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MENA(中東・北アフリカ)専門家によるイラン解説 V

 このイラン解説シリーズを始める前に、麺文化とイラン、シルクロードの関係を解説するための布石として、以下のラーメンに関する記事を書きました。これが布石であることをすぐに気付いたのは、西安での生活経験がある葛西さんでした。

 葛西さんはコメントで『鮮明に覚えているのは西安の涼皮で作られた拌面(だった気が)ですね。米粉なのでカテゴリ違うのかもしれません。』と述べています。

 葛西さんが言及した『 #涼皮 』と『 #拌面 』について、本稿では私が麺類研究家として説明します。『涼皮』は特定の形状をした麺の一種で、幅が約一センチの平たくて薄い麺が特徴です。涼皮には小麦粉と米粉の両方が使用され、小麦麺は脂っこいスープやソースに、米麺はあっさりした味付けに適しています。スープと組み合わせると、 #河南烩面 のような #ラーメン 風の料理になります。

『拌面』は麺料理の調理法で、具体的には汁なしで具材と混ぜ合わせて食べるスタイルを指します。拌面には温かいものと冷たいものがありますが、小麦粉や米粉を使用した麺には、それぞれ適切に味付けされているためどちらも美味しいです。

 私が中国で長期滞在する際によく訪れるのは、 #嵩山少林寺 がある #鄭州 です。嵩山少林寺は #ジャッキー・チェン や、 #ジェット・リー (リー・リン・チェン)の映画でお馴染みです。この寺は、中国禅宗の開祖である #インド 人僧侶、 #達磨大師 が布教のために創建したものです。鄭州は #黄河文明 の影響を受けた都市で、陸の #シルクロード の東の起点である #西安 は鄭州より西に位置します。シルクロードは西安から始まり、イランを通過してヨーロッパに至ります。

 西安は香港や上海では体験できない、以下のような中国の古都特有の醍醐味と文化の奥深さを感じることができる都市です。

兵馬俑:秦始皇帝の墓地近くに位置し、数千体もの兵馬俑が含まれる著名な遺跡です。これらは秦の始皇帝の墓を守るために造られ、1974年に発見されました。

秦始皇帝陵:中国初の皇帝である秦始皇帝の陵墓です。兵馬俑はこの陵墓の一部として設置されています。

大雁塔:唐の時代に建てられた仏塔で、玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典を納めるために建造されました。

西安城壁:明代に建設されたこの城壁は、非常に保存状態が良く、中国の古都を囲む壮大な構造物です。

鐘楼と鼓楼:これらの塔は西安市中心部にあり、明代に建てられました。鐘楼は市の地理的中心を示し、鼓楼は元々時間を知らせるために使用されていました。

法門寺:仏舎利を納めるために建てられ、歴代王朝によって何度も改築が行われた重要な仏教寺院です。

森林石経:西安郊外に位置し、経典が刻まれた数千の石碑が展示されている石碑林博物館があります。この場所は、中国書道の進化を一望できます。

 イランを解説する中で中国について言及するのは、イランがBRICSに加盟し、世界経済に与える影響が急激に増大しているからです。イランは、 #ロシア #中国 #インド #アフリカ 諸国と共に地政学的優位を築いており、イランとアラブ諸国やイスラエルとの関係だけでは、イランの外交政策の背景を完全に理解することはできません。そのため、 #BRICS #MENA の動向はセットで考慮する必要があります。

 さらに西に行くと、中国青海省に入ります。 #青海省 の民和回族土族自治県官亭鎮喇家村にある新石器時代の喇家(ラーチア)遺跡(Lǎjiā Yízhǐ)では、小麦が普及する前の4000年前の粟粉から作られた麺類が出土しています。 #回族 とは #イスラム教徒 のことで、現在も #西安 #イラン は強力な経済協力関係を築いています。

陸と海のシルクロード

 シルクロードとは一般に陸のシルクロードを指しますが、海のシルクロード(海路)も存在します。海のシルクロードについては別の記事で詳しく説明します。

時間旅行ムナカタ第29回 シルクロードの旅(前編)

#ジョジョの奇妙な冒険 #スターダストクルセイダース では、エジプトのカイロに行くために部分的に海路(海のシルクロード)も使いますが、私の海外出張が #ジョジョ巡礼 と呼ばれるのは、仕事で同じようなコースを旅行しているからです。

 陸のシルクロードは、紀元前2世紀から15世紀半ばまで、ユーラシア大陸を縦断する交易路網として機能し、全長は6,400キロメートル以上にわたります。この路網は、東西の経済・文化・政治・宗教の交流に中心的な役割を果たしました。

 シルクロードの始まりは紀元前114年頃、漢王朝が中央アジアに進出し、当時未開の地とされていたこの地域をほぼ平定したことにあります。張騫は未知の土地を探検し、貿易相手や同盟国を探すよう命じられました。この探検から得られた情報や物資は、中国の外交や商業活動を促進し、また、万里の長城の拡張を含むルートの保護にも力が入れられました。

 シルクロードは、中国の長安(現在の西安)から西アジアやインドに至る交易路として開けました。中国の特産品である絹がローマ帝国にまで運ばれたことから、この交易路は後にシルクロードと呼ばれるようになりました。この路線は16世紀まで主要な交易路として利用されました。

 シルクロードでは、物資だけでなく、思想、宗教(特に仏教)、哲学、科学的発見なども交換され、遭遇した社会で新たな形として融合されました。移民、難民、宣教師、職人、外交官、兵士など、多様な人々がこのルートを利用しました。

 イランと西安を結ぶシルクロードは、イラン( #ペルシャ )、 #メソポタミア #バグダッド を経て #ダマスカス 、最終的に地中海に達しました。このルートは東西の文化交流の重要な道となり、多くの商品、技術、思想、宗教が伝播しました。

 西安からイランまでのシルクロードを、ここで改めて説明したのは、以下の記事にシルクロードや、四川料理の基本の花椒、人類の発展に欠かせなかった胡桃についても書いてあるからです。Ryé画伯のスケッチも良い感じです。

#武智倫太郎

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