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助けの舟/ショートショート

なぜ私がこの島にいるのかといえば、どうやら乗っていた釣り船が転覆したらしい。まったく、できもしない釣りになど行くのではなかった。定年後の趣味がほしいなんて話を飲み屋の常連仲間にしたら「それならアナタ、釣りですよ」なんて言われて。その気になってノコノコ付いていくんじゃなかった。結果がこの有様だ。

この島は無人島らしい。流れ着いたのは私だけのようだ。もうどれくらい経つのか、髪はボサボサ、髭もひどく伸びてしまった。他の人たちは助かったのだろうか。あの釣り船の船長や、私を誘った常連の男は。

流れ着いた砂浜から見渡す限りでは、島はずいぶん大きいように思えた。だが歩いてみると、反対側の海はすぐそこにあって、どうやらこの島は横長というか、一方向に長く伸びているらしい。実際には二日もあれば一周できてしまう程度の大きさだった。

その横長に沿って、川が流れている。そこに魚の姿があるのは肉眼で確認できる。あれらを捕獲できれば食糧には困らないのだが。つくづく私は釣りに見放されている。釣り道具を作り出すことも、それを使って釣果を上げることも私にはできない。

ではどうやって凌いでいるかといえば、その川のそばに一本だけ、果実をつける木を見つけた。リンゴに似た実で味も悪くないのだが、不思議なことに一日一個しか実をつけない。その一個を食べることでなんとか、日々を生きながらえている。

草や何かも試してはみたが、結局まともに食べられるのはあの果実だけ。採って食べてしまえばもう他にすることもなく、浜に戻ってはこうして一日海を眺めている。助けの船など通りはしないものかと。

……ん? 遠くの海の上で、何か動くものがあるような気がする。私は目を凝らしてよく見た。……あれは小さなボートか何かだ。その上に人間がひとり、オールで漕ぎながらこっちへ向かってくる。

私はさらに目を凝らした。ボートの横腹に何か書いてある。第三大漁丸……あれは私が乗っていた釣り船の名前じゃないか。ということは、あの船、助かったのか? もしかして今、どこか近くに停泊していて、小さなボートで散り散りに、私を捜索にやってきたのか? 一人海へ投げ出されたこの私を。そのうちの一艘があのボートなのかも……。

「おーい、おーい!」と私は必死に手を振った。ボートの上の男も私に気がついたようだ。大きく手を振り返してきた。遠目にも彼が喜んでいるのがわかる。オールを漕ぐ手を速め、彼は私のいる浜へと近づいてきた。

陸地へもう少しという所まで来て、彼はたまらずボートから飛び降り、浅瀬をバシャバシャと駆けてきた。それは私も同じことで、気付いた時にはバシャバシャと彼に駆け寄っていた。その勢いのまま、私たちはがっしりと抱擁を交わした。二人とも自然と、目に涙が溢れていた。

「よかった……本当によかった……」

私は泣きながら言った。

「本当に……一時はどうなることかと……」

彼がそう応え、私は続けた。

「本当にご心配をおかけして……まさかこうして助けに来ていただけるとは……」
「……え? 助けに……?」

彼の表情が変わった。事態が飲み込めないという様子だ。どういうことだ?

「あなた、あの釣り船から私を捜しに来てくれたのでは?」
「釣り船……?」
「あなたのボートに書いてあるじゃないですか、第三大漁丸って……」
「あれは僕がいた無人島に流れ着いたボートです……天の助けとばかりにそれに乗って、私は島を脱出したので……」
「そんな……するとあなたも遭難者なのですか? じゃあなぜ私を見つけてそんなに喜んだりしたんです」
「だって、ここは陸地でしょう? 僕はついに助かったと思って……」
「ここも無人島ですよ。あなたがいたのと同じ……」

私がそう伝えると、彼の顔は落胆でしぼみにしぼんでしまった。この横長の島を、彼は陸地と勘違いしたのだ。

落胆したのは私も同じだ。まったく、こんなことがあるのだろうか。こんな、恐ろしいほどの偶然がもたらすぬか喜びが。

無人島に別々の遭難者が二人。しばらくはこの男と、この島で生きていかねばならないのか……。しかし食糧はどうする? 見たところこの男は何も持っていない。それに例の果実は、ひとつしか実をつけない……。

思い当たる方法はひとつだった。私は彼に聞いた。

「あなた……釣りは得意ですか?」


(了)

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