見出し画像

【父の手を求めて⑤】 ―抱きしめられる、『安全』という治療―

(前回の話)

そして、私に、好きな人ができた。

彼に出逢って互いに惹かれ合い、ずっと前からお互い知っていた気持ちだね、と話し近しくなっていく中で、
私の中に相反する二つの感情が火花を散らして拮抗し始めたことに気づいた。
私は軽くパニックになり、眠れない夜を過ごし、何が起こっているかを考え続けた。
そこで見えてきたことを、相手に伝える必要があると思い、これまでの自分の男性との経緯をその人にすべて語った。
(今回この文章で書いたことは、大部分が彼に話した内容を土台にしている)


私が男性との関係が深まり身体の関係を持つことに恐怖を感じること、
同時に、そこに優しい手を切望して止まない肉体のニーズがあること。
私が今必要としているのは、圧倒的な、「安心・安全」な父の腕、父の手で、その中でとにかく私は、
赤ん坊の頃や3-4歳の頃、受けられなかった父のぬくもりと保護を、浴びせられるように受け取ることを欲しているのだと。
人の何十倍も何百倍ももしかしたら何千倍も、その安心・安全の毛布で、くるんでほしいのだと。
身体が触れ合う場面において、性的な意図が含まれる以前に、とにかく父が小さい娘を抱くように、抱きしめてほしいのだと思う、と。

まずはそれがなければ、おそらく私はそこから先に進めない。なぜなら赤子の自分、4歳の小さな自分が満足していないからだ。
幼児の状態で満たされていないのならば、精神は(身体は)思春期を迎え、成熟し、大人として関係を育んでいくことはおそらく難しいと思うから。

その人に語り始めた時から、ずっとずっと、涙がこぼれていた。
彼は私の長い物語を、ずっと頷きながら全て聴いて、丸ごと分かった、と言ってくれた。
満面の笑みで、本当に優しい目で、私を見てくれる人だった。
その目の奥にある優しさ、私がこれまで誰の中にも見たことのないものだった。
一気に年老いて、サンタクロースのおじいさんか、智慧の深い優しい老父になったような暖かい眼差し。
そして、本当に優しく暖かく、セクシャルな意図が含まれない、普遍的な愛情が込められた腕で、長い時間抱きしめてくれた。
抱きしめられた後は、ますます涙が溢れに溢れて止まらなかった。
しゃくり上げて、泣き続ける小さい娘を、大きな掌で撫でながら慰めてあやし、
「大丈夫、もう、安全だから。安全だから」と、ただ繰り返し声をかけ続けてくれる、
その人は「父」だった。

そうして声をかけ続けてもらい、長い時間抱きとめられて涙を流しながら、
やっと、自分の中の大きな塊が、溶けていくのを感じた。

私の中の、0歳の赤ちゃんが。4歳の小さな少女が。
やっと、安心して溶けていった。

とめどなく涙を流して、身体の中の水が循環し強ばっていた身体はゆるみ、ほどかれていった。

もう、いいのだ。

私が、長い間1人で背負ってきた荷物を、降ろし、自分なりに孤独に戦ってきた日々に、1つのピリオドを打てたようだった。


私の中に、凍結されていた痛み。そして、願い。

「私は、こわかった」
「私は、本当は、守ってもらいたかった」
「私は、抱きしめてもらいたかった」

その小さな女の子のこころの願いを、
私の中にいる男性性が、ずっと聞き続け、受けとめようとしてきた。
その痛みを、押し殺すことなく、表出して感じ取ることをゆるし、
忍耐強く、共に味わい、ゆっくり共に歩き続けてきたのだと思う。

実際に、私が男性の腕の中で癒される日が来たということは、
それまでずっと自分のこころの中で行われていたその作業と努力が、それで良かったのだよと言われているようだった。

生まれた時から、四十年近く、持ち続けてきた傷だった。

あえて、自分のたましいがこのピースを欠けさせることを意図し、私がそれを生涯切望し求め続けるに至った鍵。
父親がわたしにくれた、「くれなかった」というギフト。
ある人生のポイントで、それは一挙に反転し、せき止められていたダムの水が決壊で流れ出すように、
無限の愛の大海へ回帰するに至る喜びを体験したいがために用意されていたのだとしたら。
過去に起こったすべてに感謝が湧き溢れ、精妙に織り込まれた人生のパーツの奇跡の連続にただ感嘆が起こる。
わざわざこうしたギフトを織り込まれ、人生を何十倍何百倍にも色彩豊かに味わえる、その瞬間が来て
すべては全人生への感謝へと変転した。
父のたましいが、私のたましいが、私の生涯、より善きにと取り計らったこと。


