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普通じゃない自分と向き合う休日

不安だった

自分がどう振る舞ったらいいのか、普通になれるのかどうか。姿はみんなと変わらないけれども、何が欠けているようだった。掴めない雲のようなものをつかもうとする日々。ふわふわとした地面を今日も歩いている。

惨めだった、今日も昨日も。私はまだまだ十分に仕事ができない。いつも誰かに頼っている、責任を持ってすることが怖い。でも、少ない人数で毎日を乗り越えているその人たちの力になりたいとは思う。知らないことが多い中、失敗することばかり。どんなに小さな失敗だとしても帰りの車の中で落ち込む。

"なんでちゃんとできないんだろうか"

焦りと不安の毎日。こんなんで一人前にできるようになるのだろうか?数ヶ月先のテキパキ仕事をこなしている自分がまるで想像がつかない。

先輩たちは本当に優しい。いつも心の内を明かしても「大丈夫、最初はみんなそうだから。ゆっくり覚えていけばいいよ」と、みんな言ってくれる。その言葉が嬉しくもあり、苦しくもある。いつか新しい人ではなくなる私。そのいつかの時に仕事が覚えられずにいたら…

考えると怖いのだ。

今まで仕事で承認欲求を満たしてきた。だからこそ仕事で認められないということは存在意義がなくなるということ。結婚はしているけれど、子供もいないしいつ破綻するかわからない。仕事は自分が頑張った分結果が残る。私の生きる意味の大半を占めているのだ。



昨日、ある先輩の指導の元で仕事をした。働き始めた私にはいつもサポートしてくれる先輩が付いている。その先輩は仕事がテキパキできる人だった。患者さんへの話し方もとても柔らかく、まるで抜けがない。丁寧な仕事に真面目な性格なんだと判断できた。

「教え方が下手でごめんなさいね」

午前中、私に謝ってきた。そんなことない、丁寧な仕事っぷりに学ぶことはたくさんあった。観察の仕方、段取りの計画など。この思いをどうしたら伝わるのかそればかり考える。

伝わりやすい言葉が見つからず退社の時間になってしまった。私は「今日はありがとうございました」としか伝えられなかった。いつもそれしか言えない。伝えたい言葉はたくさんあるのに頭の中でぐるぐる回っているだけで、外に出せない。

職場の仲間と適度な距離感を掴めない。

本当はもっと貪欲に積極的に仕事を覚えなければいけない。だけど、それさえも迷惑をかけてしまうんじゃないかと考えて踏み出せなくなる。もっと生き生きと仕事がしたい。職場のみんなともっと打ち解けたい。思えば思うほど空回りしてしまう。そして頑張り過ぎればまた症状が出て体が動かなくなってしまいかもしれない。

何もかもが不安だ。これから穏やかな日々を過ごせるのだろうかと。いつも最悪の状況を想定してしまうのは職業病なのだと思う。

今の環境を無くしたくない。自分が精一杯やっていかないと何もかもが崩れてしまいそう。

"もっともっと頑張らなければ"




私はまだ普通じゃない

当たり前に仕事もできないし、家に帰ればベットに倒れこむ日々だ。

いつか普通になれるのだろうか?

今日も自分自身の模索が続く。多分私だけじゃない、みんなそうやって生きている。まだまだ伸びしろがあると高みを目指している人もいれば、これくらいがちょうどいいと満足している人も。その人にとっての正しさがあるのだと。

私はこの病気と一生向かいあっていかなくてはいけなくって。情緒不安定になる心をこの先も抱きしめていく。私だけが特別ではない。生きづらい世の中を懸命にもがいている人たちがいる。

普通になりたい

それはどういう状態なんだろうか?

病気が治ったら?

心が強くなったら?

人によって普通は千差万別なんだ。要はそれを受け止められるか受け止められないかの違い。私はまだ自分自身を受け止められていない。もっと良くならないといけないと完璧を求めてしまう。

本当は今の自分をありのままと受容していくことが必要なのかもしれない。

できない自分も、情緒不安定になる自分も全部私だ。そんな私を愛したい。

こんなんじゃ駄目だと小さい枠で考えるのではなく、大きな器で次はうまくやろうと思えば。

週末の休日

それは自分と向き合う時間

忙しく過ごしていた時にはできていなかった。この時間があるお陰で私は人間らしく生きられている。

最後まで記事を読んでくれてありがとうございました!