見出し画像

勝手に、勝手に(件/内田百閒)

「人生の意義」がWikipediaにあった。


哲学から。心理学から。あるいは、経済学から。さまざまな見解から。答えだけが載っていない。当たり前なのだけど。


人生に意義も意味もない。と、ぼくは思っている。し、そう思っているのは、ぼくだけじゃないだろう。けれど、意義も意味もなければ、なぜ生きているのか。生きなくたって、いいじゃないか。そう考える人がいるので、あの手この手で、人を現世にとどめようとする人がいる。あなたを愛しているので。もしくは、人が少なくなると、国が困るので。はは。


冗談はさておき。たとえば岩。たとえば川。それ以上でも以下でもない。はずなんだけど。勝手に意義やら意味やらを与え、勝手に恐れたり崇めたりする。のは、珍しい光景じゃない。たとえそれが、人にとって異形のものでも。それ自体は、人が思っているほど大したものではないかもしれない。


『件』。身体は牛、頭は人の生きもの(妖怪?)。生まれるとすぐしんでしまうが、その前に予言を行うという。予言は、必ず当たるとされている。


この通りの生きものなので、恐れる、というか、畏れる、というか。人の恐怖心を煽り立てる性質なのは間違いない。けれど、よく考えてほしい。生まれたばかりなのに(しかも、予言を行えばしんでしまうのに)勝手に期待され、数多の視線を一身に浴びる『件』の心境を。


内田百閒における『件』は、元人間らしい。『件』になったとはいえ、いやいや、予言だのなんだの言われても。たぶん、誰でもそんな心境になる。なのに、人間達に見つかり、捕らわれ、今か今かと予言を待ち構えられる。けれど、そんなものは『件』に下りてこない。


じゃあ、「なんだ、この『件』は予言を行わないのか」となるかといえば、そんなことはない。黙れば黙れるほど、その予言はきっと大したものであるに違いない。と、見当違いの期待は高まる。『件』がさらに黙ると、期待は恐怖に転じ、「ころしてしまえ」と叫ぶ輩も出てくる。


一番迷惑しているのは、『件』である。なにを言ったところで、『件』であるというだけで、この場を丸く収めることはできない。こんなに面倒なことがあるだろうか。


人が最も恐怖するのは、未知らしい。どんなものも、なんの意義も意味も持たないのに、勝手に意義も意味も与える。それは、生きるための術なのかもしれない。その結果、より生きるのが苦しくなるとは。なんとも厄介で滑稽な話だ。

画像1

件(『冥途―内田百閒集成3』収録) - 内田百閒(1921年)

この記事が参加している募集

読書感想文

ここまで読んでくださり、ありがとうございます。 「サポートしたい」と思っていただけたら、うれしいです。 いただいたサポートは、サンプルロースター(焙煎機)の購入資金に充てる予定です。