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この先の2人を今の私たちが見てる



彼と付き合って、一年が経とうとしている。


私は、だいぶ健やかに生きていけている。




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ここ5年くらい、健やかに生きることから遠ざかっていた。一番求めていたことだったのに。


「健やかに」というのは、大きな意味で言うと「心身健康に」という事で、


ここ数年の私からすると、それが実現できている今は、ほんとうに貴重だ。



昔、仕事での期末振り返り会議で、
みんなの前で、「これから君はどうしていきたい?」みたいな事を聞かれた時に、


「心穏やかに生きていきたいです」

と答えたのを思い出した。(みんな微笑&きょとん)



仕事をどうしたいかとかそんな事以前に
その時のわたしにとっては、
とにかく“健やかに穏やかに”が最優先事項で、

仕事もプライベートもしんどい状態で生きていた自分から出た、
とてもシンプルな本音だったのだと思う。



今、それができている。

人生という大きな枠の中で
今のところ、一番守りたい事実かも知れない。





もちろん、生きていれば

仕事が上手くいかないとか、他人からひどい事を言われて落ち込むとか、普通のことが普通にできない自分を責めるとか、
日々色々なことは起こるけれど、


土台がしっかりしていれば、
それらの事は、人生に起こる必要最低限の起伏であって、
特段、わたしの「健やか」を脅かすほどのことではない。(落ち込むのは落ち込むけどね。)



彼と付き合ってからの一年間、
健やかに生きていられるのは、
その土台とする物がしっかり作られ、ブレずにいられたからだと思う。


その”自分を支える軸”みたいなものは

彼の関わり方や、2人でいる時間がわたしに与えた色んな影響、過去にわたしが経験してきた人生の色んなことが、混じり合って生まれたものだと思う。




2人で同じ方向を向ける

自分で自分を大切にできている

守っていきたい、と思える安心できる居場所がある


“違い”と “同じ” を楽しめる

金曜の夜が怖くない

相手に対して期待できているし、諦めなくていい事がたくさんある。

悲しい時や嬉しい時に、怖がらずそう言える。



**

わたしにとってこれが、
この一年健やかに生きてこれた全てだった。



土台が不安定だと、上から何を積んでもすぐ崩れる。

例え仕事がうまくいって認められていても、
ふとした瞬間に全部が底を着くくらい落ち込むし、


恋愛が上手くいっていても、
何かがきっかけで何も信じられなくなったり、自分を犠牲にしすぎてしまって、結局心がバラバラになる。


でも、軸がしっかりしていると、
何かが上手くいかなくても、自分を信じてまた上がって来れる。



それって、人生でとても大切で、
彼に出会ってからそれができるようになった気がする。


これから生きていくための、
強い味方がついたみたいな感じだ


とてもうれしい。


バカみたいな言い方だけれど、

この一年間ずっと、
『とても嬉しい』という気持ちが心の中で飽和しているように思う。


前にも書いたことがあるけれど、
嬉しかったり幸せだったりするときは、
「感度は高く、解像度は低く」でいいのだ。(自論)




**


いつも、自由な心のまま、のびのびいさせてくれてありがとう、という気持ちでいっぱい。


もちろん前提として、
他人としての配慮や気遣いがあるから成り立っているのだけれど、

わたしは彼といるとき、1人でいるよりも
もっと本来の自分で、のびのび、ニコニコいられている気がする。


彼も、そうやって生きていてくれたら良いな。




**

一年経つ今、わたしたちはお互い
どこに立って、どこを向いているだろう。

同じ場所に立って、これから先の私たちを
今の私たちが並んで見られていたらいいな。



なんでもない日常の、延長線上にあるその先を、当たり前のように並んで見ている。


それはわたしをワクワクさせて、

安心させて、

そしてわたしの守っていきたい「健やか」のための土台を、より強くさせる。




この先も、健やかに生きていくことが出来れば、どんなことがあっても大丈夫。


嬉しいも、悲しいも
その土台の上に成り立っていくのだから。


たとえば、


一目惚れする服に出会ったとか、
植物から新しい芽が出たとか、
好きな匂いの柔軟剤に出会ったとか、
(そういう小さな嬉しいことから)、

見たことない絶景を見たとか、
色んな旅行先に行けたとか、
大切な人から良い報告を聞けるとか、
(そういう大きな嬉しいことまで)、

生きていれば起こりうる。



楽しみな予定の日雨だったとか、
最近ちょっと太ったとか、
買ってきた卵を全部割ってしまったとか、
(そういう小さな悲しいことから)、

大切な人が遠くへ行ってしまったとか、
仕事で大きなミスをしたとか、
頑張っていたことが道半ばで断たれたとか、
ひどい言葉を使って喧嘩したとか、
(そういう大きな悲しいことまで)、

生きていれば起こりうる。


それが人生だから、そういう時のために
自分の中(または2人の中)の土台が必要なのだ。


彼と、その土台を守りながら
色んなことがあるこの先を超えていきたい。





愛は、“あたたかな希望”です。

今のわたしにとってはね。






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