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誰かに自分に赦されること


新しいことを始める時、何かをやめる時、
「世間(誰か)に赦されているか」を気にしてしまう。ほんとうに良くない。もっと伸び伸び、自由奔放な女でいたいのに(!)




今の仕事から逃げたい。でも今は逃げるパワーもないな。情けない。
面倒なことや、何かに立ち向かうことを避けてしまっている。
でもよく考えたら、元からあまりそういう物に、立ち向かうタチではなかったわ。

小学校から続けていたピアノも、チャレンジも、習字も、早々に嫌だったけど言い出せず、何となく続けてしまってたしな。
母親に見捨てられる気がして、言い出せなかった。

なんとなくでその場に居続けられるのは、ある意味強みと思うことにする。




今の仕事で、数字に追われるのはもう疲れ切っているのに、達成できていない今にだんだん慣れてきて、その罪悪感が薄れているのもこわい。


こうなったら逆に、長く今の職場に居れるメンタルが出来上がってしまって、より腰が重く感じる。ただ、ずっとしんどいのは変わらない。




もし転職することが、世間的にとてもめでたくて、お祝いされるような事なら、すぐ仕事を変われるだろうか。

そういう自分の中の基準があるから、動き出せないのだろうか。
誰にもダメだと言われていないのに、なんだかダメなような気がして、ずっとそこにい続けてしまう。誰かに赦されたい気持ちがずっと消えない。




根本的に、「仕事を続ける辛さ」と、「今の生活を維持しながら向上させること」を天秤にかけた時、どちらかが沈むとかじゃなく、同じ天秤には載せられない物なのかもしれない、と思うようになった。同じ尺度では測れない。

仕事をやめて、違うところで働く時の現実を考えると、今の仕事の給料はいい方だし、
今のまま転職したとて給料は下がる。
今の暮らしを保ちながら豊かにしたければ、もっと色んなスキルや資格を身につけなければ、どうにも身動きが取れない。


そんなことを考えていると、どんどん今の場所から抜け出すことが難しく、億劫になる。


今の無気力な私には、この嫌な状況に、
ただ水を足しながら少しずつ薄めていくしかない。


だんだん薄まって来た頃に、また黒い水滴がポタポタ落ちて、あっという間に黒く濁っていくから、また薄めて、それの繰り返し。



仕事なんてそんなものだ、と思えばそれまでだし、人生の大きな時間を占める仕事だからこそ好きなことを、と考えるのも最もだと思う。


自分がどっち派の人間なのかわからない。
好きなことを仕事にしてみても、嫌になることはあるし、どちらがいいとか無い気がする。
どちらが性に合ってるかだけ。
そしてやっぱりそれは、どちらもやってみないと分からない。



...で?、っていう話です。

じゃあさっさとスキル身につけて転職しろ、という話なんだよなーーーー


本気でそれをしない時点で、そこまで辛くないのかな、とか。
とにかく、今自分がとっている行動には理由があると信じたくて、それを納得させるために思考してるみたいな感じがする。納得させる必要なんてないのに!自分で自分にさえも赦されたいと思うの、面倒すぎるな



出口は、考えを変えるか、自信をつけるか、そのままそこに居るかです?よね?


みんなにとっての仕事の位置付けってどんな感じなんだろう〜〜〜

(また周りと比べて自分を見ようとしてしまってる!こういうとこだ)




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