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売れてる営業ならある、泥臭く感動的な話がほしかった



新卒で入社したリクルート系の代理店で
営業として、8年目になった。


入社当時から沢山の賞をもらった。
今までの冴えない、何にでも一等賞にはなれないと諦めていた人生では、ありえないことだった。


けれど、今から書く話はそういった栄光の美談ではないし、泥水をすすって、地を這って輝いた、熱い営業の話でもない。

むしろそういう大きなエピソードがない私は、営業としてどうなのか.....と悩み、
苦しいと声に出している周りを、羨ましいとさえ思っていた。



みんなの前で大泣きしたり、
迷惑をかけまくったり、先輩に遅くまで話を聞いてもらい励まされたり、
お客さんと友達みたいに仲良くなったり、

そんな、『いかにも売れる営業』の
『泥臭く踏ん張ったサクセスストーリー』みたいな話が、わたしにはない。





でも、ずっと順風満帆だったわけではない。
仕事もプライベートもぼろぼろで瀕死状態になり、また這い上がって、
なんだかんだ今(8年目)に至るわたしの、
こういう頑張り方もありだよな、というお話です。



***




・勲章と言われるエピソードって


営業会社の表彰スピーチでよく聞く、

「毎日泣いて帰っていた頃〜…」とか
「〇〇先輩には返しきれないほど迷惑をかけて〜…」とか、
そんな、大変だった時期支えてもらった先輩、
みてる?みたいな。
はちゃめちゃに迷惑をかけたけれど
今ではしっかり売れる営業になりました、お父さんお母さん、みてる?みたいな。

そんなエピソードが、
お決まりと言っていいほど、売れている営業から話される。


あれは、なんでなんだろう。


なぜ売れている営業には、そうやって、
周りを巻き込んで、盛大にすっ転んで立ち上がった、振り返れば『勲章』と言われるエピソードがあるのだろうか。



***



入社してから今まで、わりと1人でなんとかしてきた感覚がある。
(もちろん人並みの教育やサポートはしてもらっていたけれど)

入社1.2年目の話を今も上司としていると

「本当に手のかからない子だった」というようなことをよく言われる。
「ひとりですくすく育っていって、ありがたかった」と。

淡々とやっている、クールで的確、内なる闘志がある、結果にこだわる、とかそんな事をよく言われてきた。


逆にみんな、なんでそんなに喚きながら、足掻きながら、大きな声で「辛い」と言えるのか、わからなかった。ずるかった。
泣いても、転んでも、結局は立ち上がらないといけないし、できないと叫ぶよりも、やるしかない、が強くあった。


こんな性格で、こんなドラマのない人生だったから、

大きな挫折エピソードは?
思い出に残る壮大なプロセスの受注や、
思い入れのあるお客さんは?

の質問に対して、
いつも誤魔化して、適度に作り話をしてきた。



しっかり売れた経験を持っていて、8年も営業をしてきたのに、そのエピソードがないと、
なんだか非人間的のような、そんな風に思われる気がしていたから。





・ずっと大切にしてきた小さなこと



でもわたしは、こんな私なりに、色んなことに支えられて、頑張ってこれた出来事がいくつもあった。


それは大袈裟に話すほどではない、とても小さな、些細なことの積み重ねで、
いわゆる泥臭く這い上がったエピソードや、大きな挫折とは遠い、もっと目の前の身近な話だった。



もし今、何か仕事で躓いていたり、
成果を残せているのに薄っぺらく感じたり、
そもそも仕事に大きな期待ができなかったり
そういうことを心の中に抱えて、周りと比べている人がいたなら、仲間です。



