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すずめの戸締まり〜土地の記憶

「君の名は。」は、2016年飛行機の中で観た。アニメを見るのは久しぶりで、男女が入れ替わる子供っぽい内容かと思っていたのに、途中から泣きっぱなしで、行きと帰りに何度も観た。
飛行機の窓から地上を見下ろしながら、小さいころ山津波の夢をよく見ていたことを思い出した。何かが光って黒い波が押し寄せてくる夢。近所にはむかし隕石が落ちて、空海さんがその岩を祭った神社があり、あの夢は星が落ちたときの、土地がもつ記憶のような気がした。

「天気の子」を観たのは、2019年8月の台風明けの日だった。
あの夏は、10月の古代文字アート展覧会に向けて、甲骨文字の「雲」という字を作品にするため苦戦していた。雲の甲骨文は「云」。
かなとこ雲から竜のしっぽが巻いている形。
3000年前の甲骨文字に、雨乞い・豊作の祈祷文や、自然災害を防ぐための生贄・人柱の記述は多い。祈りは願いになり、人にとって都合の良いもの、望む答えを実現することにすり替わっていく。
そんな祈りや願いのために、もう誰も犠牲にならなくていい。
映画を観て強くそう思った。

「すずめの戸締まり」は、12分の予告で震災の内容だとわかっていたので、なんとなく気が進まなかった。
映画館の大スクリーンで見始めると、なぜか鈴芽と草太が出会うシーンから涙が止まらず、「常世」の話と分かり号泣。
夏くらいから井筒俊彦の「意識と本質」や、折口信夫の作品と出会い、「言葉」がつくる思念の世界と、コトバにならない無意識の世界「常世」について考えさせられていた。
古来より、祈りや芸能は常世の世界と人間がつながる装置のようなもので、祝詞や物語、音楽や踊りはその扉を開き、魂を鎮める。
まれびとは、その扉の向こうの世界からやってきて、人知のおよばない力を持ち、時に異形の姿となり、神や鬼、天使や悪魔と呼ばれ、人を常世との間の旅へ誘う。
祈りは、時と場所と人の放つ音や言葉が揃うと起動し、届けられると(戸が閉まると)、雨粒(太陽が当たれば虹)となり教えてくれる。

今、「新海誠本」をかりて読んでいる。
映画を観終わったとき、この映画はどこか「ハウルの動く城」に似ているなと思っていた。
扉の向こうの星の降る異世界。魔法使い。幼い頃に出会っていた運命の人。
愛する人を元の姿に戻そうとする懸命な想い。
監督の企画書を読んで、これは「日本」の物語なのだと改めて思った。開かれた「戸を締める」時間にある国に住む人のものがたり。
今は住めなくなり荒廃した土地や廃墟の、楽しい記憶、ささやかな日常の記憶で、後ろ戸を閉めるという祈り。
土地の記憶には、多くの人の思いが介在する。
私の故郷も、800年代隕石が落ちて荒れ果てた地に、空海さんが社を立て鎮め、1200年後も神社があり、住宅地に囲まれたのどかな場所になっている。
若い二人が始めた旅。異様で異形で、誰にも認められない旅だけど、もしそんな二人に出会うことができたら、今の自分には、なにができるだろう?

自分がやっていることに自信を無くして、「まれびと」という動画も、せっかく音を重ねてくれた音源もお蔵入りにしようと思っていた時、映画を観て、この大きな通路につながっていることを、ちゃんと私にだけわかるタイミングで教わりました。
きっと観た人の無数の通路と通じ合っている映画なのだと思う。


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