「愛ちゃん、幸せになりや」


父は生前、言葉にして私に伝えたことは一度もなかったが、
間違いなく、そう願い続けてくれていたに違いなかった。そしてたましい存在となった今も。

生前、いつもいつも私が望む通り、抱きあげてほしいときに抱いてくれることも、守ってほしかった時に守ってくれた訳でもなかった。
けれど、彼は、切に切に私が幸せを受け取れるようになることを、願い続けて見守っているに違いなかった。

17年前、私の姉の結婚式で、普段めったに笑わず、いかめしい顔ばかりしている父が、珍しく紅潮した顔でニコニコ笑っていた。
結婚式の家族集合写真の中に納まった、その実に珍しい父の笑顔を、
父の葬儀の際、私たち家族は遺影にと切り取った。
今も、毎日父親は仏壇に飾られた写真のその笑顔で、私に語りかけ続けている。

幸せは、瞬間瞬間注がれ続けている。

私の世界の幸福に関する全権限を握りしめていたのは私だった。
愛は常に、ただただ無限に、無条件に注がれ続けており、それを受け取るも拒むも、
私の一存によるだけなのだった。
それほど、力のある私だった。
それほど、大いなる存在から無条件に愛されているがために、自由意志が尊重され、敬意された私だった。
どんな傷を受けることを選択するか、どのタイミングでそれを愛に帰していくか、それさえもたましいの観点から見ると、わたしのたましいが決めてきたことで、私の自由意志が尊重されていることの現れだった。

「あなたが大切にしている誇大妄想の下に、本当は助けを求めているあなたの呼び声があります。
 というのは、あなたの『父』があなたを『ご自身』に呼び招いておられるのと同じように、
 あなたはあなたの『父』に向かって愛を求めて呼びかけているからです。
 あなたが隠してきたその場所において、『父』に対する愛に満ちた思い出の中で、『父』と一体になることだけを
 あなたは意志として抱くでしょう。」

― 奇跡のコース 第一巻 《テキスト》 第13章Ⅲ.救いへの恐れ. 8 ―


どこまでも、私は、「父」を求めている。
無条件に、無限大に、私を愛し、守護し、慈しみ、慈悲の目で見守り、愛おしんでくれる父を。
私を愛して、愛して、姫のように大切に扱い、娘のように慈しみ、安心と安全の大きな腕の中で包んでくれる、父を。
優しい目で私を眼差し、大きな温かい手のひらで、ふわりと頭を撫でてくれる父を。

そして、この父を(母を)求める意識は、多くの人にとって、パートナーに出逢いたいと、
その本人をドライブさせるに至る、細胞に組み込まれた初期要因であり、
人生をかけて、(時にいくつもの人生をかけての)私たちの身体に仕込まれた、大いなる父なる存在からのギフトなのだろう。

そうして思う。
父の抱擁で自らを満たす――
それによって、気づけば、わたしは「母」となる。
いつしか、母という、無限大の母性を身に映した存在となる。
完全たる、大いなる存在の「安心」の中で身を休め、愛という完全性に一歩近づいたわたしは、
もはや自然と、満ち足りたまま、より一層、目の前の相手を愛おしんでゆく。

「私たちの仕事は、掃除することだけだ」  父が亡くなった日に出逢った師曰く。

わたしは、ただ、自分の中に空白のスペースを作り続けることだけに専念する。
自らのパンドラの箱を開け、そこから飛び出す様々な恐れの中にダイブし――
そうして自らの身を投げ出すことを決意し委ねた時に、自らを超えた力が大きく働く。
わたし一人では為し得ないことを、必要な誰かが現れ、その化学反応で、
不可能は瞬時に可能になり、わたしは引き上げられ、わたしはまた相手を引き上げる。
恐怖だと思っていたものは、私たちの源、「愛」に帰るためのただの触媒なのだ。
それは、恐怖の中で存分に呼吸し存分に体験したとき
しゅわっと溶けてただ、帰していく。そして、無限無量の愛の海の中、
それを「愛だ」と小さな自らが知覚できる範囲がより広がり、質が高まり、層が豊かになっていくだけなのだ。

いつしか、安心、安全なスペースを自らの内に養い、より拡大したのなら、
それと同質同量の分だけ、目の前の人に同じスペースを確保し、守ることができる。

「おいで、」と言える自分になる。

ここは安全だから。

何もあなたを傷つけるものはないから。

そして、相手を抱擁し、相手にとって安全なスペースを作り守れる自分に。


親愛なる私の友と。水中ボディワークのトレーニング最終日に先生が撮ってくれた写真。


"Safety IS the Treatment."
  Stephen Porges
"安全こそが、治療なのだ" スティーブン・ポージェス


育みたいのは、それだけなのだ。
ただ、安心と安全を、自らの内に、拡げていきたいだけなのだ。

今、わたしは、好きになった人と、相互のたましいの計画と契約に基づいて、
互いに過去のカルマを解消し、学び体験し、自らを超えていく時期にいる。
より互いが自分をゆるし、愛し、自由になっていく。
この期間がいつまで続くかわからないが、ただ、大切にしたいのは、
「今この瞬間」、過去も未来もすべてが含まれ、すべてを可能にさせる「今」というこの瞬間を存分に味わい、
自分の中に存在する無数の罪悪感や自己否定をただただゆるし、より愛に還っていくだけなのだ、ということだ。
ひたすら、そのレッスンをするために、私たちは互いに出逢って、傷を癒し合い、光に還ろうとしている。

