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文字とデバイスの可能性

「文字とは何か。」

私は誰に問いかけるでもなく、森の中で一人文字について思考を巡らせていた。文字とはなんなのか、伝達記号である文字。自分にとっての文字とは何か、そして自分だけが作ることができるものとは。自身の職業であるデザインとはなんなのか、ただただ取り留めもない思考だけが次々と浮かぶ。
なんの答えもないまま、何故だか手から離すことのできなかったインクと筆を持って静かに森へ入ってゆく。

そこから、初めて自身の作品を作るまでに至るには色々な道を辿ることになった、その完成までの軌跡。

今日は昨年より取り組んでいた自身の作品の紹介です。
制作していた期間がちょうど一年前の4月ごろなので少し時間が経ってしまいましたがようやくまとめさせて頂きます。
きっかけは竹鼻さんから「未来への投資として自分だけが作れるものを作っていきましょう」この言葉から出発することになりました。

TAKEHANAKE / 竹鼻良文
#クレイジータンク 代表。建てるより使う方の建築家。未来予測。育児。 #主夫#スーパーマーケット 研究。難しいことや国際的なことを呟きますが会うとふわふわな人って言われます。TAKEHANAKEという個人ブランドのオーナーです。LEXUS DESING AWARD受賞歴とか色々あります
(プロフィールは時代によって常に変化します)

森で一人

まだ涼しい風が吹く4月、心地よい日差しの元私は家の近くの森を訪れました。一体私はこの筆で何をしようというのか、全く答えの出ないまま静かに一人森を歩く。そうしていると、自分が今どこにいて、今が何時なのか、何もかも社会から切り離された感覚になっていきました。

ふと、この森を誰かに伝達するにはこの森を切り取ってしまえばいいのではないか?文字の役割が伝達ならば森自体をデバイスにすればいいのでは。
大昔私たちが文字を発見したのも石だった。この石というデバイスと文字という伝達記号の可能性とはなんなんだろう?という考えが過ぎりました。

森を切り取る

まずは石を持ち帰ろうと思い森の中で石を探すことに。実はこの森には石という石がない。どうしたものか、すると小川の側には色々な石があることを見つけました。
そこからは、一人リュックにたくさんの石をつめ持ち帰る。そんな頃には日差しも厳しい夏に。汗を垂らしながら一人静かに森から石を運び出す。そして、それらの石を洗い乾かす。そこから文字を書いてみる。

ただただ、これが作品になる?全くわからない、何故こんな不思議な作業を自分はしているんだろうと。前例も、答えもない。デザインのようにお客さんがいるわけでもない。本当に謎な森で迷子のようだ、そんな作業の中めげそうになった時 竹鼻さんに「意味がわからなくても意味を持たなくてもいい。とにかく作り続けることが大切」そうなんども諭され、答えのない道をまずは進もうと、何度も何度も背中を押されました。

自分の中で何度も線を引き続け、何度も文字を石に書き込み。それを放置する。その都度一体何をしているんだとふっと思うけど、何度も何度もその都度「作り続けろ」この言葉が心に火をつけてくれました。

そうしてある時竹鼻さんからも「なんだか、いいね」そんな言葉をもらえるような完成形まで持ってゆくことができました。一体私は何を作ったんだろう?そんな中、「これはあれですね。アナログVRですね。この作品を受け取った人にエルフォートの森を五感で体感してもらいましょう」

エルフォートからのお土産

Titile :「エルフォートの森より」
制作:トビサワ アカネ (AircraftDesign)
Direction : TAKEHANA YOSHIFUMI

この作品は、耳で音を感じ、
そして鼻で匂いを感じ、目で感じ、触ってエルフォートの森を感じることができます。もちろん舐めていただいても構いません。私からフランスの森をお送りさせていただきます。

どうですか?簡単にやりとりがネットででき、簡単にどんなところか調べることもできる。VRの誕生で私たちは距離をものともしない伝達ができるようになりました。でも、実際に手に触れるものは何があるのでしょう?私たちの五感を刺激して出会えるもの、伝達できるものは何があるのでしょうか?

最後に

この制作を終えて、ふっと気が付いた今お金にも変えられない大事なものを得たことに気がつきました。それは「わからないものに対峙する力」です。
私たちは不思議と常に答えのわかるものを得て安心をしながら生きています。例えば、こうすればこういう成果物ができます。技術書を勉強するのもまた然りで、こうするとこうなるというノウハウに関してはたくさんの情報がネットに出ており探すのに苦労しないような素晴らしい環境に生きていると思います。

でも、実際AI(人口知能)などの登場できっと様々な作業などが取って代わられていくでしょうと皆口々におっしゃいます。一万時間の法則といい、時間を使うことで何かを得ることができるという法則まである。そんな中私は困惑してしまいました。一体私は何で仕事をしていけるのだろうか。

そんな不安を吐露したところから竹鼻さんの「自分にしか出来ないことを作り出せばいいんですよ」。一体それはなんなのか?そこからスタートしました。制作途中は着地点の不明な作業に不安になりつつも、徐々に何か見えないものを掴む感覚を得ました。多分これが、「わからないものに対峙する力」なのでした。いま一呼吸を置いてこのnoteをまとめ終えてようやく自分が何を手にしたのか気がつきました。

今後きっとわからない出来事、将来の見通しがきかない。そんな不安な中を生きることもあるとは思います。その中でも生き抜く力を、そして今後もこうしてよくわからない、でもまずはやって行こう。そんな気持ちを大事にしながらも自身の制作を続けて行こうと思っております。

最後に、もし不安な不思議なものに対峙したい。でもわからない。そんな人はやっぱり彼の助けを借りても良いのかもしれません。最後まで、見守ってくれた竹鼻さん。やっぱり、無理かもしれないといじけてしまった私を支えてくれた私の旦那さん。そして最後まで読んで下さったあなたへ。感謝を込めて。

また作品を通してお会いしましょう。

最後は、私を優しく見守ってくれた森の写真でお別れです。
ありがとうございました!

いつもお読みいただきありがとうございます。