見出し画像

その一杯とキャラメルソースに、愛を込めて

学生時代、3年間スターバックスでアルバイトをしていた。早朝4時半に起きて出勤し、6時半から15時まで働き、そのまま大学へ行くというなかなかドMな生活をしていたが、今思えばあの日々が一番の青春かもしれない。大人になって思い出を整理できるようになった今、改めて昔のことを思い出してみても、スタバに勝る熱い記憶はあまりない。

夢だった編集の仕事をし、こんなふうにつらつらと長ったらしい暗い記事を地味に書き続けるわたしだが、意外なことにも、めちゃくちゃ元気に働くキラキラした(今よりはだいぶフレッシュだっただろう)元スタバのお姉さんなのである。就活の面接でしつこいくらいに聞かれたが、「学生時代に夢中になったことはなんですか」という問いに、わたしはすぐに「スターバックスでのアルバイトです」と答えていた。大体の人は「うわー!ぽいね!」とそれなりにリアクションをしてくれて、わたしはその返しが嫌いではない。卒業した今でも、スターバックスがわたしにとって大切な場所であることに変わりはないので、「スタバのお姉さんっぽい」というのは褒め言葉なのである。好きな場所にいそうな人だなんて、なんだか嬉しい。

スタバでアルバイトをしたいと思った理由はいたってシンプル。「わたしもキラキラしたスタバのお姉さんになりたい!」という憧れからであった。
吹奏楽部を引退して、大学受験に向けて本格的に勉強をするようになった高校3年生のはじまりから、わたしはスタバに通うようになった。それまではコーヒーすら飲めず、漂う香ばしい香りさえも苦手だったほどであるが、ある日友達に誘われて入ったお店で、その魅力を知ることになる。試飲したコーヒーとチョコレートスコーンのペアリングに感動して、キャラメルフラペチーノの優しい甘さに一気に虜になり、なによりもその空間に惹きつけられた。レジの向こうにいるパートナーさん(スターバックスでは、従業員のことをパートナーと呼びます)が全員キラキラしていて、自分の仕事を楽しんでいるように見えた。気さくに話しかけてくれて、優しい笑顔で「お勉強頑張ってください」と言いながら、こちらに渡されたトレイには、ドリンクと小さく切られたクッキーがのっていたりするもんだから、惚れずになどいられない。

机があって人の気があって、うるさくないほどに雑音があるそこは、わたしにとっていつのまにかサードプレイスとなった。家でも学校でも塾でもなく、でもなんだかそこにいると安心をする。高校生だったわたしにとって、スターバックスでの一杯はとても高価なものだったけれど、お小遣いのほとんどをスタバに使うくらいには好きだった。受験時代はほとんど遊びにいくこともなかったから、カフェにお金を使うことにそれほど抵抗もなかったのだろう。偏差値43の底辺だったわたしが早稲田に合格できたのは、スターバックスで過ごす時間があったからと言っても過言ではない。

今でも、スターバックスは大切な場所だ。嫌なことがあれば、フラッと1人で近くのお店に入って、ぼーっとしてみたりする。なぜだか落ち着く。不思議な魅力がそこにはある。

わたしは、朝に働くのが好きだった。4時半に起きないと出社に間に合わず、当然バイトの前日は飲みになんていけなかったけれど、朝のシフトが大好きだった。

出勤前のサラリーマンやOLの方々、これから買い物に出かけるマダム、ランニング帰りのスポーツマンなど、いらっしゃるお客様は様々。1日の始まりに、お気に入りの一杯を求めてお店にやってくる彼らと、カウンター越しにたわいもない話をする。コーヒーについてはもちろん、今日の天気やニュースについて、さらに久しぶりにシフトに入った時なんかには、「元気にしてた?会いたかったよ」なんて声をかけてくれたりする。

ラテを作りながら、「今日もお仕事頑張ってくださいね」とお客様に声をかけると、「大事なプレゼンの前で緊張してるんだよね」と、心の内を話してくれる。そんな大事な日に少し早く出社してお店に来ようと思ってくれるなんて、嬉しさで胸がいっぱいになる。スリーブに応援のメッセージを書いて、「きっと大丈夫です!」と一言添えて、ラテをお渡しする。

