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【連載小説】「青く、きらめく」Vol.12第二章 海の章

 あの夏も、そうだった。
 本家に集まらないか、という話が持ち上がった夏休み。確か、おばあちゃんの三回忌か七回忌か、マリの記憶は定かではない。マリは小学五年生だった。
本家には、小さい頃から何度か遊びに行ったことがあった。マリの家から車で一時間ちょっと。海の見える小高い丘の上にある、木造の家だった。庭には、木々が生い茂り、みんみんとセミが鳴き立てていた。いろんな花や草が生えていた。その庭で、マリは何度かいとこや親戚の子たちと遊んだ。
 翔ちゃんが一番年長で、その妹の広美ちゃん、それから本家の拓馬くんと勇人くん。鬱蒼とした庭は、格好の遊び場だった。かくれんぼや、無人島ごっこなんていうのもやった。これは翔ちゃんが考えた遊びで、その庭を無人島とみなして、海賊と戦ったり、島の獣と戦ったり、木の実を採ってきたりする遊びだった。

 海にもよく行った。貝を探したり、波と追いかけっこをしては、はしゃいで遊んだ。幼い頃のマリは、おかっぱ頭で日に焼けて、天真爛漫な子どもだった。
小学五年生になったマリは、髪も伸びて、昔ほど日に焼けていない。背が急に伸びて、どっちかというと大人しく見られるような少女に成長していた。
「マリちゃん、久しぶり! まぁ、すっかり女の子らしくなって」
 翔ちゃんのお母さんが明るい声で笑いかける。
「お久しぶりです」
 ぺこりとおじぎをして、顔をあげると、うす暗い和室の奥に、久しぶりに会ったいとこの姿があった。中学一年生になった翔ちゃん。確か、家から離れた私立中学校に入った、とお母さんから聞いたっけ。
 翔ちゃんは、ちらっとマリを一瞥すると、少しきまり悪そうに視線をそらし、頭を下げて和室から出て行った。
「お母さーん。私のリュック、どこーぉ?」
 庭にかけこんできた広美ちゃんは、四年生。相変わらず活発で、昔からの印象と変わらない。マリを見るとぱっと顔を輝かせて走り寄って来た。
「あ、マリちゃんだー」
 その人懐っこさが、マリを安心させた。
 法要が終わったあと、広美ちゃんと拓馬くんと勇人くんと海へ行った。ビーチパラソルが、そこここで風にはためいて、海は大賑わいだった。きらきらした波しぶきが足を洗う。最初は、照れているのか何となくよそよそしかった拓馬くんや勇人くんとも、すぐ昔のように打ち解けた。幼い時、遊んでいた感覚もよみがえってきた。頭がくらくらするほどに、太陽はまぶしかった。
 夕食の後は、縁側で夕涼みをした。夏も盆の頃になると、早くも秋の虫が鳴き始める。まったりとした空気の中で、スイカを食べる。広美ちゃんは庭にぺっぺっと種を飛ばしている。翔ちゃんの姿はなかった。そういえば、海にも来なかった。
「食べないって。なんか中学生になってすっかりつれなくなっちゃって」
 おばさんが、小さくため息をつきながら縁側のある部屋へ戻って来た。
「そういう年頃だな。親戚とか家族の団らんとかが急にうっとうしくなる年齢だよ」
 翔ちゃんのおじさんが煙草に火をつけながら言う。紫の煙が、夏の庭にたゆたっていく。ふいに、マリは煙にむせた。
「あ、マリちゃんごめんごめん、あっちで吸うよ」
 おじさんは縁側のゲタに足を通し、庭へ出て行った。
 ひんやりとした畳の和室は、自宅とはまた違って寝心地がいい。特に、夏の暑いさかりには。本家のおばさんが一面に敷いてくれた布団の上を、ごろごろっと転がる。布団も、夜気にさらされて、ほんのり冷たく気持ちがいい。どこからか、うっすらお線香の匂いがする。久しぶりにかいだ、この家の匂い。昼間の法要や海遊びの疲れから、すぐに寝に落ちた。


 何か違和感を覚えて、ふと目が覚めた。マリは、自分の体に沿って、だれかの体温を感じた。母や父とは違う、別の誰かの。思わず、むくりと体を起こした。その瞬間、自分に寄り添っていた体が反応し、飛び起きて、唐紙の戸の向こうへ消えた。うす暗い中だったが、逃げていく白いTシャツの後ろ姿が見えた。
 ――翔ちゃんだ。
 半分寝ぼけた頭で、でもはっきりと、そう思った。マリは、再び、タオルケットをかぶったが、なかなか寝つかれなかった。
 翔ちゃんは、私にひっついて何をしていたんだろう。あるいは、何をしようとしていたんだろう。正体不明の、モヤモヤした恐怖が足の先から背中に上ってきた。そのまま朝まで眠れない感じがした。眠るのが怖い感じが。


 いつの間にか眠ってしまっていたらしい。気づくとすでに日はあたりを明るく照らし、いつもと変わらない夏の朝が来ていた。マリは、顔を洗って、座卓の席について朝ごはんをいただいた。遅れて翔ちゃんたちの一家も朝ごはんにやって来た。翔ちゃんは、昨夜逃げたときと変わらない白いTシャツを着て、何食わぬ顔でごはんを平らげていた。しかも、二杯も。
マリは、急にげんなりと食欲がなくなってしまい、もうごちそうさま、と言って箸を置いた。海の音が聞きたい。ごはんを終えてひとり、縁側でひざを抱えて耳を澄ませた。けれど、風は海の音を運んできてはくれなかった。
 あれからだ。きらきら輝くマリの夏は、終わってしまった。庭の草木も、にぎやかな海も、全く変わらず輝いているはずなのに、それはマリには別の世界に見えた。前は、マリに向かって、こっちへおいでよ! と両手を広げてくれているみたいに見えた海や草花も、少し、よそよそしく見えた。だから、マリも、もう無邪気な気持ちで、そこへ飛び込んでいけなくなってしまった。ちがってしまった。もう、前のようには。何もかも。
 表面上は、何も大きな問題はないはずだった。その後、マリは友達と楽しく残りの小学校生活を過ごしたし、中学校でもそれなりに楽しく過ごしていた。
 だが、時々、忘れたころによみがえるのだ。その夜のいやな感覚と、その朝の失われた世界のことを。
 カケルとは。カケルとは、どうなるんだろう。マリは、抱えたひざにそっと頭をのせる。
 今は、考えたくない。何も。
 遠くで波の音が聞こえる。月の光だけが、カーテンのすき間からやわらかくそそいでいた。

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→(Vol.13へつづく…第三章は美晴ちゃんです)


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