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衝動的に手を動かすのを戒めて,視野を広げたら,結局今に集中するようになった.

Tomokiです.最近は自炊をよくするようになって日々の満足度が上がってきた.それでいて仕事やクリエイティブな活動もより活動的になってきていて,充実を感じるようになった.充実していると言っても忙しさに胸を絞められるような居心地の悪さを感じていないのが素晴らしい.学生の頃は出来なくて,苦手意識を持っていた事が,今では当たり前のように出来ている事を自分で改めて振り返ってみると驚く.

僕の人生の中で活動的だった頃は小学校高学年の頃のプログラミングを始めた時期から,初期の高専時代までの頃だった.振り返ってみればもともとは活動的だったみたいで,原点回帰してきたようだ.当時活動的でいられたのは世間知らずで怖いもの知らずだったのもあって,衝動的に手を動かしていたからだ.実は今になってまた活動的になれたのも一周まわって直観と衝動性を大事にしたり,長期的な計画性を深く考えずに今に集中したりすることだったので今日はそんな話.

衝動的に手を動かすのを戒めた結果,考えすぎるようになってしまった.

もともと僕は思いついたら行動せざるを得ない性格で,興味を持ったら即行動するタイプだった.そして,夢中になったら何時間でも集中しているタイプだったが,突然はっと飽きて,次に目についたものに飛びつくような性格だった.

そんなだったから,他人と初めて部活などで共同プロジェクトを始めたときは,優先順序を間違えて,自分の興味あるものをプロジェクトと関係がないものでも構わず夢中になってやってしまっていたので,よく先生やメンバーから苦言を呈されることもあった.

しかし,ある程度全体感を把握したら,優先順序にそれなりに気を配れるようになった.どうやらある程度の規模なら自分の中で全体の仕組みを把握さえしてしまえば,自分がやるべき事とやりたい事の関連性を見出して工夫して取り組むことができるタイプだったらしい.

しかし,だんだんと成長するにつれて,考えなきゃいけない未来のことや,自分の進みたいキャリア,勉強しなきゃいけないこと,そして社会のわからない事がどんどん溢れ出して,ついには考え過ぎて手を動かすことができなくなってしまった.これはもはや人間に起きうるフレーム問題だ.僕はR1-D1だったのかもしれない.

そうやって漠然とした考慮しなければいけない問題と,いくら考えても答えの出ない事を考えているうちに,半ば考えるのを諦めてとりあえず手を動かすことに対しての躊躇いが生じてしまい,結局締め切り間際にならない限り,永遠に思考するか,それすらも面倒になって思考を停止して逃避するようになってしまった.

視野を広げた事で,心配事や恐怖心を抱いて動けなくなってしまった.

一般的に視野を広げることは良いことだ.視野を広げて視座を高く持てば,色々なことを見通すことができる.しかし,そうやって視野を広げた瞬間,僕は入ってくる圧倒的な情報量に目眩をするようになってしまったようだ.

そして,それは仕事やキャリアなどの未来の漠然としたことだけに止まらなくなっていった.大学時代,初めての一人暮らしをした時,どうやら初めてのことだらけで僕は今思えば精神的に疲弊してしまっていたのだと思う.休日は家から出られず,布団から出ることも,着替えることさえも億劫になってしまった.空腹感に耐えかねてなんとか布団を脱して着替えてコンビニに行くのがやっとのことだった.

もっとも,平日は学校に行けていたし,授業も出席できていたし,課題もちゃんと提出できていたので,それほど支障があるというほどでもなかった.テレビゲームをしたり,スマホでYouTubeを見るくらいのことは当時出来ていたので,「疲れてるのかな」だとか「怠惰なんだな」と苦笑する程度で済ませていた.

料理をすることはそこそこ好きだったのだけれど,食材を買いにいくだけで疲れてしまうことも多かった.1食分や1日分の食材だけ買うのは難しいので,向こう数日分の料理を考えないといけないと思ったのだ.当時料理の始めたてで大して頭にレシピが入ってない自分にはそれを考えるのがあまりに大変だった.結局コンビニ弁当を食べたり,近くの同じ飲食店をずっと利用したりしていた.

きっと心の問題はこんな感じに気がついたら自分に襲いかかっているものなのだろう.僕は睡眠時間が長くなったり,それでも1日眠気が続いたり,無気力が続く生活がずっとあったが,それが普通だったので当時はあまり気にすることはなかった.

さらに視野を広げた結果,予測できないし明確に結論付けられない事柄ばかりだと知った.

そうやって成長していった僕も,大学を卒業して社会に出て,本を読んだり,働いたり,同僚や社外の人と交流を続けるうちに,色々なことを知っていった.当初は色んなノウハウやビジネスの理論を知った方が良いだろうと思って,体系だった物を見ているうちに,世の中を説明できる理論がこの世のはあるのだと思い込んでしまって,自分がわからない世の中の仕組みがあることに危機感を抱いて,学ばなければという気持ちが日に日に強くなっていった.