この一瞬が、この何気ない数分間が。明日につながる気がするのだ。お客様がお店に入る前に感じていたちょっとした緊張も、憂鬱も、嫌なことも。できたてのおいしい一杯と何気ない会話を通して少しでも無くなれば、小さいけれど確かな幸せが生まれれば、ドリンク一杯以上の何かを届けられる気がするのである。
目の前のお客様と時間が重なることがこの上ない奇跡であると、わたしは常に思っていた。去っていく背中に見える今日という一日への覚悟に、バリスタとしてわたしが届けられるのは、「いってらっしゃいませ」の言葉と、ハートのラテアート。わたしの精一杯の心を込めて、お客様を見送るのだ。

スターバックスを卒業して、2年半が経った。わたしは社会人3年目で、日々仕事に追われながらも、しあわせな生活に有難さを噛み締めている。勤めていたお店には、当時一緒に働いていた仲間と一緒にコーヒーを飲みにいくこともあるし、仕事帰りに居酒屋でお互いの近況報告をすることもある。

そんなある日のこと。お世話になったお店の店長が異動するとのことで、同期のみんなと共に久しぶりにお店へ遊びにいった。
店長がわたしに会うなり「あの時のこと、今でもお店のみんなに伝え続けているんだよ」と言った。その日、その出来事が起きた日、店長はお店にいなかったけれど、一緒にいたパートナーが報告をしたらしく、その話は一気にお店に広まった。「お客様がさくに会いたがっているから、たまには朝にもおいでよ」と言った店長は、昔と変わらず優しい笑顔で笑った。

その話をされると、私はいつも照れくさくなってしまうのだけれど、わたしにとっても忘れられない、大切な思い出。スターバックスで働くということ、お客様と繋がるということ、心を込めるということ。時が経った今でも心に残る、暖かい一瞬。

あの時のこと。

毎朝、開店から20分ほどしてからいらっしゃるお客様がいる。スラリとしたボディに、全体的にいつも黒色の装いをした、新宿の朝が似合う素敵なマダム。入り口近くのハイテーブルに座る彼女のお気に入りは、ディカフェのコーヒーとチョコレートスコーンだった。
お客様がいらっしゃるのを確認したわたしは、ディカフェコーヒーの抽出準備をはじめる。できたてのコーヒーを少しでも早く、最もおいしい状態でお渡しするのがバリスタの使命である。どのお店に行っても同じクオリティで「おいしい」を提供するのはスターバックスでは当たり前のことである。私たちは、プロなのだ。

その朝も、お客様がいらっしゃった。コーヒーフィルターを片手に持ちながら、わたしは「おはようございます」とカウンター越しに挨拶をする。
荷物を置いてこちらにやってきた彼女は、なんだか顔色が悪くて、苦しそうな顔をしていた。活力がない。
彼女と初めて会った人は、その異変にはきっと気づかない。気づいたとしても、お客様相手に突っ込むことを戸惑い、放置する人だっていたかもしれない。見て見ぬ振りなんて、いくらだってできた。
だけど、ほぼ毎朝、毎日お店に来てくださり、その都度お会いしていたわたしにとって、彼女の異変は見過ごしていいものだとは思えなかった。

いつものように、ディカフェコーヒーとスコーンの注文。私がレジを離れてスコーンを取りにいくその間、彼女は俯いたまま口を開こうとしない。オーダーは済んでおり、もう用がないはずであろうメニューを、ただじっと見つめている。やっぱり、変だ。

お会計を伝えて、コーヒーをカップに注いでいるときに、ふと思った。

「わたしは、これでいいんだろうか」

こんなに毎日のように顔を合わせているのに、何度も会話をして1日の始まりを共にしたというのに。パートナーとお客様という壁を、こんなとこで自分で作っていいんだろうか。そもそもそんな壁など初めからないはずなのに、このお店を一歩出ればそんなしがらみはなくなるはずなのに、このままわたしは目の前にいるお客様から逃げるのだろうか。このままわたしは、コーヒーとスコーンだけを売る機械になっていいんだろうか。
そう思ってしまったらもう止められず、わたしはついに聞いてしまった。
「今日、なんだか元気ないですね」

