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オノマトペ 日本語の音

ころころ。ザーザー。びしゃびしゃ。すべすべ。ピカピカ。ざわざわ。

日本語の中にあるこうした擬音語と擬態語はオノマトペと呼ばれる。

オノマトペという言葉自体はフランス語の単語であるが、その語源は古代ギリシア語まで遡ることができ、「造語すること」「名前を造ること」といった意味があったとされる(小野正弘『オノマトペ擬音語・擬態語の世界』角川ソフィア、2019年、6-7頁)。

同書に書いてあったのか別のところで読んだのか、出典は定かではないが、一説によれば日本語にはオノマトペが3000とか4000とかあるらしい。

世界の中でもこれほどオノマトペが豊富な言語は珍しい。確かに英語学習の過程でも、オノマトペにあたる英単語を覚えた記憶のある人はいないんじゃないだろうか。せいぜい犬とか猫の鳴き声くらいか。

改めて考えてみたら、オノマトペって不思議だ。

「私、ぷんぷんなんだからね!」なんて発言は、これが4歳児なら胸がきゅんとするけど、34歳がいえば「なんだこいつ」となる。この現象は、オノマトペが主として幼い子どもの表現の世界で用いられる傾向があることと関連しているといえるだろう。

でも、オノマトペ全部が子どもの世界の表現かというとそうでもない。例えばこんな会話はどうだろう。

「雨の降り具合どう?」
「さっきまでザーザー降りだったけど、今はしとしとって感じかな」

「今朝寝坊しちゃってさ。電車ギリギリだった」

「スマホのしすぎで目がチカチカする」

「新しいボディクリームにしてからお肌がすべすべ」

「この新商品はどんどん売れています!」

エトセトラ。

普通の日常会話でも、日本語世界で生きる限りオノマトペなしで話すのは不可能なんじゃないだろうか。思いつく限りではカジュアルな会話で用いられることの方が多そうだけど、フォーマルな場面で用いてもさほど違和感のないオノマトペも一部にはありそうだ。

そうやって考えていくとオノマトペってなんだか不思議。

日常に溢れていて、日本語を共有する者同士では感覚的でありながら非常な具体性を伴って聞き手に訴えかけるパワーがある。

雨の降り方には大雨、土砂降り、小雨、などの簡単な表現があるけれど、小雨といっても「しとしと」なのか「ぽつぽつ」なのか「ぱらぱら」なのかで伝わるところは違う。

同書によれば、三島由紀夫はオノマトペを「言語の抽象性を汚す」と断じたそうだ。全面的に拒否したというよりは、その濫用に警鐘を鳴らしたというニュアンスみたいではあるらしいが。ただこれって欠点だろうか?オノマトペはまさに言語の抽象性を減じることにその魅力があるのではないだろうか。

でも弱点もある。

そもそも同書は全体的に主観的な物言いがちらほらと目に付く。それは、オノマトペが感覚的な表現という性質からくるものだろう。

感覚は主観に大きく依存する。

私が思ってる「しとしと降る雨」と他の人が思っている「しとしと降る雨」は実は違うかもしれない。オノマトペは日本語世界を同じく共有する者同士ならば感覚的に相手に伝えるパワーを持っているかもしれないけれど、主観と主観の重なり合う領域でしかそのパワーは通用しないのかもしれない。

主観と主観の重なり合う領域、ということを裏返していえば、イメージを共有し合わない時にはオノマトペが通用しないということだ。

実際、オノマトペにも方言があるらしい。方言があるということは、その方言オノマトペについては特定の地域内でしかイメージが共有されないことを意味する。

私の実家では、昼下がりなどにちょっと昼寝した時「つるっと眠れてすっきりした」などの言い方をすることがある。これは、非常に短い時間なんだけど、一瞬落ちるような眠りにつくことができて、目が覚めたら少し体の疲労感が回復したのを感じた時などに使うイメージの言い回しである。我が家では。

でも、この「つるっと」が夫に通じなくて、一般的な表現ではないことを知った。

実家以外で使われているのを聞いたことがないので、これが果たして関東の表現なのかそれとも我が家の独自言語なのかわからないと思っていたら、同書の中で広島方言と出てきた。

「つるっと」とは、「浅く短く眠るさま」だそうだ(前掲書、113頁)(私の中では浅く短くというより、一瞬深く眠る様の方が近いけど。)それにしても広島に縁もゆかりもない実家でなぜ?この表現が一般的だったのか、そのルーツは謎だ。

ところで私が今まで自分が勉強してきた言語、英語とかフランス語は、ほとんど理詰め、客観的知識を主軸に理解してきた。

でも母語である日本語はその対極にあるといってもいい。自由で主観的な表現の中に奥行きがある言語に思われる。

日本語は言語のルールである文法だって自由な部分が結構あるし、漢字・平仮名・カタカナの使い分けだって自由な時がある。例えば「俺」も「おれ」も「オレ」もどの書き方も不正解ではないみたいな。

そしてオノマトペはそんな日本語の自由さの極地かもしれない。

同書にはオノマトペは日本語のへそだと紹介されている。へそというのは「ヒトをヒトとして成り立たせる根源」なので、オノマトペは日本語の根源なんだという比喩らしい(前掲書、8-9頁)。

同書を読んでも、正直オノマトペについて体系だったことは何もわからず、ますますオノマトペが不思議になってきた。

ただとりあえず、オノマトペが日本語の豊かさや美しさを映し出していることだけは間違いない。なんとも奥深い世界ではないか。

0歳の娘にも、オノマトペの絵本をもうちょっと選んで、日本語の音の楽しい世界を味わってもらおうかな、なんてことを考えるようになりました。




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