すべては途中経過であり、道半ば。
けれど、

ここまで、わたしの治癒を導き、支え、見守ってくれた、私の父、たくさんの友人たちや先生たち、そして多くの方々にこころから感謝したい。
関わってくれた、ありとあらゆる事柄、人々、その人たちからもらった暖かさ、抱擁、言葉、流すことをゆるしてもらった涙、
そうした一つひとつの経験がなければ、この私の治癒は、この流れで起こらなかった。

そして、これからも、人生を続けていく。
どうぞ、よろしくお願いします、と、深く感謝と共に、頭を下げたい。



最後に、私の母が、なぜ30回も見合いで断られ続けるヤクザ顔の父と結婚を決めたのか、ということについて付け加えておきたい。

母は、19の時に父親を病気で亡くしている。その父親とは、寺の住職兼、地元の中学校で教師をしていた人だった。
その半年前には自身の母親(私の祖母)も病気で亡くしたため、
10歳年下の弟と2人天涯孤独の身になり、弟を守るためにも、結婚はしないと彼女は心に決めていた。

それでも何かの縁で見合いをすることになった見合い相手の私の父は、
亡くなった彼女の父が教鞭を取る地元の中学の生徒だった人で、生前の彼を見知っていた。
母はそれを知った時、「私の父を知っている人なんだ」と思い、心が動いたらしい。
この世で数少ない、彼女の大切な父を、見知っている人だった。
父の面影を知り、それを記憶している相手だった。自分にとっての大切な父を。
もう知る人も少ない、人と話題にすることもほぼない、
けれど、彼女の心の中にいつもあって、彼女の心の中で一等大切な、存在を。

それが、彼女を、その人と生涯一緒にいようと思うに至らせる十分な理由になった。

ここでも、彼女の「父親」の存在が、彼女の以後の人生の中でも生き続け、
数ある男性の中から、伴侶として選ぶ人の中に彼の存在を見つけるよう自身のエッセンスを仕込み、
彼女が生涯、彼と共に彩り豊かな人生を生きていくための道しるべを、克明に残していたらしい。

私たちの命は、こうして散りばめられた数々の布石のギフトにより、連綿と受け継がれているようだ。

In honor of @innerocean.world , which brought me into the incredible healing journey.
(写真:水中ボディワークの仲間たちのセッション。偉大な治癒の旅へと私を誘ってくれた仲間たちに、敬意を込めて)

https://www.instagram.com/innerocean.world



ここまで、わたしの物語を、共に旅してくれてありがとうございます。

わたしの個人的なトラウマとその治癒のケースが、だれかの何かの役に立てればいいと思い、この文章を綴りました。

あなたの、お父さんは、お母さんは、どのような人でしたか?

あなたは、お父さんに、お母さんに、何を求めていましたか? 求めているでしょうか?

あなたのそばにいる、パートナーは。あなたの何を映し出していますか?

そこには、必ず、
愛か、
愛を求める叫びが横たわっていると思います。
ただ、「安心」と「安全」の中で、安らぎたいという切なる願いが、横たわっています。

そして「安心」の中で、ただただその安心感に浸り味わうことこそが、すなわち、たましいの治癒です。

あなたという、世界で唯一の物語
――それは、あなたにしかない、果てしなく素晴らしい、随一の物語――を、
もしわたしが聞かせてもらえるなら、それはとてもとても、光栄なことです。

恐怖で固まっていたもののなかに、あなたにしかない宝が、百万と埋まっています。

わたしが、仲間や先生たちの助けがあって一つひとつ前へ進めたように、
1人では解けないこと、溶けていかないことも、だれかが共にその尊い物語を見つめたときに、そこに光があてられて、解けて(溶けて)いくと思っています。

ただただ、自分をゆるし、愛し、受け容れていくこと。

「幸せになっていい」という許可を、自分に出してあげること。

あなたの大切な物語を、もし私が聴かせていただけるなら、

そして、凝り固まったかに見える謎を、愛を受け取ることへと一緒に変容させていくことができるならと、願っています。
ともに紐解き、一緒に絵物語を開いていける日を、こころから楽しみにしています。

個人セッションでお待ちしています。


あらん限りの、愛を込めて

愛子

読んでくださってありがとうございます。もしお気持ちが動いたら、サポートいただけると嬉しいです😊 いただいたサポートは、よりよい活動をしていくための学びに使わせていただきます。