこの顔じゃなくなったとしても。
わたしはこのままでは幸せにはなれないと。優越感と少しの自信は得られるかもしれないけれど、そこまでだと。不思議とそう確信した。

「どうせ私はブスだから」
そう言うことでどんなことにも言い訳ができた。失恋にも、いじめにも、ブスを言い訳に向き合おうとしてこなかった。だってそうしていればそれ以上なにも考えなくて済むから。
全てはこの顔のせいだ。そう決めつけて自ら変わることを放棄していた。ブスを理由に、自分の心の中の本当の想いから目を背けていた。

前金を払った美容整形外科には、お金は返していただかなくてもいいから、整形はしないということを伝えた。
それ以上の言及はなく、あっさりとそこで整形の道はなくなった。消えていった前金に、後悔はあまりなかった。

「私はブスだから」
そう言って自分の顔から逃げる前に。
この顔を整形する前に。
今できることから努力しようと決めた。
まずは、自分の肌に合う色を知ることから始めようと思って、安いアイシャドウをいくつも買って色の研究をした。眉毛の描き方、まつげの上げ方、自分の肌の特徴。全部全部勉強した。
今までどれだけ勉強してこなかったかを実感した。お洋服も髪型も、勉強すればするほど楽しくてワクワクした。
自分の顔が変わっていくのが楽しかった。見てこなかった世界に、向き合ってこなかった自分の身体に、丁寧に接してあげる大切さを知った。
自分の顔を真正面から見ることにした。これが私の顔なんだと、強く言い聞かせた。これまでもこれからも、これが自分の顔なんだと。
ファッション誌を何冊も読んだ。人への魅せ方、メイクのトレンド、一から全て勉強した。わたしのおしゃれは全部雑誌から吸収したものだ。だから今でもファッションマガジンは大好きで大切だ。
前よりも自分の顔が好きになれた。これが私の顔なんだと、前を向けるようになった。

おいしいケーキには、それなりの理由がある。素材はもちろんだけれど、材料の混ぜ方、デコレーションのノウハウ、全体の色調、すべてが考えられて作られている。
そしてそれを作っているのは、何度も失敗を重ねて、おいしさの勉強・練習をしてきたパティシエだ。勉強と練習がなかったら、ケーキは作れない。
自分をドレスアップしてあげる力は、磨かなければ得られない。諦めて何もせずに泣いているだけでは変化がない。変わりたければ自分の手でその方法を得るしかない。あなたの可愛さは、あなたしか作れない。

小さな目標から始めれば、それがいつか「自分」になる。「1日100回腹筋をする」、10日続けられたら1000回だ。「毎日朝晩全身をマッサージする」、毎日自分の体を触っていたら、小さな不調にもすぐに気づける。
そうして小さな目標を積み重ねて、未来の自分になっていく。今この一瞬が、明日、明後日、この先の自分を造っている。努力するかしないか、どちらかを選ぶかはもう一択だ。

「どうせ私はブスだから」
その卑屈さが、可能性を消している。その弱さが、かわいさを遠ざけている。あの頃の私に、説教をしたい。卑屈満載で死にたがりの私に、会いに行きたい。
ブスだといわれたことをマイナスに捉えるのは、もったいない。これからどんどん可愛くなれる可能性があるんだということ、忘れないで生きていきたい。
未完成なものだから、磨けば光るのだ。不完全だから愛おしいのだ。
自分の顔くらい、自分で愛してあげたい。
そして、大切に丁寧に扱ってあげたい。
大切にされたものは、価値のあるものになる。丁寧に扱ったものは、キラキラ輝く宝石になる。

男性にお願いだ。
自分の彼女に間違っても「ブス」と言わないでほしい。ノリでもやめてほしい。本心でなくともだ。
言われた通りに女は変わる。褒められれば綺麗になるし、蔑まれれば卑屈になる。
あなたの言葉次第で彼女はかわいくもブスにもなる。

絶対に大丈夫だから。
誰かに「ブス」だと言われたら、自分にはまだまだ可愛くなる余地があるってこと。
まだまだ可能性があるんだってこと。
それを忘れないでほしい。
わたしは忘れない。
もう負けない。

全ての女性が、自分の顔を愛せますように。

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