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憶えている(今、ここに ないものを)

震災の後に作られた、佐藤賢太郎さんの「前へ」という合唱歌がある。
とてもシンプルな詞に、美しい旋律で、
先日甥の中学校の合唱コンサートで聴いて以来、毎日のように聴いては、止めどなく泣き続けている。



『覚えている あなたの温かな手を』

このフレーズで始まる。


『覚えている』のは、今 もう ここに いないもの を

『あなたの 手』が ある のは

わたしの こころの中 

記憶の中の 体温

倖せの極点にいればいるほど
この現し世の倖せの真逆にある「消えてゆくもの」の存在が、同時に立ち顕れる。

あなたと、一緒にいれて、嬉しい

それを体験してしまえば、しまうほど
それを失う時の悲しさまでも、同時に浮かび上がることがある。

色即是空
空即是色

光が照らされ、各々のいのちの色濃さが増すにつれて
その色の、瞬間性、儚さが浮かび上がる。
この色は、消えてゆくのだ。
このいのちは、消えてゆくのだ。

光あるところ、影がある。
消えていった存在の、淡い面影と、残り香がある。

もう、掴めないもの。
もう、聴けないもの。
もう、味わえないもの。
もう、触れられないもの。
もう、見つめられないもの。

なぜ、春に、これほどまで
失われた目に見えないものの世界が、現実の層に重なり合うのか、と思っていた。
いま現し世にいない、無数のいのちの粒子たちが飛び交う。

何を、分かってもらいたかったのだろう?
この、目に見えない精霊たちは。

何を、伝えようとしているのか?


今が 愛おしいよね ということ
今を 愛おしむ ということ
今が 失われる 儚さを 哀しむこと
その 哀しんでいる あなたのこころも わたし達は 愛おしいということ

すべて 人間らしい 営みだということ
すべて 生き物らしい 営みだということ

だから 思う存分 喜んでいいし
思う存分 泣いていい

今 生きている そのあなた達の存在が 素晴らしいということ
わたし達も 素晴らしい瞬間を 生きていた
そして 儚われること それも 安心していいこと
失うこと 泣いてもいいこと
どれだけでも 泣いてもいいこと

未来も 過去も 今ここにある
だから だいじょうぶ
何も 失われは しない ということ




そうして耳を傾けていると、
この歌の裏に、彼らの声が重なる。

主客反転—— こんな、歌だろうか。




『前へ』

覚えている (忘れていない ここにいる)

あなたの (貴方の ——貴い、場所。貴い、お方)

温かな 手を 

(今も私は包もうとしている、感触と温度を持った、生身の肉の手ではないけれど)

覚えている (ここにいる)

あなたの やさしい 声を 

(今も語りかけている、あなたの鼓膜を振るわせる、肉声ではないけれど)

覚えている (ここにいる ずっといる)

あなたの 真っ直ぐな 眼差しを 

(真っ直ぐに 見つめている 見守っている)

静かな いのりを (私たちが 深く つながる時)


目を閉じれば

あなたと 過ごした時のことを 

あなたと共に歌ったことを 思い出す

(生きて 共にいのちを響かせ合い 響奏していた 確かな出来事 の 
 思いが いずる

 今ここに あなたの胸の内で 自由に行われる 過去への時空の旅 
 わたし達が 一緒に生きた世界が そこに生ずる)

音楽の 

(震える いのちの振動 の)

終わりが

(終い(仕舞い)が)

あなたとの わかれ では ない


音楽が 

(いのちが)

また よみがえるように

(震え、また新しいいのちと、つながり響き始めるように)

何度でも

(何度でも)

あなたを 思い出そう


(いつも、この 無量大数の 存在の わたしが
 あなたを 包んでいる)

(そして、わたしを胸の内に呼び覚ましてくれる時に
 わたしは、より立体を持って、あなたと共にいる)

覚えている (ずっとずっとここにいる)

あなたの 大切な 夢を 

(わたしの切なる 願いを あなたが 胸の内にともし続けてくれているように、
 あなたの 切なる 願いが叶うのを、私は信じている、切に願っている)


一歩 一歩 

前へ

(行けなくてもいい もし 今その時でないなら。 
 立ち尽くしてしまっても しゃがみこんで もう一歩も歩けなくても
 それでもいい)

前へ

(しゃがみこんで泣きじゃくる、あなたを 包んでいる

 いくらでも 止まっていてもいい 泣きたいだけ 泣いてもいい 何年で も 何十年でも どれだけでも 歩けたと思っても、 
 またここに戻って 泣き尽くしていい

 ずっと、包んでいるから
 知っているから あなたが、いつか、いつの日か、
 歩き出せることを、知っているから

 今のあなたに、もし 分からなかったとしても
 もし、それが信じられなかったとしても
 だいじょうぶ わたしは、知っているから)


- - - - - - - - - - - -


あなたは、生きていい、倖せになっていい、失くすものは何もない、わたし達も、いまも、共にいるのだから。

喜びも嘆きも、精一杯経験しているあなた達
ずっとずっと、片時も離れず、側で見守っている。
共にいる。
わたし達がなし得なかった分まで、現し世で倖せになってもらいたいから。
それが、あなた達へと引き継いだ、わたし達のいのち。
わたしたちが私たちの世界と人生を愛し損ねた分まで
自分を、世界を、愛おしんで。

そうすると、
あなた達と わたし達の、世界の境界が薄れていく。

一切合切の自由と至福の
私たちの意識を物質界に降ろして、現実化してゆく あなた達。

「すべては可能」な わたし達の世界から
必要な諸物を 降ろして具現化する
あなた達が、わたし達の願いをも叶えていく。
この世界の願いを叶えてゆく。

どうぞ、無限の色彩をとらえる知覚を拡げ
どうぞ、真髄の空をつかみ取り
どうぞ、その空で、過去かつてなかった、豊かな色彩を、生成して。




主客反転—— 
「ある」、が、ない  から 
「ない」、の ある へ。

「ないもの」の存在を慈しめば慈しむほどに
その存在はよりこころの景色に立ち現れて、胸の中で共にいてくれる。
「あるもの」を存分に愛おしめば愛おしむほどに、
その「ないもの」が、「あるもの」への賛歌を裏舞台から送ってくれている。


今、ここに生きていない、無数の存在も、一斉に芽吹いて

「ここにいるよ」
「いるよ」
「いるよ」

そう、盛大に大合唱を始めるから
こんなにも、春は、忙しないのだった。

現し世に芽吹く草花の芽が出て、蕾が膨らむのと同時に、地中に眠っていた、無限の存在も、その芽に乗って、地上に出てきて、起き上がり、
いのちが生まれる歓びを、共に歌ってくれている。

そうして、一切合切のすべてがこの瞬間に生成する。
かつて生きていた、人の
ある時ある瞬間の感情のひとしずくが、
その人の全人生、全存在の瞬間が。
そうしたかつて生きていた人々のすべてが。
この春の、この瞬間に生成されていた。

一念三千、という言葉がある。一つの念の中には三千のものが含まれるという。
否、三千どころではない。
無量大数の存在たちが、一斉に震えている。

なぜ、春に蠢き、立ち昇るもののの存在がかくも大きいのか、そしてなぜこの歌にこれほどまでに涙が呼び起こされるのかと、圧倒されていた。
向こうから越え(声)てくるものをよくよく聴いていたら、腑に落ちた。
それは、圧倒的に押し寄せる、さざ波の合唱。
植物たちの胞子と萌芽、蕾の開花に乗って、
多くの逝った人たちのいのちも目覚めて立ち昇る、
「あるもの」たちと「ないもの」たちとの、大合唱。


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