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鹿狩りフラミニヤ―創作

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自然発生的に生まれた掌編や散文詩ともつかない「創作」寄りのもの、およびお題をきめて書いた習作をこのマガジンで販売しています。不定期的に更新され、原稿用紙で二百枚程度になったらひと… もっと読む
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#掌編小説

令和の御代のはじまりと私――掌編にかえて

令和の御代のはじまりと私――掌編にかえて

 沸々として湧き出るものが、溢れて零れる時を私はずっと待ち受けていた。
 もうだれとも逢いたくない、人と出会って話をしていると私は彼らの言葉に声に、私の懐中から取り出した細やかな工具を用いだし、醜い部分を裏返しにさせて露呈させ、私はそれ以外の従来の工具の使い道を見失っている始末だった――なにを言っているの? 慥かに君には僕が何を言っているのか分からないかも知れない。けれどももう本当に見納め時だとお

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十一月半ばに書かれたパスティッシュ風の幕間的掌編

十一月半ばに書かれたパスティッシュ風の幕間的掌編

「そうですか」
 それは広く長い河川の流れとは異なっている。
 それは地下からしみ出す水がいずれなにかのはずみに、掘り抜き井戸を溢れるのとも異なっていて、そしてまた海辺におとずれる潮の満ち干とも決定的に性質をたがえている。
 あらゆる意味においてそれらの比喩は、適切さに欠ける。

   □

 ただ私はみていたのだ。穏やかな波頭のうねりをみつめているうち、時をかけてなにかが漂着する「時」の訪れその

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