わたしはずっと、なにか足りないのかも知れない、と思いながら仕事をしていた。
大きなことを求められることが苦手で、将来のビジョンを語ることができなかった。



なんで目の前の小さな達成や、目の前のお客さんとの会話や、些細なコミュニケーションを、心の糧にするのでは、物足りないような目で見られるのか。


会社や、上司や、みんなが当たり前のように聞いてくる、挫折、成功、失敗。
そんな大きな言葉で括られたことに当てはまる様な、話せる出来事がなかった。




組織は、とても大きな話を個人に求めるけれど、わたしが大切にしてきたのはずっと、今までもこれからもずっと、もっと小さなことなのだ。



***

・自分のために仕事をしたい



2020年、コロナの流行で、より、仕事に向き合うことがきつくなった。


誰かのために、お客さんのために、
そう思うことが、求人の営業をかける上で本当に偽善に思えて、もう自分のことしか考えたくない、と思った。

『自分のために仕事をしていたい』と強く思うようになった。


それには、今までわたしが大切に、糧にしてきた様な小さなことを貯めていくことが、心の平穏には必要だった。



お客さんの会社の将来のための提案とか、
この先の課題解決に向けたコンサルとか
後継者の採用とか、そんな大きなことではなくて、

いま目の前に座っている人間に対して、
楽しく話をする、心地いい時間にする、悩みを聞く、去り際健康を祈り合う、またいつか元通りになることを互いに願う。
そういう、目の前の人とのコミュニケーションを丁寧に、支えに、楽しさにして、仕事をした。

これは、コロナ云々ではなく、
わたしがずっと大切にしている小さなことだった。

そういう風に接する中で、
嬉しい言葉をもらったり、マスクを分けてもらったり、暖かいコーヒーを買って持たせてくれたり、試作品を試食させてもらったり、そういう小さな嬉しいことがあった。




どうしようもなくて辛かった時、
飲食店のお客さんとのアポで、何も話していないのにシェフから、「貴方なら大丈夫でしょ」と言われた言葉を、しばらくお守りにした。

「なにがですか?」とは聞き返せず、
「そうですかねぇ」と泣き出しそうな顔を隠しながら、相槌を打った。

コロナでお店が潰れてしまったり、
悲観した会話ばかりになることが苦しくて、
元気に話せそうなお客さんのところに、なるべく電話をする様にした。



そんな時も、会社で泣き喚くでもなく、お客さんから劇的に感動的な言葉をかけられるでもなく、その関係性に救われるでもなく、
ただ、少しのうれしいことを、こつこつ貯めながら、過ごした。

それで十分だった。

大きなうれしいことは、あればあるだけ良いけれど、日々は小さな積み重ねなのだから。

仕事も同じだった。
小さなエピソードや日々の会話は、大きな嬉しいことと同じくらい、わたしには価値があった。



なんで、そんな人もいるということを組織は、あまり見ないんだろう、と今でも思う。



・あなた達には教えてあげない


半期の振り返りや面談では必ず
今後こうなりたいっていうビジョンや、
挑戦したいことや展望はある?と聞かれる。


なにかを共有する場では必ず、
印象に残った受注や、好きなお客さんの話、
一番思い入れがあるお客さんはいる?と聞かれる。


ないとは言えず、適当にそれっぽい話をする。

そんなことの繰り返しだった。


語れるエピソードや、はちゃめちゃに落ち込んだり、とんでもなく嬉しかった話が、欲しかった。


だって、わたしが話す嬉しかったことは
本当に取るに足らないことで、
ある人にとってはおそらく日常だった。



だから、
心の支えにしたお守りの言葉のことも、
誰かからもらった忘れられない笑顔も、
そんなことは、そんな小さな糧のことは
あなた達には話してあげない。



入社からしばらく、たくさんの達成で賞をもらって、ずっと好調だった頃から、
全然達成ができなくなって辛かった時期も、
踏ん張ってまた賞をもらえたり、
恋愛に振り回されて寝れなくなっていた時期も、めちゃくちゃにお酒を飲んで紛らわしたり、コロナが流行って仕事自体が苦しくなった時も、


どんな時もいつも、
仕事でうれしかったことはずっとあって、その小さな積み重ねで8年踏ん張ってこれた。



わたしはおそらく、辛いの沸点が高くて
うれしいの沸点が低い。

だから、他の売れてる営業が語る
大きなエピソードが生まれづらいのかも知れない。



全然それでいい。

わたしは、たまに巻き起こる小さなうれしいことを集めて、大きな数字を動かしていく、そういうかっこいい人でいたい。


周りから見たら、淡々としていてエピソードのないつまらない人間、と思われるかも知れないけれど、ほんとうは誰よりも細かなことを感じて、敏感に感情を動かしている。


大きな事を期待しているような人たちに、
わたしの中で感じとっている小さな喜びのことは、話してあげない。



だから、聞かれた時のためにね、

『売れてる営業ならある、泥臭く感動的な話が欲しかった』




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