そう言った瞬間、ハッとした顔をした彼女が、みるみるうちに顔を歪めて、今にも泣き出しそうな表情になった。
「何十年も寄り添った愛犬が……。病気になってしまったんです。昨日病院に言ったら、もう長くないって。今朝は何も食べてくれなくて。わたし……」
目をうるうるさせながら、それでも滴を垂らすことなく、少し掠れた声でそう呟いた。どれほど悲しいのか、どれほど苦しいのか、その姿から痛いほど伝わってくるけれど、私が思うよりもずっと、彼女は悲しんでいるのだろう。わかったつもりで話を聞くだけしかできなくて、もどかしくなった。

スコーンとコーヒーをのせたトレイ。それを渡せば、わたしのレジでの役割は終わる。
というその間際。あ、と突如思いついたわたしは、お皿を一枚手に取り、バーカウンターへ向かった。
それは、本当に思いつきだった。
お皿にキャラメルソースで犬の絵を描き、「元気出して!」とメッセージを添えた。到底うまいとはいえない、その落書き。
「こちら、よろしかったらどうぞ。きっと大丈夫です。絶対に」
ありきたりな言葉しかいえず、持ってきたお皿をおそるおそる目の前に差し出すと、
彼女は、泣き出した。

果たして自分がやったことが正解なのか、むしろ追い討ちをかけてしまったかもしれないと後悔までするくらい、何が起きたか数秒間はわからなかった。
ただ、泣きながら彼女が、「ありがとう。ありがとう」とわたしに感謝の言葉をくれたから、少しずつ安心できた。
「ここにきてよかった。さくさん、ありがとう」涙まじりの笑顔でわたしを見てくれて、心がギュッとなった。彼女にお渡ししたコーヒーにもスコーンにも、ありったけの思いはつめたけれど、その思いが少しでも伝わった気がして、サービス以上の何かが届けられた気がして、切なくなった。

その数日後。彼女は健康そうな笑みを浮かべ、再びお店にやってきた。すっかり犬の体調が戻ったとのことで、快気祝いに大量のおいしいお菓子をお店に持ってきてくれた。何が起きたかわかっていなかった店長やその他のパートナーは少し驚いていたけれど、そのことを知ってみんなほっこりしてくれた。
さくさんには特別に!お礼よ!といって、何千円もするマカロンセットをプレゼントしてくれた。わたしが好きなものをなぜ知っているのか、やはりさすがだなと思いつつ、もったいなくて賞味期限ギリギリまでマカロンは食べられなかった。若干硬めになってきたころ、ようやくかじったそれは、あの日のわたしが出したほんの少しの勇気のおかげで、より甘く感じられた気がする。

あれから2年半。お店を卒業したわたしは、一般企業に就職し、朝から晩まで働いている。ありがたいことに、なかなかに多忙な毎日を送れるくらい活躍させてもらっているから、朝にお店に行けるチャンスがなかった。

そんな矢先、冒頭の店長からのお話もあり、出張前の早朝に、景気づけにお店に寄ってみた。ドキドキしながら朝のお店に入ると。
あの日と変わらず、あの席に、彼女がいた。いつも座っていたハイテーブルに、黒いお洋服を着た彼女が、いた。

ちょっとずつ近づいていくと、彼女もわたしに気づいたようで、そんな顔今まで見たことがないぞというほどに大きな口を開けて驚いた。うわアァァァ!と叫びそうなほど。人は本当に驚くときっと声が出ないのだ。
「さくさん!!!そんな!会えるなんて」
嬉しそうに、驚きながら小声で叫んだ。今どんなお仕事してるの、元気なの。お互いの近況報告をしている中で、あの日の愛犬の話になった。
「実は、あれから数ヶ月後に、眠るように亡くなったの。でもあの時、さくさんに元気をもらったこと、ずっと忘れられなくて、会いたかったんです。
このお店には何年も通っていて、何度も顔を合わせてきた店員さんもいるけれど、フルネームでお名前を覚えているのは、きっとあなただけよ。
今日、愛犬の仏壇の前で、お話をしたばかりなの。あの日もらったお皿、写真を撮って壁に貼ってるのよ。帰ったら、さくさんに会えたことをあの子に伝えてあげなきゃ。

本当にありがとう。
あの日さくさんがいてくれて、よかった。
助けてくれてありがとう

どうしてもお礼がしたいと言う彼女に甘えて、出張の新幹線で食べるように、スタバのスイーツをいくつかご馳走になった。また絶対会いましょうという約束と、もう私たちは友人よね、とお茶目な会話。あの日、戸惑って勝手に作っていた壁なんて、どこにもなかった。
わざわざエレベーター前までお見送りをしてくれた彼女。嬉しそうに、寂しそうに手を振る姿が、目に焼き付いている。

