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どんな時も大切なものを無くさず、守り続けること


彼といて、彼のことがどんどん大切になっていくけれど、元から自分の手元にあった他の大切なものたちは、わたしの中で衰えることなく、ずっと同じ重量で大切なまま。



わたしには大切なものが幾つか(沢山?)あって、

たとえばそれは友達・家族・恋人であったり、大好きな作品であったり、反芻したい文章であったり、聴くたびに記憶を呼び起こす音楽であったり、自分の考えをまとめたり書き起こしたりする時間だったりする。


友達は別に多い方じゃないけれど、とびきり大切な数人と、その他の大切な物たちでわたしは成り立っていて、わりと手一杯な感じもする。


誰かと生きる時、その人にそれを一緒に守ろうと何かしてもらわなくてもいい。
壊さないままそっとしておいてくれることが、私にとってはつまり、一緒に守ってくれているということになるから。



意外と人生には、守っていきたいものが溢れてる。環境が変わることで大切なまま持っておけなくなることもあるだろうけれど、増えたり減ったりしながら、その都度、自分を構成していく。


自分を構成している大切な幾つかが入れ替わっていくことで、纏う雰囲気や自分の考えや性格が、少しずつ変わっていくんだろうなと思う。変化は少し怖いけど、とてもいいことだ。


そんなものを一緒にいる中でも、ずっと大切に持ったままいられるといいな。
それにきっとこれからは、その大切なものが自分の範疇だけでなく、彼の大切にしたい物も自分の一部になってわたしを構成し、形取っていくのだろうなと思う。

相容れないものは、それぞれが各々ひとりで大切にして、歩み寄れるものは一緒に大切にする。それが、自分を大切にしながら誰かと生きていくってことな気がする。まだ何も分からないけれど。



たまに、一つの小さなことがきっかけで、自分の輪郭がぽろぽろ崩れ落ちて、拾っても拾っても、止めどなく溢れることがある。構成していた幾つかの破片が一個剥がれると、そこからヒビが入って全部が崩れそうになる。


初めのきっかけは明確でも、あとに続く出来事は普段なら気にしないような小さなことで、心の状態が悪いと、意味がわからず心がバラバラになってしまう。


今までそれが起こった時、どっと落ち込んで泣きながら破片をひとりで集めて、自分で体に張り付けていたような感覚だった。



元気をくれる人や慰めてくれる人に会ったり、大切にしている作品を見たり、ひとりでわんわん泣いたり、ダメな方になだれ込んだり、溺れながら息継ぎをして、何とかまたいつもの私で会社に行き、バレないように目を開けて息をしていた。



それはとてもパワーがいることだけど、でも破片を集めて張り付けないと外には出れないし、人に頼る時も、大人だから、なんとなく自分の原形を留めた状態にして、話を聞いてもらったり元気をもらっていた。


今まで、剥がれ落ちた状態の自分は、自分しか知らなかった。

けれど、彼といる時、自分の破片がぽろぽろこぼれ落ちたら、そのままの状態で泣けた。
抱きしめられていると自然に、体に破片が引っ付いてきて、しばらくして泣き止むと、7割くらいは所定の位置に戻ってくれたように感じた。
あと3割は生活しながら少しずつ元気を戻していって、100%の私に修復される。


もちろん自分で立て直す必要もあるけど、自分の気持ちがぷつって途切れた時、こうやって人に頼っても大丈夫なんだ、と知れた。

なんでもひとりで何とかしないと、といい子になってしまう癖が抜けなかったけれど、自分の心が元気をなくした時、自分の大切にしていきたい人に頼ったらよかったんだ。

頼ったら受け止めてくれるとても優しくてあったかい人で良かった。


私が急にぽろぽろ泣き出した時、執拗に理由を尋ねず、まず寄り添ってくれる人で良かった。とても寄り添い方が上手で、感心してしまうほどだった。


だれかと大切にし合いながら生きていくって、
足りなさを補いながら、想いあっていくことなんだなと思った。
相手も自分も同じだけ大切にして、それぞれが持っている大切なものたちも少しずつ、一緒にそうしていけたらいい。





この前はぽろぽろこぼれ落ちた状態の私で、抱きついてしまって痛かったよね。ありがとう。

わたしの傷は修復されたけど、君に傷がついてないか、ちょっと心配です。もし抱きしめてくれた時ケガをしてしまったら、すぐに言って。治った身体で、抱きしめ返すから。




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