それは半面的に,自分の半人前感や恐怖を肥大させることに繋がっていったのだろう.そんな自分を他人に晒すことに対する恐怖心も募っていって,気がつけば毎日が何かに怯えているような生活をしていた気がする.結局精神的に健全ではなかった僕は,危機感や焦燥感に苛まれながらも手はみるみるうちに動かせなくなってしまっていた.突発性の難聴に見舞われたのもおそらくこの時期だ.

しかし,この時期になってくると,合理主義に対する違和感にも気づけるようになってきて,自分の直観や違和感の正体を説明できる話も気づけていって,自分が今まで戦わなきゃいけない敵という概念からも少しずつ離れていくことができるようになった.

結局絶対的な価値はなんなのかだとか.人間の存在意義はなにかだとか,そういった本質的な問いに対しての答えを誰かが持っていると思い込んで,必死に勉強しているうちに,そんなものはないということを悟ったのだ.一方で何をすることに対しても意味を見出せなくなってしまった僕は,どうすれば良いのかよくわからなくなってしまった.今までは不自由に縛られていて,その窮屈な中を必死でもがいていたのに,自分を縛っていたはずの縄なんて本当は存在しなかったということに気づいた瞬間,自由の目眩に陥ってしまったのだ.

果たすべき社会貢献と,自分のしたい事と,それは本当にしたいのかわからない無気力になってしまった自分とで,ぐるぐると世界が渦巻いて,結局何もできずに,ただ頼まれた仕事をなんとか熟すことだけには確かな意味と自分の存在意義を感じて,ひたすらそれを繰り返していた.

難しい事を考えるのをやめて,自分を幸せにすることを選んだ

そんなことをぐるぐると考え続けた結果,「世界がどうなっているのか」なんてことよりも「世界がどうあって欲しいのか」の方が重要だということに気付いて,悲しい世界を認めて絶望するよりも,美しい世界を信じて体現していく方を選んだ瞬間から,自分の精神的な不調はどんどん快復していった.

自分を止めていた衝動性を解放させた結果,ここ10年くらいの無気力がだんだんと解消されて,色々なことに取り組めるようになってきたことを実感している.どうやら僕の活動性を止めていたのは誰でもない自分自身だったようだ.

結局自分を理性だけで制限してコントロールすることなど出来ないということに気づいた.そして,雁字搦めにコントロールせずとも,心の奥底から望んでいる願いならば,手元のことだけをやっていても自然とその道へと歩んでいっていることを学んだ.僕らの体は僕らを幸せにする機能で本当はいっぱいだったんだ.自分が純度100%の気持ちで美しい世界を望めば,そんな世界が向こうからやって来てくれるということにようやく気がつけた.

それは両極端に振り切った自分が最後に行き着いた止揚なのかもしれない.自分の衝動だけを選んで独善的になった自分と,自分の衝動を理性で押さえ込んで社会への貢献を出来る限り選ぼうと抑圧した自分の二項対立を超えて,自分の直観や興味がそのまま自然と社会貢献につながったり,誰かの役に立っていくということに気づけたのだ.難しいことを考えなくたって,社会に貢献できるし,価値はついてくるし,僕らに存在意義はあるのだと思えたんだ.だから僕はもう衝動を抑える必要はないのだ.

視野を広げた結果,自分の手元にかえってきた

色々なことを考えて,社会だとか世界だとか,大きなことに対しての自分の立ち位置だとか,キャリアだとか,未来だとか難しいことを考えた結果,結局それらに向かって自分をコントロールすることなど出来ないということを学んだ.僕らには心がある.自分の気持ちを度外視して整然とすることはできない.

しかし,真面目な人ほど他人や社会のために自己犠牲的になろうとしてしまう.そうやって追い込んだ心はまともに動いてはくれなくなる.あとは罪悪感だけを残して,自分を責め続けてしまう.そうなっては,自分の心に従って,衝動を解放すること一歩を踏み出すのはとてもじゃないが難しい.利己的で独善的になってしまうのではないかと抵抗してしまう.

しかし,実際はそんなことはない.そうやって自分をコントロールしようとするくらいに人に尽くそうとする自分が,心を解放したところで,自然と人に尽くしてしまうんだ.それはきっと僕らにとって愛がもっとも自然なものだからだろう.

そうやって自分の心が世界とつながっていると気づけたとき,僕はもう目の前のことだけを考えるだけで良いと思うようになった.わざわざ社会の為だとか,まだ見ぬ誰かのためとも考えずとも,僕らの創造するものは必ず誰かの為になる.なぜならば,それが僕らにとって生まれたもった自然な愛のかたちなのだから.

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