救われたのは、わたしのほうだ。

あの日彼女を救ったのはわたしかもしれないが、
今のわたしを救ったのは、彼女だ。

毎日毎日、少しずつすり減っていく心に、無くしそうになりそうなちっぽけな夢。
成功したって失敗したって、何したってどこかで誰かに嫌われて、嫌われてもいいやなんて思いながら上を目指したところで、仕事の成功にてっぺんなんてない。貪欲に成功を求め、結果が出れば出るほど、わたしは孤独だ。
結婚をしていく友人に、「おめでとう」以外の言葉をかけることができない。他にも何か話したかったはずなのに、結婚という女としてのゴールをしたらしい彼女の話を、いつのまにか真面目に聞けなくなった。
好きなものを、好きだと言えなくなってしまった。そもそも、好きってなんだったのかさえ、わからない。あんなにやりたいことがあったのに、やってみたかったことがあったのに、それになんの意味があるかもわからなくなってしまった。
明日生きるのに必死で、今日などどうでも良くなった。今日が明日の積み重ねなんて綺麗事だ。今日は今日でしかない。

目の前のお客様に、その一杯に、できる限りの心を込めて仕事ができていたわたしは、もういない。どこかにいたのに、いつのまにかいなくなった。
それなのに。
彼女の思い出にわたしはいる。彼女がスターバックスを思い出したとき、このお店にきたときに、わたしの顔が確実に浮かぶのだろう。彼女にとってのスターバックスは、わたしだ。
この世界には、いまやこんなにもスターバックスの店舗があるのに、コーヒーを飲める場所はたくさんあるのに、それでも彼女はこのお店に通う。その奇跡に、わたしはなんだか泣けてきて仕方がないのだ。

本当にたまに。スターバックスで働いていたあの時代に、戻りたくなるときがある。人として、人を相手に、人だからこそできるあの仕事を、愛を込めてできる自分の仕事に誇りを持ちたくなる瞬間がある。
でも、そう思うときは必ず、わたしはいまの自分から逃げたいだけなのだとわかっているから、決してその道を選ばない。大切だったあの場所に、逃げ帰るなんて、嫌なのだ。

できることがあるのならば、好きだという思いでスターバックスと関われるのなら、スターバックスの魅力をより多くの人に伝えられるような、内部ではできない仕事ができればとさえ思っている。その想いを抱え、諦めずにいたからこそ形にできた、編集の仕事をしてきたからこそ作れたとある一冊があるくらい。その一冊に、ありったけの愛を込めた。
わたしは、スターバックスが大好きなのだ。

そこにいてくれて、ありがとう。
わたしを覚えていてくれて、ありがとう。
わたしの存在を、消さずにいてくれてありがとう。
ありがとうと言ってくれて、ありがとう。
側からみればエゴでしかないあの日のわたしを、無くさないでいてくれてありがとう。
あなたの言葉に、救われました。冷え切ってズタボロだった、冷凍された心が。暖かいぬるま湯で優しく溶かされていくような、そんな気がしたのです。

彼女の思い出にも、そしてこれからもそこにあるかもしれないあのお店にも、わたしはずっと生きている。
あのキャラメルソースのお皿が、お渡しした一杯が、彼女の今までとこれからの架け橋となり、わたしの未来へも繋がっていくのだ。
仕事に心なんて込めなくてもそれなりに働ける毎日で、あの日の小さな思いがあったから、今あるものが確かにあるのだ。このタイミングで彼女と再会できたことにも、何か意味があるのだろう。その偶然を、運命に変えるのは、わたしだ。

おもてなしは、心でしかできない。
繋がりは、繋がろうとしないとできない。
人として働くことを忘れず、人を相手にしていることを忘れず。
これから先、どんな仕事をしても、そのことを忘れないでいようと心に誓った。

コーヒー一杯以上の何かを。
キャラメルソースで繋がった彼女と愛犬へ。
愛を込めて。


#君のことばに救われた #エッセイ #仕事 #スターバックス #スタバ #接客 #コーヒー #スターバックスコーヒー #コラム


いつも応援ありがとうございます。