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母になって知ったこと

本を読んだり映画なんかを観ているとき、これまでは娘目線で感情移入していたのに、いつのまにか母目線で感情移入している自分がいることに気がついた。

それは夫も同じだった。

彼がそのことに自覚あるかは不明だが、何を見るにつけても娘を持つ父という目線で一家言申している。たいていは過激な意見で、女の子が誰かのせいで嫌な思いをするような話に敏感に反応して「もしも娘が外で嫌がらせに遭ったらそいつら全員殺してやる」とかなんとか言ってる。娘を持つ父の男心というのは狂気じみていると思うけど、まさか本当に殺人犯になることはないと思うので聞き流している。

子どもを実際に産んでこの手で抱いてみるまで、母というのは他者だった。つまり、今ここにいる自分に対して、その自分を産んで育てて守ってくれる存在、みたいな。でも今は、母ということばはまさしく自己そのものになった。自分ではない、別の存在を産んで育てて守っていく者。

二重の意味で自分の中にコペルニクス的転回が起きたといえる。第一義的には、自分の価値観が180°ひっくり返ったことの比喩として。第二義的には、認識は対象に依存するのではなく、対象が認識に依存するというカントのもとの意味そのままとして。同じ世界を見ているはずなのに、私の認識が変わったから対象の見え方が変わった。

その変化に伴って、これまでの人生では知りえなかった感情も知ることになった。でもまだまだ知らない感情がきっとたくさんあるんだろう。それは娘の成長と共に知っていくことになるんだろう。

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