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弟のこと(1)(きょうだい児と家庭不和と) *18


弟がいます。

私が障害者なので、「きょうだい児」です。

そして
“虐待されて育った” と思っているようです。

きょうだい児(きょうだいじ)とは、病気や障害を抱える兄弟姉妹を持つ子どものことをいう。
きょうだい児は、親の関心が自分以外に集中しがちな上、周囲にからかわれて傷つくなど孤独感にさいなまれやすいとされる。
Wikipediaより抜粋

私は小学生の頃に膠原病を発症して、障害者になりました。



勉強も運動も1番

弟は、母から「お姉ちゃんは病気だから身体が悪いけれど、勉強を頑張っている。あなたは健康なんだから、勉強も運動も1番になりなさい」と言われていました。

小学生の頃まで、弟はその期待に応えようとしていたようです。
マラソン大会で1位になり、部活でいいポジションを取り。

母は満足しません。
マラソン大会で3位に落ちれば、「どうして1位になれなかった」
部活でポジションを交代させられたら、「次は必ず取り返せ」

「もっと勉強しろ、お姉ちゃんを追い越せ」
弟は、運動は得意でしたが、勉強はあまり好きそうではなかったので、パッとせず。

テストの成績が悪かったり、母の思い通りにならないと、怒鳴られて(叩かれてもいた?)泣いている弟の声に、私も隠れて泣いていました。

私は何度も母に言いました
「お母さんが言っていることは間違っている」「弟にヒドいことを言わないで」と。

父も「その育て方では潰れてしまう、やり方を変えないと」と。

父と私がどれだけ話をしても、母は「わからない」と言うのです。

「親に向かって何を言う!」と手を上げられたことは何度も。
話し合いにもならなかった。
母は変わらなかった。 


勉強さえしてくれればいい

母は「勉強さえしてくれればいい」と私たちに言っていました。
そして、何でも先回りして世話を焼きます。
そのくせ私たちに「どうして自分でできない」などと言うのです。

一緒にやるとか、やり方を教えるとか、しない。

なのに、突然キレたようになる。
子供部屋の片付け(いつもは母が片付けている)を私たちがやらない、ということにキレて
ベランダに全ての物が放り出されていたことがありました。

私と弟は訳がわからなかった。
いつもは、学校から帰ってきたら部屋が片付いていているのだから。
「片付け」という習慣がなかったのだから。

その時は父が一緒に片付けてくれたのですが
私と弟は
“学校から帰ってきたら部屋が綺麗になっている”
“たまに放置されて、母がキレる”
の繰り返しで、一向に片付けの習慣がつきませんでした。

というか、父と母の教育方針が真逆で諍いが絶えず、私の体調がいつも不安定で、病院に担ぎ込まれることも多々ある、など落ち着かない状況に
私も弟も疲れ
“もう乱されたくない、考えたくない”
“何もしたくない、できない”

苦しい気持ちを抱えて、食べて、寝て、学校に行くだけで精一杯だったのです。

母は「勉強さえしてくれればいい」と言うくせに
「自分で身の回りの事ができないのは何でだ」と怒る。
言っている事とやっている事が矛盾だらけ。

“アンタがやってるから、いつまでもできるようにならないんだよ”
と私は世話を焼かれながら思っていました。

親のせいにしすぎだと分かっています。
30年以上経っています。
でも、私は今でも身の回りことが苦手です。
弟も、私と同様にできない。
というより、”どうでもいい”と思っているようです。


反発と家族への絶望

私へかけられない期待も上乗せされた、過剰なプレッシャーをかけられた弟は、当然、反発します。

中学生にもなれば、理不尽な事を言われ続けていることは分かるし、体格も大きくなって母は恐い存在ではなくなった。
いつものようにクドクドと言い続ける母を突き飛ばしたそうです。

そして、母にも父にも閉ざすようになりました。
無気力で、何も話さない。

ずいぶん大人になってから、弟がポロッと言いました。
「包丁を突きつけられた事もあったんだよ」

言う事を聞かせようと、母は弟にそこまでしていた。
私は弟がされている事は、全部知っている思っていました。母から私も同じ事をされているのだから、弟の気持ちも分かると。
私が弟を理解して、一緒に母に立ち向かっていこうとも思っていました。
だけど、それは違っていたようです。

弟は、私が両親からの関心と称賛を一身に受けている、と感じていたんだと思います。
私とも話さなくなります。

私は私で、壊れてゆく身体と、痛みの中で、母と闘って、余裕も力もなかった。

過保護なまでの母の世話は受けて、こちらからの問いには答えず、自分勝手な要求だけをするようになった弟に、私も話をしなくなりました。


きょうだい児と家庭不和と

私ができない分、親の期待に応えようと頑張ったり、
私にばかり親の関心がいってしまっていると感じて、自分の事を見て欲しいという気持ちが満たされなかったり、
きょうだい児の典型的な苦しさに加えて
父と母の争いで、さらに弟は追い詰められてゆきました。

弟は閉ざすことでしか、自分を守れなかった。
父も私も弟を助けることができなかった。

誰とも話せず、理解されないと感じる状況が続いて、弟は、家族に絶望していったのだと思います。



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