見出し画像

あの頃、すべてに必死だったね・・・10

こんにちは、精神障害ピアサポート専門員愛音です。
自伝的エッセイ連載10回目になります。
今回の話を読み、「愛音」「ピアサポーターの愛音」その存在の見方が変わる方もいらっしゃるかもしれない。その覚悟を持って書いていきます。
また利用規約に引っかからないことを願います。

・もう、いいよね?

この日も私は自分の部屋にいました。半引きこもり生活を続けていても年齢は誰でも平等に重ねていく。だからこんなどうしようもない私でも17歳になっています。

小学生の時夢見ていた17歳は可愛い制服を着て、友達とおしゃべりして、部活も楽しんで、もしかしたら彼氏が出来ているのかも。そんな美味しいお菓子を食べた感想と同じくらい甘い、甘い理想がありましたが現実はその理想とはかけ離れている私だった。

パジャマを着てベッドに腰掛けているとベランダが見えて、頭の中である言葉がグルグルと回っている。

もう、いいよね?
私いっぱい、けっこう、頑張ったよ?
もう、いいんだよね?
楽になってもいいんだよね?

ゆっくりと立ち上がってフラフラとベランダに吸い寄せられました。この日は小雨が降っていて手すりに立とうとしたけど、滑って上手くいかない。仕方なく、鉄棒の前回りのようにして2階から身を投げました。

ダン・・・!

まず聞こえたのは叫んでいる母の声とバタバタ駆け寄る父の足音。そしてその後に鈍い痛みを感じました。落ちたのはコンクリートの地面ではなくて土のある庭の花壇。

よかった、これでやっと、私は楽になれた
・・・ありがとね

あの日から17年経ちますが、頭に響くこの声は今も忘れません。

父に抱きかかえられ家に入ると母がタクシーを呼び、大きな病院へ向かいました。
着くとすぐに父が車椅子を借りてきて「危ないから乗って。押してあげるから」脳の検査などしましたがどこにも異常はありませんでした。
お医者さんから「背中を切った傷は完全には消えないかもしれない。消毒はしておくよ」どうやら庭に植えてあった木の枝かなにかで切ってしまったようでした。

ここまで鮮明にこの日の出来事を覚えているのか?それだけ大きなことだったんでしょうね。


・これからは「愛」として生きて

飛び降りてから数日後母に言われました。
「弱いあーちゃんは死んだよ。これからは愛として生きていこう」
あーちゃんと呼ばれていましたが、この日を境に愛、と呼び名が変わりました。
ただの呼び名と思われるかもしれませんが、家族にとってとても大きな意味があったんでしょう。


・ちょっとおかしい、だからよく見てた方がいい

またこれはだいぶ後に知った話です。
兄が学校に行く前この日の私を見て母へ「ちょっとおかしい気がする。だからよく見ていた方がいいかも」そう伝えていたんです。
兄がなぜ私の心が分かったのか今も分かりません。だけど兄の予感?は当たりました。


・17年経ち、今思うこと

死ぬ勇気があるのなら、問題と立ち向かい生きるべきだ
こういった意見は世の中に溢れているかと思います。でも、そうじゃないと体験した私は発表の場で伝えています。

あの日、死にたいとは少しも思っていなかったんです。グルグル巡った言葉の通り「もういいよね?楽になっていいんだよね?」自分の心を精神を解放したかった。
それが正しいことか、間違っているかと聞かれたら、心と精神を解放したい気持ちは悪ではない。でもその方法が身を投げる、それは間違っていたかもしれない。

だけど最後に聞こえたのは「やっと楽になれた。…ありがとね」だったんです。だからこそ今もあの日の自分を全否定はできない。
苦しさ、葛藤が14歳から離れませんでした。自身をすべてから解放したくて、とった行動は世間では自殺未遂と言われるでしょう。
これはいいように解釈しているだけ、自分を言い訳で守りたいだけ、それでも自分を殺したと思えない。解放したんだ。全部から、現状から。

ああ、それでも、やっぱり最低の言い訳になるのかな。
家族のこと、友達のこと、医師らのこと、全部頭から追い払い、自分だけ楽になりたかったなんて。

背中には傷が少し残っているみたいです。この傷は消えちゃいけない。自分の中で一生、背負うべき傷ですから。

今回このような内容で、私のことを嫌いに思ったり離れたいと思った方もしたかもしれません。それを承知で書きました。この日のことは精神疾患と生きることになったことで起こした、最大の行動だったので隠したくなかったんです。

気分を害した方、申し訳ありません。

*愛音*

今までの連載分はマガジンから読めます↓


サポートしていただけたら嬉しいです🌹 これからも頑張りますね!