めんどくさい めんどくさい めんどくさい【エッセイ】
今日も今日とて、――うちの子は『めんどくさい』を繰り返していた。
朝起きてタブレットを探して好きな動画を見たりしているうちはいい。そのあとはだいたい『めんどくさい』ばかりだ。
朝ごはんを食べるのがめんどくさい。寝間着を脱ぐのがめんどくさい。もちろん着るのもめんどくさい。靴をはくのもめんどくさければ、シートベルトもめんどくさい。1日1度もめんどくさいと言わない日はない。「人生はだいたいめんどくさいものだよ」なんていうスレてしまったなぐさめなど何の効果もない。
そして困ったことに彼の模範にならなければいけない私自身、その『めんどくさい』気持ちはとてもわかるのだ。
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私が一重で細い目をしているのは、きっと目を開けるのがめんどくさいからだ。私が今はともかく、二十代くらいまではあまりしゃべらないタチだったのは、しゃべるのがめんどくさいからだ。若いころは、やせてもいないけれど"うすい"体をしていたのは、多分、食べるのがめんどくさかったからだろう。ちなみに運動部だったけれど、筋トレもストレッチも嫌いなタチだ。
つまり彼には、まぎれもなく私の血が流れている。
めんどくさい星人なのだ。
――いや、めんどくさい血族というべきか。だから、毎日毎日『めんどくさい』と言われるのを聞くたびに、イライラしないかと思えばそれはウソなのだけれど、そういう血族の元に生まれついたのだ、と思えばそれも仕方なかろう……という思いが生まれる。
結局、いい大人になっても、子供のころから持っていたものはあまり変わらないのだと思う。「自分」と「この子」を眺めているうちに、ここ最近、強くそう感じるようになった。
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――となると、子供の将来のために……とか、子供の勉学が……とかなんだかいろいろ『教育』や『育児』について頭を悩ますわけだけれど、そこにあまり意味がない気もしてきた。
いや『意味がない』というのは違う。意味はある。
でも、子供というものを理解しないうちに、勝手に親があれこれ考えてもそこに意味がないとは思うのだ。だって子供の持っている性質はどこまでいってもかわらないのだから。親にできることは、そういう性質を正すことじゃない。そういう性質を理解したうえで、適正な方向に伸ばすことだ。
例は極端だけれど、どうしても運動はしたくない子供に、運動を進めても大成するはずがない。もちろんそれが単なる好き嫌いであるなら、矯正する必要のあることもあるだろう。朝から晩まで『めんどくさい』と繰り返しているようでは、この先の人生そのままでいいはずはない。
そこに見極めは必要だけれど、努力する方向として、まずは子供を理解すること。そのようにして、まずはしっかりした基礎を作らなければ、上に何を建ててもうまくいくはずがないのだ。
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子供が何が得意で、何が苦手なのか。
許されないラインはどこなのか。
言葉で言うほど簡単ではないのは確かだけれど、子供を置いてけぼりにして勝手に物事を進めてもいい結果にはならない。
まずは子供を理解するところから。
――いや、理解しなおすところから。
彼が『めんどくさい』と繰り返すたびに、私はそう、心にとなえる。
「欲しいものリスト」に眠っている本を買いたいです!(*´ω`*)