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大人になっても怖い

8月の中旬、白昼夢を見た。
たまっていた洗い物を済ませ、手を拭いている時だった。
部屋の奥、背後から天狗が駆け抜けていくのが見えて、
ああ、追いかけて来たんだな、と思った。

その晩、幻聴がした。
夫と娘が寝室に上がった後、
トイレでダラダラと携帯を見ていると、
突然、耳元で大勢のお坊さんが一斉にお経を読み始めたような音を聞いた。

無論、この二つの出来事は医学や科学で説明できると思ってる。
白昼夢は無意識の暴走で、
お経のような音はダクトを通って聞こえた外の音だろう。

しかし、頭でわかっていることとは裏腹に
到底力の及ばない何かに目をつけられたような気がして、
それ以降、日が落ちると一人で何もできなくなってしまった。

家じゅう、いたるところにある暗がりに目がいってしまう。
何かが見えては困ると全身に力が入り、開いた瞳孔で視線を散らかす。
トイレにさえ、まともにいけない日々。
こんな34歳、他にいるのだろうか。

とにかく暗闇に耐えきれないので、
夜にすべき一切の家事を翌日に持ち越し、
娘と一緒に寝室へ向かう夫の後を追いかける。

もちろん、普段夜更かし三昧の私が同じ時間帯に寝られるわけもなく、
娘が深い睡眠に入ったことを確認した後、
布団をかぶり、もう一度瞬きしたら眠りに落ちてしまいそうという感覚になるまでタブレットで映画やドラマを見続けた。

さぼりがちだった深夜の読書や勉強も全くしなくなってしまった。
そのことに罪悪感を覚えたが、しょうがないだろうと無理に開き直っていたような気がする。

ほどなくして体調を崩した。
薬の効かない頭痛に、食欲不振や就寝前の胃痛、
充分寝たにもかかわらず起き上がれないほどに重たい体。

日中の異常な暑さを避けるため、
家に籠りっぱなしだったのもよくなかったのだろう。
自律神経が完全におかしくなってしまったようだった。
普段も必要最低限の家事と育児しかしていないのに、
それさえ危うくなってしまった。

早く治そうと、これまで以上に活動を抑え、
やらなければならないことにさえ手をつけない毎日を送るが、
一週間たっても、体調は良くならなかった。
それどころか、少しずつ悪化する始末で、
暇さえあれば横になりたいと思うようになってしまった。

そうなってくると、
今度は体だけではなく、心も不健康になっていった。
本当にどうしようもない人間だと自分を責め、
34歳にもなって、こんなしょうもない生き方しかできず、
家事育児さえままならないというのに、
これから先、専業主婦を卒業して社会復帰ができるのかと不安になった。

頭がぼんやりとして、失敗や物忘れが増え、
余計に自分のことが嫌いになっていった。
挙句の果てには、現在のことで自分を責めるのでは飽き足らず、
過去の出来事までがフラッシュバックするようになり、
その時の気持ちで胸が締め付けられ、
私が失望させてしまった人たちや、
私をぞんざいに扱った人たちの顔が頭から離れなくなってしまった。

テレビを見ていても、娘と遊んでいても、
時計仕掛けのオレンジよろしく
頭の中の精神科で椅子に座わらされ、
めん玉をひんむかれ、
ひたすらに、最悪のつぎはぎ映像を見せられる。

その頃には、目に見える暗闇に対する恐怖は薄れ、
目を開けていようが閉じていようが関係なくやってくる、
この暗闇のほうが怖かった。

次第に、この暗闇は自分の内側に高い密度の重力となって存在するようになった。
立っていられないほど体が重く、一日中リビングに敷いた布団にめりこむ毎日。

そんな状態が1週間ほど続いただろうか。
私もアレックス同様、この永遠に続く暴力的な映像に拒否反応を起こすようになった。
もう耐えきれない、一刻も早くここから逃れたいと思わずにはいられなかった。

そして思い出したのが、輪ゴムを使ったコーピング。
ネガティブな考えが頭をよぎったとき、飲み込まれる代わりに腕につけた輪ゴムを弾くというものなのだが、半年くらい前に見たドラマで知った。
その時は自分には関係のないものだと思っていたが、
ふいに思い出してやってみると、
これが、恐ろしいほど私にはよく効いた。
嫌な出来事がフラッシュバックして、自分を責め始めたらパチンと輪ゴムを弾く。
すると、意識が頭の中から現実に戻ってきて、あの椅子と簡単におさらばできるようになった。

幾度となくパチンパチンと弾いてるうちに、フラッシュバックの回数も減り、だいぶ心の調子も元に戻ってきた。
最初の飢餓めいた「逃げたい」という気持ちは落ち着いて、
しんどいけれど動くしかないと思えるようになった。

自律神経を整えるため、
20年来食べない朝食を食べ、
暑いからと敬遠していたお風呂につかるようにした。

栄養ドリンクやサプリにも手を出した。
(普段あまりこういうものに手を出さない。
 なんだか私みたいに芯のないふわふわした人間は
 中毒のようになってしまいそうな気がして…)

すると次第に、皿洗いができ、洗濯ができ、と
できることが増えていった。
週一回の仕事でもそれなりの成果を出すことができるようになった。

まだ回復の途中で、しんどさや頭のモヤは残っているし、
残っているそれらのせいで失敗すると落ち込むが、
うまくできない自分を抱えてなんとか動いているほうが、
じっとしているよりもまだ救いがあると思う。
もう二度とあの精神科には閉じ込められたくないと
藁にもすがる思いでこの文章を書いている。

改めて、今回の出来事をとらえなおしてみると、
天狗が見せた暗闇は、何もできないくせに頑張りもしてこなかったみじめな自分の姿だったのかもしれない。
余計にだらける罰を与えることで、それが何を導くのかを見せてくれたような気がする。
読経するように心を無にして、今ここだけに集中すべきだという、天狗が出してくれていたヒントにもっと早く気づけたらよかった。

気づけなかったために、
何度も何度も暗闇の方へにじり寄ってしまった。
暗い暗い底には無数の腐った自分がうごめいている。
めいめいがただれ、うめき、もだゆ。
あまりの恐ろしさに足がすくんで動けなくなってしまうが、
私はまだまだ生きたいので、その暗闇に目をつぶり、足元にだけ感覚を集中させ、なんとか立ち上がり、重い重い一歩を踏み出していきたい。

おしまい。

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