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与えられた身体、歩んできた身体

体は使うと衰えるのか。
そんな当たり前のことに気づいたのは、一年前の春。
産院から自宅へ帰り、シャワーを浴びていた時であった。
体はすでに洗い終わっており、鏡は湯気で曇っていたのだが、ふと大仕事を終えた自分の体がどうなっているのか確かめたくて、好奇心でその表面を拭った。
子の成長に合わせて伸びた腹。
不安定に広がりきった骨盤に、乳腺の発達で不気味に四角く強張っている胸。
妊娠中はお腹にばかり目がいって気づかなかったが、腕や腿にもしっかりと肉がついていた。
つわりが開けた後、常に空腹感に苛まれ、儘よと食べに食べていたからだ。

若い頃は使えば使うほど、引き締まるものだった体。
一時的に太ったところで、季節が巡れば勝手に痩せた。
だからなのか、人生で1番だらしないこの体がが受け入れられなかった。
噂には、産んでも元には戻らないとは聞いていたが、いざ目の前にするとなんとも言えない気持ちになった。
確かに自分の体を見つめているはずなのだが、鏡に映ったその体はどこか遠くにあるように感じた。
きっと、本能として、自らの旬が過ぎ去ったことを実感し、気が遠くなったのだと思う。
決して美しい体ではなかったが、それなりに気に入っていた若い女性としての体が、たった1年足らずでしっかりと中年女性の体となっていた。
もう誰からも女性としてみられることはないだろうと悟った。
深く愛してくれている夫でさえも、そう見ることはないと思った。
かけがえのない1人の命をこの世に送り出した自分であったが、不思議と誇らしくは思えなかった。
さらに日を追うごとに体はボロボロになっていた。
胸の先はくすみ、萎れて垂れ下がっていく。
髪の毛は抜けてパサつき、白髪も増えた。
妊娠中、娘の心臓のお陰でよく巡っていた血も、睡眠不足で完全に滞り、顔色も悪い。
歯を磨く気力すらないのに、肌のケアができるわけもなく、たまに塗る化粧水は痛いほど滲みる。
そして、私には落ち着きたいときに自分の下唇を噛むという悪い癖があるのだが、大人になってからは寝る前しかしなくなっていたのに、出産後は幼少期のように一日中噛むようになってしまい、歯が前に出て隙間が開き始めてしまった。
父に大金をかけて歯の矯正をしてもらったにも関わらず、台無しにしてしまった。
そして、街なかや画面越しに、綺麗な人や若い人を見れば、自らの過去を振り返ったり、羨望の眼差しをむけた。自分でも笑ってしまうが、そんな中で前歯が開いている人を見つけると安心した。

人生で初めて、若さや美しさに執着している自分に気づいた。
そういうものに無頓着だと思って生きてきたので、心底驚いた。
実際に、大学を卒業したばかりの私は、会社の飲み会で緊張のあまりお酒を飲み過ぎてしまい、何の拍子か忘れたが、上司に「皺を恥ずかしがる女性は多いですが、その人が生きてきた証なので何も恥ずかしがる必要はありません。立派なものなのです。」と宣った記憶がある。
若造に何が分かると頭を叩かないでいてくれた上司の懐の広さに、どうお礼をいっていいかわからないのだが、浅はかで恥ずかしくて堪らないと思う反面、一理あるかもしれない、と思ったりもする。

今は、年齢的に、与えてもらった体と、歩んできた体の比重が変わる時期なのかもしれない。
見えないふりをしてきたが、妊娠・出産でそれがはっきりと目の前に現れたのだと思う。
きっとこれからは歩んできたことがどんどん体や精神に滲み出てくるだろう。
だとすれば、過去を懐かしんだりするのも一興だとは思うが、今の楽しみ方を見つけ始めてもいいのではないだろうか。

茶葉は摘まれた後、揉まれて、発酵して、乾燥されてようやく紅茶になるらしい。
私は、与えてもらった体を謳歌し、イキイキとした葉だった時期を終え、
手探りの育児と社会との関わりの中で、身体を揉まれているところだと思う。
50代で上手く発酵できたら、60代で体も精神も成熟するだろうか。
80代くらいでは不要なものを削ぎ落として、甘くて苦い旨みだけになるまで乾燥されたい。
最後はいつになるかわからないが、みんなにいい人だったと、美味しく飲まれて終わりたい。
お別れのことはまだ考えたくないけど、そんなことを思った。

おしまい














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